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『高学歴親という病』読んだよ

強すぎる虚栄心は、ともすれば他者への差別意識につながります。高学歴で完璧主義の親御さんが「わが子に自分と同じ道を辿らせてあげないと不幸になる」と思い込む裏には、差別と偏見がある気がします。
高学歴のお父さんなどが「このままじゃいい学校に行けないぞ。大変だぞ」とわが子に発破をかけます。学校の先生も同じことを言います。ここには「いい学校に行かないヤツはダメな人間」という差別意識が隠れていないでしょうか。

成田奈緒子『高学歴親という病』


成田奈緒子『高学歴親という病』読みました。


曲がりなりにも江草は医師という世の中では「高学歴」とみなされる職業をしています。周りも医師ばっかりですから、自然と医師家庭における子育てや受験に関するウワサ話を小耳にはさむこともあるわけです。中にはなかなかに恐ろしい話も含まれてたりして、育児というのはほんと難しいものだなあと、その都度自身への戒めとしているのです。

そんな折、先日たまたま目に入ったのがこの本『高学歴親という病』でした。自身も子育てをする身となりましたから、育児教育関連の情報収集には興味津々なのです。つい、買ってしまいました。

帯に、言わずと知れたノーベル賞受賞者の山中伸弥先生の顔写真がバーンと出ているので一見山中先生の書籍かと思わせるのですが、そうではなく山中先生の同級生であった医師の成田奈緒子先生が著者になります。ややこしいですね。
とはいえ、いずれにしても同業者の著作ということで、自身の子育て戦略の糧にするにもちょうどいいだろうと思ったわけです。

本書はなかなか煽りタイトルですが、内容はそのままその通りで、子育てで「高学歴親」が陥りがちな落とし穴をドンドコドンドコ紹介していく形式です。「なんかこれ似たような事例を聞いたことあるぞ」というのがちょいちょい出てきて面白かったです。


本書はデータやエビデンスみたいなのがガシガシ出てくるロジカルタイプの書籍ではなく、「こういう方がいた」とか「こうしたらこうなった」とか「私はこう考える」系の体験談的ナラティブ語りタイプの書籍です。著者は「子育て科学アクシス」という子育て支援事業の代表をされており、その事業を経て得た経験を本書の基礎とされています。

この辺のナラティブな感じは「何事もエビデンスベースドであるべき!」という向きの方には不満が募るところかもしれませんが、江草的にはこれで良いと思っています。
まず、子育て方針という分野において到底そんな頑健なエビデンスが得られるとは思えないので、色んな先達の方々の育児経験談をいっぱい聞いた上で結局は自分たちで考えながら臨機応変に育児するしか無いだろうというのがひとつ。
それと、なんでもかんでもエビデンスと言って数値やデータばかり追ってしまうのもまさしく「高学歴親しぐさ」なんじゃないかと思うからです。

で、そんなナラティブベースの文章なのと、新書らしいボリューム感で、さらりとライトに読める一冊でした。全般ネット記事とか週刊誌の記事みたいな雰囲気の文章が集まって本になってる感じです。
堅苦しくなく読めるので、忙しい時分にほどよい気分転換になりました。
単純に個人的にもともと共感できる主張も多かったので、ウンウンと頷きながら読んでました。


本書を通じた著者の成田先生の立場をおおまかに言えば、高学歴親にありがちな子どもへの早期教育や習い事の詰め込みには批判的で、睡眠時間の確保や運動の推進など、まずは自然的原始人的子育てから始めることを推奨している感じです。
ルソーの『エミール』的な雰囲気とも言えそうです。

著者は高学歴親の三大リスクは「干渉」「矛盾」「溺愛」であると指摘します。マイクロマネジメントをして、自分の事は棚に上げて、リスクを取らせない、という感じですね。確かに、部下が育たないダメな上司の典型みたいな姿と言えるでしょう。しかもこれがいわば「部下が絶対に失敗しないで済むように」という愛情の裏返しだからこそたちが悪いわけです。

そして、高学歴親が子どもを信頼できない三要因として著者は「完璧主義」「虚栄心」「孤独」を挙げています。
とくに、冒頭の引用文にもあるように、高学歴親はプライドが高く、「虚栄心」つまり見栄っ張りなところがあるせいで、子どもにも自分たちと同じような学歴や年収を求める傾向があるというのは、江草も実際よく感じるところです。


ちょうどこの本の読書と同時に、同様の指摘をされているこの記事も読みまして。

米国エスタブリッシュメントで年収20万ドル×2馬力(世帯所得上位2%)程度の夫婦でも生活が苦しい、スーパーで卵の値段が高いことに文句を言っている等といった記事が出ているが、その理由は自分の子供にも相対的な上位階級の豊かさを継承させようとすることにある、としている。

Compared with the old establishment that survived on inherited wealth and social position, they are insecure, and many worry that their offspring will be downwardly mobile, which leads them to spend virtually all of their outsize disposable incomes on preparing the children to become star performers in the next round of competition. (富と社会的地位を継承できた古いエスタブリッシュメントと違い、彼ら[今のエスタブリッシュメント]は不安定であり、多くの人が自分たちの子孫が[社会階層を]下方移動すると心配しており、次世代の競争でわが子がトップの稼ぎを挙げるよう可処分所得の残額をほぼそのためにつぎ込んでしまう)

メモ - 「勝ち組を継がせる」という悲しき渇望
(※2つ目のは引用記事中の引用文の箇所なので実質孫引きですが)

「我が子に自分以下の生活レベルに落ちてほしくない」と高学歴親は(それこそ多分な愛情を持って)心底願うからこそ、札束で殴り合う総力戦が繰り広げられている受験戦争に家庭ごと出征していってしまう。だからこそ、仮に高所得家庭に児童手当などの公的扶助を増加させたとしても、その増加分もたちまち軍拡競争の中で消費されてしまうだろうというわけです。
この状況はまさに「悲しき渇望」ですし、そして「高学歴親という病」と言えましょう。

このあたり、ちょうど今政府で児童手当の所得制限をどうするかでてんやわんや議論してるのでタイムリーなトピックとも言えます。
仮に所得制限を撤廃したとしてもオーウェル『1984年』で描写されている無為な消耗戦争のようにただ露と消えていくだけなら制限撤廃など必要ないという主張も頷けます。
ベーシックインカムに対して「金をあげてもどうせ底辺のやつらはパチンコとかムダなことに使うだけだ」という批判がよくなされますが、所得制限撤廃に対しても「金をあげてもどうせエリートのやつらはSAPIXとかムダなことに使うだけだ」と全く同型の批判がなされるというのはなんともシュールなところではあります。


脱線が過ぎましたけれど、そんなこんなで、実際の育児現場や国の育児政策にも多分に影響が出ていると考えられる「高学歴親」特有の病理があるのは否めないところがあります。

本書で出てきた数々の怖い事例を見て「愚かなやつらだなあ」と笑うのは簡単ですが、「自分が詐欺に騙されるわけがない」と言う人ほど往々にして詐欺にやられると言われるように、「人の振り見て我が振り直せ」の精神で切実にこれらの例を受け止める方が賢明なのでしょう。

いやー、ほとほと育児というのは難しいですね。

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