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韓国医学部定員増員騒動に見る医療界改革の難しさ

ここのところ、韓国で医学部定員を巡って大騒動になってるそう。

医師の働き方トピックに強い病理医の榎木英介先生がXでポストしてくださってて知りました。

めちゃざっくりまとめると、将来の医師不足を見越して医学部定員の増員を強行した政府に対し、医師団体が反発。中でも若手の研修医たちが一斉退職する事実上のストライキ的な抗議行動に打って出たために、医療現場が回らなくなりおおわらわとなってるという状況のようです。

現在進行形の、明日にはまた状況が変わってるかもしれないぐらいの生々しい騒動です。(最新情報は榎木英介先生のポストをフォローされるのが良いかと)


江草はあくまで韓国の医療事情には詳しくはないのですが、この騒動を見ていて、「これだから医療界の改革というのは難しいんだよなあ」と日本にも共通する難題を改めてしみじみと感じさせられてしまいました。

韓国では医学部定員増を政府が強行するという動きになりましたが、日本ではむしろ真逆で医学部定員は削減していこうという動きで政府は進めています。

ちょうど日本の医学部定員の議論については先日この記事で紹介したところです。

この記事の雰囲気からもお分かりの通り、江草としては日本でも本当は医学部定員増をすべきところなんじゃないかというのが本音なのですが、現状としては医学部定員削減の方向が既定路線となっているわけです。

これ、結果としては日韓で真逆の政府対応となってはいますけれど、問題の構造としては見た目ほど差はないと考えられます。

韓国で定員増施策に対する医師の大反発が発生して大騒動になってることにも表れてる通り、医学部定員増に対しては医師業界は基本的に反発する傾向があります。現に日本でも医師会は定員増に反対する姿勢を貫いていることは業界内では常識として知られています。

反対する理由はいたって単純です。医学部定員が増えるというのは要は医師が増えるということです。医師が増えるということは医師同士で競争が激化したり、単純に医療費というパイ全体を分け合う人頭が増えるために収入が下がる恐れがあるわけです。できるだけ新規参入者を抑えて競争から逃れることと自身の希少価値を保つことを図りたいというのは、ある意味どこの業界でも見られる人間のサガというものでしょう。

ここで、そうした医師業界の定員増に対する反対勢力が強力であるためにそれに政府が負けて「定員減の方向性になってる」のが日本で、医師業界の定員増に対する反対勢力が政府の定員増支持勢力と拮抗しているがためについに紛争に突入したのが韓国、と見ることができるわけです。どちらも医師業界が定員増を嫌っていることは変わらないけれど、それが政府を圧倒させるほどの力があるかどうかで明暗が分かれただけではないかと。

つまり、日本ほどは医師業界の権力が韓国にはないのだろうなと、今回の騒動から推察されるということです。


もちろん、医師増員は既存の医師にとってデメリットだけでなくメリットもあるんですよね。

たとえばこの記事でも言われてる通り、医師に常態化している過剰労働の問題を緩和するには医師が増えることが必要なはずです。

もっとも、これはあくまで「理屈の上では」というところがあって、医師を増やしても本当に医師不足に悩む地域や科には誰も行きたがらないがために結局は医師不足のままという医師偏在問題が知られています。

だから、医師増員は、それだけでたちまち医師過剰労働問題解決の十分条件であるとは決して言えないのですけれど、単純に全体の人数が足りなければどうしたって労働時間を削減できないのは明らかなのですから、必要条件であるとは言えるでしょう。


ただ、こう言うとなんですけど、多くの医師にとって、実のところ労働時間が長いことよりも収入減の方が嫌がられるんですよね。「収入が減るぐらいならたくさん働きます」となりがちなんです。

特に韓国なんかは日本以上に受験戦争が激しいと聞きますから、医学部に入るのにとてつもない労力やお金をかけていることでしょう。就職先の格差が著しい中で、高収入かつ安定職である医師が人気になるのは必然とも言えます。だからこそ、多くの人たちがこぞって医師になるのに多大な労力やお金をかける。ご存知の通り、日本でも医学部人気が止まることを知りませんし、巨額の私立医学部の学費を払ってでも医師になろうという人はたくさんいますから、構造としては韓国と同様でしょう。

でも、これは逆に「多大な労力やお金をかけて医師になったのだから高収入と安定が保障されないと嫌だ」というロジックにも転換するわけですね。苦労してコストもかけて医師になった途端に「ハシゴを外されては困る」。

これは必ずしも「強欲だから」というわけでもなくって、奨学金等々で実際に借金を負ってる人もいるので、本当に本人にとって死活問題であったりもします。あるいは日本の地域枠制度のように借金をカタに自身の基本的人権を売り渡させられてる人たちにとっても、その我慢が報われないのは容認できない事態でしょう。

だから「収入が減るぐらいならたくさん働くから医師をこれ以上増やさんでいいぞ」と、こうなるわけですね。

医師が高収入で安定職であるからこそ競争が激しく、競争が激しいからこそ既存の医師にとって医師は高収入で安定職であり続けねばならない、という強固なスパイラル構造がここにあります。

なので、このスパイラルに切り込む医師増員施策というのは非常に難しいんですね。


で、今回の韓国の騒動を見ても分かる通り、いざ医師業界に対し改革のメスを入れようとした時、招く反発がまた凄まじいわけです。病院から若手の研修医や専攻医が一斉にいなくなってしまう。これは、当然ながら患者の方々の生命や健康を脅かすことになります。悪い言い方をすれば「医師は患者を人質に取れる」わけですね。

日本の医療従事者は大人しいのでなかなかここまでのスト行動には出ないですけれど、本当に追い詰められたらこんな最終手段が採れるという意味で、医師というのは実のところ人々の生殺与奪権を握ってるすさまじい権力者集団であるわけです。医師たちを怒らせたら大変なことになりかねないから、政府や国民も下手に手を出せない。ちょっと露悪的な表現になってはいますけれど、実際にそうであることは否定できないかと思います。

韓国と異なり日本では政府が定員増の強硬策に打って出てないのは、先ほども言った通り医師業界の権力の強さの差の背景もあるかもしれませんが、医師業界の逆鱗に触れることを嫌って穏便に改革を進める方針を選んだという側面もある可能性があります。実際、定員増の話は進めないまでも、日本政府も医師の働き方改革をじわじわ進めようとはしていますから(これが上手くいってるかどうかはまた別の問題としてありますが)。

つまり、強行策を採る強気の性格の韓国政府と、穏便な策を採る慎重な性格の日本政府という違いもいくらかあるんじゃないかなと。


で、韓国の今回の騒動を見ていると、穏便に改革を進める日本政府のやり方の方が賢そうにも見えるとは思うのですが、これはこれで問題があるんですよね。

というのも、既存のステークホルダーたちに配慮して穏便に改革を進めるのは、穏便であるがゆえに遅いんですよね。遅々として進まない。確かに改革をしてないわけではないんですけれど、ただただそれが遅い。

ゆっくり進めても問題ない改革だったらいいんですけれど、たとえば周囲の環境が変わってるからこそ実行しないといけない改革だった場合、自身が行ってる改革以上のスピードで周囲の変化が先行してしまうと、全然周りに追いつけなくって歪みは広がりっぱなしになるわけです。結局、それは問題解決を多少先延ばししてるだけなんですね。


こうした、穏便に進めないといけないがために改革のスピードが出ずに、結局ジリ貧になってしまうのは、歴史上でも見られる典型的な組織衰退パターンだったりします。

この衰退パターンを紹介されてるのが、人気Podcast番組「COTEN RADIO」の最新シリーズ「ケマル・アタテュルク編」です。

ケマル・アタテュルクは崩壊するオスマン帝国の中からトルコ共和国を打ち立てた人物ですが、このオスマン帝国衰退史がまさにこの「遅々として進まない改革」の好例なのです。

イエニチェリというかつてオスマン帝国の繁栄を支えた軍団が、オスマン帝国末期になると、保守的な既得権益層として改革をどんどん潰してしまう勢力として君臨するようになってしまうんですね。

強まる欧米列強の脅威に立ち向かうべく、オスマン帝国は近代化改革を急速に進める必要があったのですが、改革がイエニチェリに潰されてしまうので、全然進まないわけです。

正確に言うと全く改革がなされてないわけではないのですが、イエニチェリなどの既存のステークホルダーたちに配慮しないといけないせいで、とてつもなく歩みが遅い。それで結局、改革が追いつかないまま、ボコボコになったオスマン帝国は最後は滅亡の憂き目に遭うことになります。

番組内でも述べられていましたが、このように、既存のステークホルダーたちによる絶妙なバランスが確立しちゃってる組織で改革を進めるのは本当に難しいんですね。

抜本的な改革をしようにもそのバランスを崩すような改革はすぐに潰されちゃうので無理。かといって、抜本的改革をしないと外部要因に対応できなくなって、結局は衰退ひいては滅亡に至る。ダブルバインドにハマった組織が否応なしに衰退していく一つの典型的パターンがこれなわけです。

改革の必要性が分かっていても改革できず、ただ衰退していくのを眺めるばかり。なんとも無情な光景です。


江草はどうしても、医師業界にこのオスマン帝国衰退の姿を重ねて見てしまいます。

他業界に遅れること5年も猶予を与えられた働き方改革に結局対応できない時代遅れっぷり。抜本的改革が必要なのは明らかですが、改革を強行すると韓国のように大混乱をきたすし、既存バランスに配慮して穏便にやろうとすると結局は改革が遅々として進まない。

こうして古いまま沈んでいく業界になってしまうのだろうか。

江草としてはそう嘆息するばかりなのです。

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