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万国の資本家たちよ、団結せよ!

この記事からさらに話を進めますよ。(もはや最初話題にした『欲望の資本主義2024』の内容から離れてきていますが)


前回までのおさらい

前回、多くの労働者が事実上、資本家でもあるようになってきてるのが、今後の資本主義のあり方をめぐる議論をする上でややこしいという話をしました。

工場設備のような企業が抱える有形資産が主たる資本とされていた時代から、今や各個人の知識やノウハウ、あるいは学歴や業績のような無形資産が有力な資本(人的資本)となった時代に変化しました。各個人が資本を握っているわけだから、もはや皆が資本家です。

その程度の強弱にグラデーションはあるものの多くの労働者が資本家でもあるならば、そして、意識的にせよ無意識的にせよスキルアップやキャリアアップを通して、個々人で自分の市場価値を高めようとするような(人的)資本家的な志向に染まっているならば、「万国の労働者よ、団結せよ!」「資本家打倒だ!」と言っても響かないし革命も何もありません。

しかも、国策で新NISAなどを打ち出してるのもあり、むしろ国を挙げて確信犯的に資本家仲間を増やそうとしている勢いです。「労働者が団結」とかそういう雰囲気はあんまりありません。


資本家たちも疲弊している

とはいえ、当の資本家たち(兼労働者)もハッピーというわけではなくって、個々人の人的資本や金融資本を拡大するための競争の激化に疲弊しているのが現状です。

少子化にもかかわらず過熱する受験競争、各々の出世のために育児のケア担当役の押し付け合い、資産価値の将来性を謳う新築マンションの広告の背後で進む住宅費高騰の問題、等々が競争の象徴でしょう。

一体どうしたものか。

厄介すぎる難問で暗澹たる気持ちになるところではありますが、せめて前向きな可能性を見出せないかを今回は考えてみましょう。


求められる「資本家の団結」

誰もが資本家になる中で「万人の万人に対する闘争」に陥り、それに疲れてしまっている。そうした競争の激化を緩和するにはどういう手立てがありえるでしょうか。

ヒントになるのは、歴史です。

歴史上、各国が血で血を洗う争いを繰り広げた二度の世界大戦を経て、「もう戦争はこりごりだよ」と感じた各国が何をしたか。国連(United Nations)を作ったわけです。"United"つまり団結です。

「いやいや、さっき団結する雰囲気じゃないと言ったばかりじゃないの」と疑問に思われるかもしれません。

でも先ほど言っていたのはあくまで「労働者の団結」です。そうではなくって、今回提案したいのは「資本家の団結」なんですね。

いわば「万国の資本家たちよ、団結せよ!」というわけです。

多くの人が既に資本家色に染まっているならば、むしろその資本家魂のところに訴えかけるのが有効なはずです。


「戦わないため」の団結

当然ながら労働者という立場の性格と、資本家という立場の性格が異なるので、団結の手法も異なってきます。

労働者の団結は「団結して我々を搾取している資本家たちを打倒しよう」という弱者の集団が協力して強者に立ち向かうという構図ですが、資本家の団結は「団結してお互い争い合って疲弊するのを避けようじゃないか」と平和協定を結ぶような感じです。

敵を想定して「戦うために」団結するというのではなく、むしろできる限りお互いを敵とみなさないようにして「戦わないために」団結するわけです。

言ってみればカルテルなんですけれど、これが少数の資本家しかいない時代なら特権階級化するわけですが、前記事でも語ったようにかなり多くの人が資本家となりつつある現代では、むしろ大衆も含めた広範な人々に渡るカルテルになります。だからこれが結果として「万人の団結」(少なくともそれに近いもの)となる土壌が整いつつあるわけです。


「資本家の団結」が目指すもの

では、この論理で行われる「資本家の団結」では具体的には何が目的となるでしょう。

それは安全保障と軍縮だと江草は考えています。


安全保障としてのベーシックインカム

まず、安全保障について。

再び国連の例えを用いると、国連の主要組織として安全保障理事会があることから分かるように、重要な目的として安全保障が置かれています。国同士の戦争を反省しての国連ですから、各国の安全を保障するのが目的となるのは自然なことではあります。

だから、同様に資本家同士の団結でも、互いの安全保障が大きなミッションとなるわけです。

さて、どうやって互いの安全を保障するか。

例えば、国連ではどこかの国の安全が脅かされた時に国連軍を組織して援軍を送ることができるようになっています。これはいかなる国であっても(たとえどんなに弱い国でも)その国家としての立場が脅かされることがあるならばそれを必ず救うぞという意図があるわけです。つまり、国が「国であること」の権利は必ず守るという仕組みです。

とすれば、同様に、資本家の団結においても、誰もが「資本家であること」を必ず守るという仕組みを導入すれば安全保障につがなると考えられます。

誰もが資本家であることを必ず保障するにはどうしたらいいか。

資本というのは利潤(インカム)を生み出すものです。ならば、資本が乏しい者もある者も関係なく、すべての人々が「資本家であり続けられるために」利潤を受け取る権利を保障するべきであるでしょう。

はい、それはつまりベーシックインカムに他なりません。

誰もが実際に所有している資本の多寡に関わらず、資本家らしく利潤を受け取る権利を保障する、すなわち資本家である権利を保障する。それを実現する仕組みがベーシックインカムとなるわけです。

元になる資本がないのにインカムがもらえるとはどういうこっちゃと思われるかもしれませんが、国連軍だって別に本当に常設軍があるわけではないという意味では「架空の軍隊」です。ベーシックインカムの源泉も「架空の資本」であっておかしいということはないでしょう。

もしどうしても現実的に元になる資本を具体的に想定したいということであれば、江草が以前思いついた「国民配当」「ベーシック・キャピタル」的なやり方をやってもいいですし。

細かい具体的方法論はさておき、ビジョンとしてはそうやってベーシックインカムを通して誰もが資本家であることを保障する仕組みを作るというのが、資本家の団結で目指す方向性ではあると思います。

資本を持ってない者にもインカムゲインを渡すなんてと思われるかもしれませんが、団結というのは得てしてそういうものでしょう。労働組合の団結だって、組合活動の間は労働現場において有能かどうかは関係なく平等に労働者として保護されます。

だから、今回想像している資本家組合(?)においても、実際の資本家としてどれだけ資本を持ってるかは関係なく平等に資本家として保護されるべきというわけです。

そもそも、前回までに語ったように(『欲望の資本主義』の番組でも示唆されてるように)今や各個人の無形資産が主力となる人的資本主義社会なのです。「人的」と言ったからには何人たりともその人的資本価値が無ではありえません。それゆえに、誰もが資本家であり、資本家組合の保護対象となるわけです。

人間が人間であることそれ自体に資本的価値を認める。それがベーシックインカムの考え方です。


さて、万一、(人的)資本家として失敗をしてしまった時、すなわち学歴競争や出世争い等々で脱落してしまった時に、インカム保障をしてくれるのがベーシックインカムなわけですから、資本家組合の安全保障(セーフティネット)としても十分に理にはかなってるのではないでしょうか。

各自に適切な安全保障がなされてるのであれば、不安から過度に防衛的、排他的になる必要性が和らぎます。こうした不安こそが競争を激化する一因だからです。

中江兆民の『三酔人経綸問答』にもこのような一節があります。

二国が開戦に至るのは、たがいに戦いを好むからではなく、まさに戦いを恐れるためにそうなるのです。

中江 兆民. 三酔人経綸問答 (光文社古典新訳文庫) . 光文社. Kindle 版.

激しい競争の世界を目の当たりにして自分の身の安全が脅かされてると感じる時、自分の身の安全を図ろうとしてかえって自らも競争に身を投じるという悪循環がここにあるわけです。


軍縮としての働き方改革

では、資本家の団結で目指す目的。安全保障に次いで、もう一つの軍縮について。

万人が資本家となった社会で多くの方が疲弊してきているのは、すなわち軍拡競争に疲れ果てたためと解釈することができます。

優位な人的資本家となるためには、各自の人的資本の拡大のために不断の努力が必要となります。良い学歴を得るために一心不乱に勉強して、良いポストや大きな仕事を任されるため、あるいは、転職で有利になる業績を得るために仕事に邁進する。

これらがどうしても他人との比較の、相対評価であるために、他の人が頑張っているなら自分もそれ以上に頑張らないといけない。まさに軍拡競争なわけです。

こうした努力に全く意義がないと言うつもりはありません。ただ、たとえそれに一定の意義があろうとも、単純にみんながこうした軍拡競争の激化に流石に疲れ果ててきた。だから、資本家の団結において目指すべきは軍縮路線への協調となります。

具体的にそれが何を指すのかといえば、働き方改革です。

多くの人があまりに競争的に働きすぎていた。なぜなら、仕事時間を長くすることは出世競争、すなわち人的資本主義レースにおいて極めて有利であるからです。

※この有利性については以前のこの記事で語っています

軍備を増強することが戦争で有利になるから各国が競って軍備を増強するのと同じ構図です。この軍拡競争を止めるべく全員が有利になると分かっている「長く働くこと」を協調して一斉に控えようというのが、まさに働き方改革がやろうとしてることなわけです。

働き方改革とはすなわち軍縮なんです。

互いに軍縮(労働時間短縮)で協調することにより、仕事にばかり支出していた各々の時間的・労力的リソースを他の人間活動に振り分けることができるようになります。軍縮によって軍事費を減らすことで、各国が他の様々なことに財政支出を振り分けられるようになるのと同じです。これは軍縮で協調している全員にメリットになるウィンウィンな協定です。

だから、ここで協定を破って勝手に軍拡路線に走ることは、非常にズルく野蛮な行為としてみなされます。

つまり、こと労働については今なお「長く働いてエラいね」という文化が根強いとは思いますが、これからは「長く働いてズルいね」とみなされるべきということになります。

「俺は仕事が大好きだからもっと働きたいんだ」と言って勝手に長く働くのは賞賛される行為ではなく非難されるべき抜け駆け行為になります。

これ、ちょっとしたパラダイムシフトなので面白いでしょう?


※「長く働いてエラい」の問題点については過去のこちらの記事でも書いてます。


まとめ

というわけで、以上、万人が(人的)資本家になってる現代社会においては、資本家として万人が団結すること、具体的に言えばベーシックインカムや働き方改革が目指すべき方向であることを論じてみました。

実際に、ベーシック・インカムの支持が高まってることや、働き方改革が進められるようになっているのは、こうした「資本家としての万人の団結」を無意識に人々が求めていることの現れなのだと江草は感じています。


補足

以下、補足事項。

  • 国連の例を色々と挙げましたけれど、ウクライナ紛争を止められなかったりとか安保理がうまく機能してるかと言えばぶっちゃけそうではないのが現実です。ただ、それでも国連が目指すビジョンは、万人の万人に対する闘争に疲れ果てた資本家たちの団結において参考になるだろうということで例に挙げています。

  • 万人が資本家になりつつあると言っても、もちろん多くは労働者でもあるので、労働者としての団結が無意味になったとかそういう話ではありません。ゆえに労働組合の復権など、労働者保護がまだまだ図るべき重要事項ではあることには変わりありません。ただ、多くの人々が資本家OSもインストールしている昨今で、人々の心の労働者OSの部分にだけアピールしても効き目が弱いだろうということで、あえて労働者部分を無視してみたのが本稿の趣旨となります。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。