見出し画像

少子化と子ども関連事業縮小の悪循環

最近、家の近くにあったファミリーフレンドリーなレストランが閉店して、新しくオシャレなレストランに生まれ変わりました。確かにとてもよさそうなお店で、江草としても行ってみたいなとは感じます。

ただ、夜遅くまでやってることを売りにするなど、いかんせん大人用の雰囲気のお店になってしまい、子連れでいくのは難しそうです。

正直なところ、また一つ家族で行ける場所の選択肢が減ってしまったなと残念に思っているというのが本音です。

もっとも、レストランの経営者の心理も分からないでもないのです。世の中ではますます少子化が進んでいますから、当然の帰結として子連れでのレストラン利用のニーズも減ってしまったと考えられます。だから、子連れ家族をターゲットにするのはあきらめて、より売り上げが見込めるオシャレな大人のレストランにリニューアルしようというのは、経営者としては妥当で合理的な判断であったと言えるでしょう。

おのずとニーズが乏しいものからは手を引いて、ニーズが高いものに注力する「神の手」の御業みわざ。これぞ市場原理が謳う効率化と合理化の真骨頂です。ただ、その結果として、子連れ世帯の不便と不遇がますます増強されるというだけで。


実際、こうした少子化に伴う子ども関連事業縮小の現象は江草の近所のレストランだけに限りません。

たとえば、お隣の韓国では急激な少子化の進行で小児科経営が成り立たなくなり、他の科への転科サポートまで始まりました。


また、「保育園落ちた日本死ね!!」で待機児童がにわかに社会問題として注目されたのは皆さんにも記憶に新しいところかと思います。ところが、今や、保育園が急速に増設された一方で少子化が進んだことにより、逆に定員割れして経営難に陥る保育園が出現してきているということが報道されています。


このように、少子化が進んだせいで、子どもや子連れ家族をターゲットにする事業の経営が成り立たず撤退するという現象が様々なところで発生しているようなのです。

先ほども延べたように、確かにこれは経営的には合理的な判断です。利用者がいないのに店(あるいは医院や保育園)を営業しているのはもったいないし無駄であるとみなされるでしょう。そういった無駄なことにお金が流れずに排除されるのが"No work, no pay"をモットーとする市場原理による「無駄の削減」の効果です。何もしてない者や何も成果を出してない者にお金を渡す必要はないのだ、と。

ところが、子ども関連の商品やサービスが撤退していくと、当然ながら子育て環境や子育て体験(エクスペリエンス)は着実に悪化していきます。江草家族が近所のファミリーレストランがなくなってしまったことに落胆しているように、子ども関連事業の撤退が世の中で進めば進むほど「子育てしにくいな」と親は感じますよね。

体感だけでなく、実際に金銭面でも負担が増加する可能性が高いです。物品を大量に作ることで単価を安く済ませるという「規模の経済」が少子化が進むと破綻するからです。子ども関連の商品の市場規模が縮小すれば、商品を大量に作ることができないので、子ども関連商品の単価が上がると予想されます(ついでに種類の減少も伴うと思われます)。そうすれば、おのずと育児家庭の金銭面の負担が増すことになります。

育児環境が悪化し、金銭面での負担が増し、その結果「子育てしにくいな」と子育て世代の人々が感じるようになれば、当然それは少子化の助長につながります。すると、少子化が進んでますます採算が取れないとして子ども関連事業の撤退が進むわけです。で、ますます育児環境が悪化して少子化が進み……。

少子化と子ども事業縮小の恐ろしい悪循環がここにあります。

この問題が厄介なのは、繰り返し述べているように経営的(あるいは市場原理的)にはこれがとても合理的な現象であるからです。流行ってないレストラン、暇そうにしてるクリニック、子どもがほとんどいない保育園などは、確かにある種の「無駄」ですから。

実際、私たちは「無駄を削減すべき」と言う声を聞かない日はありませんよね。そしてそれが正しいと私たちは信じています。だから私たちは堂々と「無駄を削減する」。

ところが、だからといってそれらを除去すると、ますます世の中でそういった「無駄に暇そうな事業」が増えるのです。そこに「無駄」という名の「余裕」がないと「子ども」という業界の新規顧客が(文字通り)生まれなくなるからです。不採算部門の彼らに市場の淘汰圧をかけることで、顧客をも淘汰してしまうのです。

これは別に変な話でもないのです。たとえば、ある地域で観光客を呼び寄せたいと考えていたとしましょう。観光客を呼び寄せようとする時、先に魅力的な観光スポットや宿泊施設や交通システムを整備するでしょう。この時、観光客を歓迎する体制がまず先立ってこそ観光客が来てくれるのだと私たちは考えてるわけです。

当然、環境整備に初期投資した分は、投資当初の観光客が増えてくれない場面では、暇で無駄に見えますが、コレは長期的目線では必要な投資と言えます。たとえ閑古鳥だからといって、それを閉めること(しかも他の観光資源に投資転換することなく)はすなわち観光客を呼び寄せるのを諦めたことと同義です。

この店じまい的な現象が育児環境に現に起きてしまってるのではないかと江草は懸念するのです。子ども関連事業の縮小は、それはもう「子ども」という新たな訪問者が来ることを諦めたこと、もっと言えば拒んでるようなものではないでしょうか。

もちろん、初期投資が功を奏さず、失敗が明らかになったまま赤字を垂れ流すのは必ずしもいいことではありません。初期投資の損を受け入れられず、より大きな損失にまで至ってしまうコンコルド効果も知られていますし。

ただ、こと少子化問題に関しては、投資を断念し子ども関連事業を縮小してしまうのは極めて危険だと思うのです。

まず、この悪循環問題は子ども関連業界以外にも波及しうる恐ろしいパワーを秘めています。なぜなら、一見子どもに関係ない他の業界であっても、「子ども」が成長した結果としての「大人」や、ひいては「高齢者」をターゲットの顧客として抱えているからです。

「子ども」が減れば、ゆくゆくは全ての業界の顧客が消失していきます。だから、少子化問題というのはある意味引くに引けない総力戦的なところがあります。

また観光で例えるならば、「子ども」という「観光客」を呼び寄せるのを諦めて「観光業」以外の事業に移ろうにも、他の全ての事業も「観光客」が来ないことにはどうしようもない状態という厳しい条件下にあるわけです。

それに、少子化問題特有の事情を鑑みれば、子ども関連事業の「投資」が失敗であった、あるいは過剰であったとか、不要であるなどと判断するのは現時点ではあまりに早計であるという点もあります。

というのも、母となりうる年代の女性の人口からして減少傾向で、そして今からその人口を増やすこと(自然増)は不可能である(私たちは大人の人間を直接生み出すことはできないから)以上、たとえどれだけ少子化対策が奏功していたとしても、それでもなお当分の間少子化が進行するのはもともと想定されてることだからです。つまりは想定の範囲内の事態なのです。

そんな想定の範囲内の「子ども」減少に対して、子どもが減ってるのにやるのは無駄だからと子ども関連事業を縮小してしまうのは、子ども関連事業自体の責任でない自然なトレンドを、なぜか子ども関連事業に責任を取らせているようなものです。

むしろ今は、観光振興プロジェクトのように、離れていった「子ども」を呼び戻すためにこそ、子ども関連事業の充実が必要な場面ではないでしょうか。観光客が減るたびに「歓迎」の横断幕を捨てていくような観光地に魅力があるとは思えませんし、それに、宿泊施設のキャパ以上には観光客はどうしたって来られないのですから、キャパをどれだけ確保しているかが歓迎する側の意欲と度量を反映してると言えるでしょう。

なので、少子化と子ども関連事業縮小の悪循環を断ち切るには、つまるところ、私たちの「経営合理性」を一度手放す必要があるでしょう。すなわち「無駄を削減すべき」の原則を止めなくては、このループから逃れることはできません。この事業は極めて重要だから採算が取れないからといって簡単に縮小させないという強い意志が必要となっています。そしてもちろん継続のための具体的な資金サポートも。

そういったあえての不採算部門へのサポートを「無駄を放置している」のではなく「余裕を保っている」とか「必要な投資である」ととらえ直すことが大事です。自分たちの育児環境に「余裕がある」「歓迎されている」「期待されている」と思えなければ、子どもを産み育てたいと人は思わないのですから。


以上、目の前でファミリーフレンドリーな店が消えていった様を見て落胆した1人の父親のただのボヤキです。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。