ワークライフバランスではなくWLLLPバランスを考えよう
ワークライフバランス(Work Life Balance; WLB)が大事と言われるようになってきました。
これには個人的に賛同する流れではあるのですが、最近気になっているのは「ライフ」の概念の解像度の粗さです。「ライフ」の部分に色んな活動がごっちゃになって含まれてしまってるんではないかなと。
この「ライフ」の部分の概念整理があやふやだと、きっとまた「バランスが悪い」とモヤモヤする事態も起きかねないですから、一度整理しておくのがよいんじゃないかと考えています。
個人的に考えたのが、ワークライフバランスならぬWLLLPバランスです。見ての通り、ライフの部分を4つに分離しています。
このWLLLPバランスの内訳を具体的に見ていきましょう。
Work(ワーク)
まずは、本題の「ライフ」の範疇ではないものの一応「ワーク」から。
なお、労働や仕事の定義というのは、ワークライフバランスについても含め働き方を議論する時に避けては通れないのですけれど、いざちゃんとしようとすると難しいけっこう厄介な作業です。本稿では、とくに「ライフ」側の、とりあえず一般的な感覚からそう遠くないレベルの分類を提示したいだけですので、「ワーク」等の定義問題には深入りせずさらりと通過しておきます。
さて、ここでのWorkの概念は以下のような感じです。
仕事
ビジネス
経営
経済
まあ、世間一般的な「ワーク」のイメージですよね。
Life(ライフ)
お次にLife(ライフ)です。新しく分割した分、これはもちろん、一般的にワークライフバランスで言われている「ライフ」よりもより狭い意味になっています。
イメージ的には以下のようなものが含まれます。
家事
育児
介護
衣食住
生活
世の中のワークライフバランスの議論でも、よく「労働時間を減らして子育ての時間に充てる」といった話がよくなされますが、その場合この狭義の「ライフ」を意識してのことだと思われます。
Learning(ラーニング)
さて、ここからが新概念の登場です。
もともとの広義の「ライフ」から「Learning」を分離しました。2つ目の「L」に当たります。
イメージ的には以下のようなものが含まれます。
学習
訓練
思考
勉強
世の中のワークライフバランスの議論でも、時々「労働時間を減らしてリスキリングや資格勉強のために充てる」という話が出ています。だから、この「ラーニング」の感覚も必ずしも無視されてるわけではないのですが、先ほどのような家事育児的な「ライフ」と一緒くたにするのは、活動の性質が大きく異なり過ぎるのでコンフリクトが起きがちです。
たとえば、医療界では、働き方改革の帳尻を合わせるために自身の医学勉強や手技の練習などといった「自己研鑽」を労働時間とみなさない動きが広がっています。これ自体が乱暴で働き方改革の本質を見誤ったものとして批判が集まっていますが、今はその話は置いておいて「ライフ」と「ラーニング」の衝突について見てみましょう。
自己研鑽が労働時間でないとすれば、自己研鑽は時間外にやってることになります。ところが、みなさまご存知の通り、子どもを保育園に預けるための保育認定というのは労働時間に対して与えられています。となると、労働時間ではない自己研鑽時間に子どもを保育園に預けていることは許されてないということになります。
では、だからといって自宅で子どもを見ながら自己研鑽が可能かと言えば、これまた多くの方がご存知またはご想像できるように、ばちばちの無理難題であります。ちっちゃな暴れん坊将軍がそばにいながら勉強ができるわけがありません。そういう環境で人は勉強に集中できないのが周知の事実だからこそ図書館なり自習室なりは静粛にするマナーになっているのですし。
なので「ワーク以外はライフでしょ」的なざっくりとした広義の「ライフ」感覚では、この狭義の「ライフ」と「ラーニング」の衝突を回避できません。現状のワークライフバランス論ではここの整理が未成熟なのです。
Leisure(レジャー)
次に来るもうひとつの「L」が「Leisure(レジャー)」です。
イメージ的には以下のようなものが含まれます。
・リフレッシュ
・娯楽
・余暇
・遊び
・休息
・エクササイズ
・お出かけ
これも、一般的なワークライフバランス論において「労働時間を減らしてリフレッシュする時間を確保する」などとして意識はされている部分です。ところが、やっぱり「ライフ」や「ラーニング」と一緒くたにまとめられてしまっています。
確かに、お出かけなどは子どもと一緒に出かける場合も多いですから、「レジャー」と「ライフ」が重なる場合はあります。ただ、これまたみなさまご存知の通り、子どもとのお出かけでゆったりリフレッシュしたチルな気分になれるかというと、そんな隙はほとんどありませんよね。
たとえば江草はこないだ週末に家族でイオンにお出かけしましたが、気を抜くことができた時間は子どもが寝ていたタイミングの20-30分程度あったかどうかでした。とりあえずその隙に急いで担々麺を口の中に流し込んで終了しました。……リフレッシュ?うーん。
多くの親御さんが訴えてる「自分の時間が欲しい」という魂の叫びは、こうしたより細分化された意味での「レジャー」を欲してのことと思われます(「ラーニング」の時間を求めてる人も少なくないです)。
ワークライフバランスを語る時に、広義の「ライフ」の中に育児家事のような狭義の「ライフ」を混在させたまま、「仕事時間外の休日だからゆっくり休めたに違いない」という扱いをされるのは、余裕で「ライフ」に「レジャー」が押し負けてる親たちの悲痛な叫びを無視してしまうことと同義です。これは、「ライフ」の概念の整理が足りなさ過ぎることによる弊害であると言えるでしょう。
Politics(ポリティクス)
最後の分類の「P」は「Politics(ポリティクス)」です。
イメージ的には以下のようなものが含まれます。
・政治
・倫理
・コミュニティ
・調整
・人付き合い
これは、一般的なワークライフバランス論でもあまり聞くことがない整理ですが、よくよく考えてみると社会に生きる私たちにとって必要不可欠な活動であることは明らかでしょう。
政治というと固くて怖い縁遠いイメージをお持ちの方も少なくないかもしれませんが、各個人が一人で孤独に生きているわけではない以上、必ず発生する「人付き合い」のことだと考えれば親近感がわくのではないでしょうか。
それに、本来的なことを言えば、国民主権の民主主義国家に住む私たちにとって、当然ながら誰も政治には無縁ではないはずです。大きな選挙が近づくと「みんな投票に行こう」と呼びかけが始まり、結局「また投票率が低かったよ……」と嘆きの声が広がる、そんな光景が定番と化しています。これは私たちが「ポリティクス」の活動を怠っている(あるいは諦めている)ことを示しています。
この「ポリティクス」活動の衰退のトレンドの存在は、まさしく「ワークライフバランス論」の中にも見て取れます。
「投票に行こう」と急に言われたって、普段から社会の問題に関心を持ったり話し合ったりしていなければ途方にくれるのは当たり前です。ところが、一般的な「ワークライフバランス」ではこの「ポリティクス」要素がほぼほぼ出てきません。せいぜい「ライフ」「ラーニング」「レジャー」までです。
この「LLL」の3者でさえ限られた「ワーク以外の時間」の奪い合いで汲々としているのに、意識さえされてない「ポリティクス」に割り当てられる時間的リソースが欠乏するのは必然と言えます。
「ポリティクス」の時間的リソースがないことは、人々にとって、実行可能な政治参加が散歩レベルのリソース消費でできる「投票すること」ぐらいしかないこと、そして大きな選挙の時しか関心を持つ余裕がないこととつながっています。しかも、そうした「投票だけ」ですら、多くの人は行ないません。これはいやしくも民主主義社会の中で語られている「ワークライフバランス論」における重大な盲点であると思われます。
投票のような硬派な政治活動でなく、もっと温かく柔らかいイメージのある地域のボランティア活動のようなコミュニティ活動も同様の扱いです。「ラーニング」のところで保育認定が自己研鑽には与えられないという話をしましたが、一般的に保育認定はボランティア活動にも与えられません(自治体によるかもしれませんが)。お金をもらって働く活動なら育児を一時免除するのはやむを得ないが、無償のボランティア活動はダメだと言ってるわけです。冠婚葬祭やPTA活動など、他の非営利的な人付き合い活動もろもろも同様です。
これはすなわち社会的に
ワーク>ライフ>ポリティクス
という格付けがなされていることを意味します。
この上で雑に「ワーク以外の時間=広義のライフ時間」としてやってしまうと、身分の低い「ポリティクス」は、「広義のライフ時間」の中であっさり閑職に追いやられてしまうのです。もっとも、「ラーニング」や「レジャー」も同じように追いやられがちな側ではありますが、存在してる意識さえ薄い「ポリティクス」の方が決定的に最弱とも言えます。意識されなければ大事にされることはありません。
このように、一般的な「ワークライフバランス」の射程を見つめるだけでも、「民主主義はオワコン」とか「地域コミュニティは崩壊した」と言われるのも当然の悲しい現実が透けて見えてくるのです。そこにリソースが必要だという社会意識がないのです。
したがって、これからはせめて「ワークライフバランス」という雑な分類ではなく、「ポリティクス」を含めたバランスを考えるべきかと思います。そうでもなければ民主主義社会の維持はおぼつかないのですから(民主主義はもう捨てようというイデオロギーの方にとっては別でしょうけれど)。
まとめ
というわけで、一般的な「ワークライフバランス」をより細分化した「WLLLPバランス」というものを提案してみました。
もう一度振り返ると、
W: Work(ワーク)
L: Life(ライフ)
L: Learning(ラーニング)
L: Leisure(レジャー)
P: Politics(ポリティクス)
の頭文字をつなげ、そのバランスを考えようという概念が「WLLLPバランス
」です。このように従来の「ライフ」をさらに細分化することで、これまで軽視されていた人々の活動を見直す契機にしようというのが狙いです。
さらに細かく分けられるところもあるでしょうし、もっとこういう分類の方がよいというアイディアをお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、とりあえず叩き台として作ってみました。
また、本文中でも時々触れましたが、それぞれの概念は必ずしも背反ではありません。たとえば「ラーニング」(あるいは「ワーク」も「ライフ」も)が楽しくって「レジャー」を兼ね備えてるという方はもちろんいるでしょう。「ポリティクス」が「ワーク」になってる人もいるし、「ポリティクス」のために「ラーニング」してる人もいる。だから別にそれぞれが同時に成り立たないとかそういうことはありません。
極論すればYouTubeのキャッチコピーであった「好きなことで、生きていく」を突き詰めて、全ての人にとって「ワーク」が「レジャー」のようになれば、「ワーク」という概念そのものが消滅する未来もありえるかもしれません。
そのように活動を統合する試みは、すでに世間でも「ワークライフインテグレーション」などとして提言されているところではあります。ただ、最終的にそういう統合を目指すにしても、その肝心要の概念である「ライフ」の解像度が粗ければ、大事なものを取りこぼしかねません。「あ、ついうっかりラーニングやポリティクスを忘れてきちゃった、てへぺろ」ではまずいのです。
統合を図るのであれば、要素をとことん広く集めなければかえって危険でさえあるでしょう。「これで全部だ」と言いながら全然そろってないことほど恐ろしいことはありません。そして実際、現行の社会の感覚は視野が狭いのではないかという懸念は本稿で随時示してきた通りです。
だから、各種活動の全人的な統合を目指す上で、多少の重なりがあったとしても、結局はひとつのものになるとしても、今回の「WLLLPバランス」のように一度細かく整理することが最初のステップとして必要ではないかと思う次第です。統合するためにこそ整理するのです。
そうしたステップを踏んでこそ、最終的に過不足なく統合された真に広義の意味での私たちの「LIFE」が完成する。そのように江草はとらえているのです。
江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。