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働き方改革は働きたすぎる人たちのためでもある

働き方改革に対して誤解されてるなあと感じるのは、この改革が「もうこんなに長時間働きたくないのに働かされてる!」みたいな働きたくない人たちのためのものであるという認識です。

もちろん、そういう側面もあるんですけれど、この改革の意義を考える上で重要なのは、働き方改革が「もっと働きたい!」「ガンガンに長時間働きたい!」という人たちのためでもあるという点です。

すなわち、ワーカホリックな人たちに対しても、いえ、もっと言えばワーカホリックな人たちに対してこそ、この改革があるとも言えるんです。


まず、思った以上に、労働者個人にとっても長時間労働に向かうインセンティブは強いということを押さえておく必要があります。

ここではそうしたインセンティブになる点を3点挙げてみます。


一つ目、わかりやすいのは、残業代ですね。残業代や夜間の勤務は報酬が割り増しで与えられてるのは周知のことかと思います。だから、夜遅くまで残って残業するのはぶっちゃけ金銭報酬的には割りがいいんですね。

そもそもの割増賃金の目的は「長い時間働いたりしんどい時間に働いてくれでご苦労様」という意味ではあると思うんですが、その分単純に割りがいいので、お金をとにかく稼ぎたい人にとっては積極的に残業に入りたくなる効果も与えてると言えます。

生活残業という言葉もある通り、「割りのいい残業代」の存在を当てにして生活水準や住宅ローンなどを組んでしまったりするケースも知られてます。


次に、職場での評判です。あってはならないことですが、たとえ残業代が払われない、サービス残業であったとしても、労働者個人にとって長時間働きたくなる可能性はあります。その要因の一つがこの「職場での評判」ですね。

遅くまで働いてる人とか、長時間働いてる人とかを見ると、職場の周りの人たちは「彼(彼女)は頑張ってるな」と、ついつい一目置くことになります。長い時間働いていたり、他の人が嫌がるような時間帯や休日に仕事を積極的に受けることは職場での評判は良くなるわけですね。(「それに引き換え定時にさっさと帰るアイツはなんだ」という目線も別途存在するかもしれませんね)

打算的な観点で言うと、やっぱりこうした職場での評判というのは、後々の昇進や出世に好影響をもたらすでしょう。さっさと定時で帰る人よりは、熱心に身を粉にして組織(あるいは社会)のために働いている人の方が、より重要な立場に抜擢されるに相応しいと思う心理が私たちには無意識的に備わっています。

それに、そうした打算的な観点でなくても、単純に人には承認欲求がありますから、職場の周囲の人たちから感心、感謝されることは、本人にとってもとても嬉しく誇らしいことです。


最後に、仕事の経験値です。

当然ですが、長く働けば働くほど、仕事の経験値が積まれ、仕事のスキルが向上しやすいです。過労すぎると仕事の覚えがかえって悪くなるみたいな要素もあって本当はもっとややこしいのですが、まあ仕事時間が長いのですから、基本的には経験としては多くなりますよね。

加えて、上述の「職場での評判が上がる」という要因から、高度な仕事や大きな仕事にアサインされやすくもなりますから、長時間労働者の方がより仕事の経験を積みやすい傾向があると言えましょう。

スキルが上がるというのは、労働者個人にとってみると、人的資本主義、キャリアアップ志向の社会に置いて、垂涎の強みです。ぜひ、スキルを上げたいと多くの人が思っています。

極論、本人のスキルが上がってなくとも、「こんな大プロジェクトを担当したことがあります」と過去の業績として語れるだけで、対外PR時の強みになったりもしますね。


そんなわけで、「残業代」「職場での評判」「経験が積める」などの要素から、案外労働者個人にとって「もっと働きたい」とするインセンティブが強いことが分かると思います。

ここで、仕事自体に対して、しんどいとか辛いとか面白くないとか、ネガティブな感情を持っていればまた違うと思いますが、仕事が楽しいです、とか、面白いですとか、仕事大好きな人であれば、なおのこと「もっともっと働きたい!」となるわけですね。好きな仕事ができてる上に、上述のインセンティブもあるんですから。


でも、だからこそちゃんと仕事をセーブすることを考えるべきという可能性もあるわけですよ。

そんなにも働きたい要因が揃っているなら、気付かぬうちに働きすぎてしまうことは十分あり得るわけですから。

健康面が一番わかりやすいですよね。あまりに働きたすぎて、働きまくって睡眠時間も削りに削って、ついには倒れるみたいな。

ワーカホリックって、要するに仕事依存症ってことですけど、依存症というのはそういうものじゃないですか。どうしてもそれがしたくてしたくてしょうがなくて本人にも止められない、だから依存症です。

ワーカホリック(依存症)という言葉自体にネガティブな含意があるので、ちょっとトートロジー的ではあるんですけれど、長時間働きたいからドンドン働くということが本当に良いことなのかどうか、依存症の域に達してないか省みるためにも、あえて働く時間に上限を設けることを再確認する働き方改革の意義はあるでしょう。

何も、仕事を辞めろとか、働くのは良くないとか、そんな過激なことを言ってるわけではなく、「働き過ぎは止めよう」と言ってるだけのだいぶ穏当な話です。仕事が楽しすぎて、そして働きまくるのが合理的すぎるからこそ、依存症予防に制限を設けるというのはさほど変な理屈ではないと思います。

ゲームが楽しすぎて、ログインボーナスのために毎日ログインするのが得だという話であれば、そこに依存への道が開いてることはみんな気づいているでしょう?

その理屈を仕事にも適用しようというわけです。


あと、そもそもからして本来は被雇用者は勝手に働きすぎてはいけないんですよね。

医師みたいに裁量権の強い職種にありがちですけれど、勝手に残業してる労働者がいます。残業命令が出ただとか上司に残業しますとか確認するまでもなく、残業している。もちろん、仕事量がめちゃんこ多いので、残業前提の職場文化になってるのは確かなんですけれど、一応、本来は残業命令をもって残業するものですから、勝手に労働者の判断で残業していいものではないんですね。

「もっと働きたい人だっているんだ!働き方改革なんかで仕事したい人を妨げるな!」という声はしばしば聞かれます。先ほど挙げたように様々な強力なインセンティブがありますし、純粋に仕事に意義とやりがいを見出しているのでしょうから、気持ちは分かります。

でも、この主張は、勝手に自分でいくらでも残業する権利があるかのように語ってる点で誤っています。「働きたいから」といって働けるものでは元々ないんですよ。

あくまで、組織の管理のもとで雇用されてる立場であれば、組織側の許可なく「働きたいから働ける」なんてことはありません。(無職の人が「俺は働きたいから雇え」と企業に強要できないのと同じです)

だいたい、本当にどうしてももっと働きたいのであれば、起業するなり、個人事業主になる道がありますしね。(もちろん事実上の雇用関係にあるようななんちゃって業務委託とかではダメですよ)

だから、「働きたいからもっと働かせろ」という「働きたすぎる人たち」に、被雇用労働にはあくまで制限があるんだよということを、再確認させる意味も働き方改革にはあると言えるわけです。


もっとも、組織側にも「もっと働かせたい」という強いインセンティブがあるために、働き方改革自体が歪められて、その実効性が危ぶまれてるところではあります。

だから、なかなかうまく言ってるとは言い難いのですけれど、それでも一応理屈の面で言えば、働き方改革にはこうした「働きたすぎる人ワーカホリックたち」を止める意義があるんだよということをご紹介しました。

まあ、なんとか理念通りに上手い感じに進んでくれるといいのですが。

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