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残業代を増やすよりも残業税を課そう

語ったな!僕の前で労働時間と少子化対策の話を!

以前ご著書の『独学の地図』の感想文も書かせていただいた荒木博行氏のVoicyで、先日、京大の柴田悠教授のゲスト回があったんですね。

このトークの中で柴田教授が持論の「(男性の)長時間労働削減が少子化対策になるよ」という話をされてたのです。

柴田教授は以前この記事で同様の主張をされていたのを読んだことがあり、なかなか興味深い提言をされてるなと、江草としてもかねてから注目していた先生です。

主旨としては、少子化対策には男性が長時間労働をしないようにして夫婦で共働き共育てをするスタイルにすることが大事という主張です。なんなら、長時間労働しないで1日6時間労働にする方がGDPも上がるよと。

フォロワーさん方はもう重々承知の通り、江草もまさに労働時間の削減での少子化対策を支持してる立場ですから、柴田教授の主張は基本的に賛同するものです。

ただ、逆にと言いますか、江草はこの話題にあまりにこだわりが強すぎるのもあって、正直なところ、柴田教授の論にもちょっと引っかかる点があるんですね。

その引っかかる点と言うのは、柴田教授が今回のVoicyで語られてる「長時間労働を削減するために残業代の割増率を上げよう」という提案です。

気持ちは分からないでもないんですが、江草個人的には、これはちょっと同意しかねるところがあります。

良い機会なので、今日は残業代についての江草の私見を語っていくことにいたします。(本当はGDPとか生産性の考え方にも色々ツッコミを言いたいのですが、今回はこの残業代についてだけにしておきます)


さて、残業代割増率。日本が25%から始まるのに、諸外国では往々にして50%から始まるので、日本の残業代割増率は甘くて企業に有利すぎるというのは、以前からしばしば聞く話です。

安く労働者を使えるなら、人を増やさずに今居る労働者を長く働かせて済まそうと経営者は考えるので、それで長時間労働になるよというわけですね。

そこで、残業代の割増率を諸外国並の50%に上げることで、企業側の負担を大きくすれば、長時間労働を抑制できるだろうと。

こういう案が出るのはまあ自然です。そして、今回の柴田教授の論はまさにこれなんですね。

確かに、残業代の割増率が上がると、事業者側の人件費負担が高まるので、残業の抑制効果はありえるとは思います。下手な残業されるよりはさっさと定時で帰ってくれと思うでしょう。

ただ、他方、残業代の割増率が高まるということは、労働者目線で言えば残業の魅力が高まるということでもあるんですね。定時で帰るよりも、残業した方ががっぽり稼げる、とそうなるわけです。

そう、残業代が上がるというのは、事業者目線では残業を嫌うインセンティブになるかもしれませんが、その反面、労働者目線では残業にインセンティブがつくとも言えるわけです。

しかも、残業代の割増率が上がるということは、その基となる基本給の高低が収入を左右する効果も高まるということでもあります。基本給の差が、1.25倍よりも1.5倍の残業代になった方が余計に強調されますよね。

これがどういう影響をもたらしうるかというと、共働き夫婦のベースの給料に差があった場合、より給料が高い方が長時間労働して、より給料が低い方が家のことに対応しようという、夫婦間役割分担のインセンティブがより強まると言うことになります。

たとえば、子どもが熱発してどちらかが対応しないといけないとした場合、わざわざ高額の残業代を捨てるのは惜しいので、給料が高い方の夫が仕事を続けて、給料が低い方の妻が仕事を休むことにする方が、家計目線では合理的になるわけです。(あくまで例なので別に男女逆でもかまいませんよ)

だから、残業代の割増率の増加は、社会全体の長時間労働の削減にはもしかするとつながるのかもしれませんが、夫婦の収入差を強調する効果を伴っているだけに「共働き共育て」というビジョンにとってはむしろ逆効果になる恐れはあるでしょう。

時に、ノーベル経済学賞を受賞したゴールディン氏が「グリーディージョブ(どん欲な仕事)」という概念を提唱されてます。

クラウディア・ゴールディン『なぜ男女の賃金に格差があるのか』

この「グリーディージョブ」は、長い時間働けば働くほど時給が上がる意味が込められていますが、この特性はまさに残業代の割増率が上昇することで強化されるわけです。

で、ゴールディン氏は男女の賃金格差の原因として、子どもが生まれることで、片方がグリーディージョブ(仕事へのフルコミット)に邁進し、片方が家事育児の緊急対応役になる(柔軟な働き方になる)という役割分担が発生するからと指摘しているわけです。ご想像の通り、前者が往々にして男性で、後者が女性になりがちなんですね。

ひどい話のようですが、これはグリーディージョブが経済的に有利だからこそ、家庭戦略として合理的な判断になってしまってるんです。夫婦二人共がグリーディージョブを諦めるのは家計として不利になるからこそ、どちら一方がグリーディージョブを選ぶことになると。

ここで残業代の割増率を上げるのは、ゴールディン氏が問題視するグリーディージョブのグリーディーさを助長すること(賃金格差を強調すること)に他なりません。だから、共働き共育てというビジョンには残業代の割増率の上昇は逆効果になりうるわけです。

実際、アメリカも残業代の割増率が50%ですけれど、かの国こそ長時間労働の傾向がなくなってないですしね。(なんならゴールディン氏はアメリカの経済学者)


なので、共働き共育て文化の醸成により少子化対策を図ろうというのであれば、「残業代の割増率を上昇させたら経営側が嫌気して長時間労働を抑制するだろう」ぐらいの見込みでは不足(心配)で、その反対側にある「家計における長時間労働(グリーディージョブ)の優位性」をも抑制しないといけないと思われるんですね。

そこで、柴田教授の提案の「残業代の割増率の上昇」に代わって、江草が提案したいのは「残業税の導入」です。

そう、その名の通り、残業代に税金をかけちゃいましょう。

そうすれば、事業者的には労働者を長く働かせると税負担が増して割に合わなくなるし、労働者側も長く働いてるのにもらいがすくなくなるので割に合わない、となります。

双方ともに残業のインセンティブが減るわけです。これこそ、本気の長時間労働抑制策でしょう。喫煙習慣を抑制したいときにタバコに税をかけるのと同じです。残業を抑制したいなら、残業に税金をかけるべきなのです。

(投稿後補足追記)ここでの残業税は、たとえば柴田教授が提言してた25パーセント分の残業代の割増増強分をそのまま残業税として事業者に追加で課すイメージで、現行の残業代のまま、その中で労働者に課税するイメージではありません。これにより労働者側の報酬体感は変わらず、柴田教授の主張するような残業人件費負荷の増強効果が見込めるわけです。


残業税、別に江草のオリジナルのアイディアというわけでもありません。

2017年にはそのものズバリなタイトルの『残業税』という小説が登場していたりします。

これ、残業税が導入された日本社会という設定で、税務調査員と労働基準監督官がタッグを組んで、残業税の「脱税」とブラック労働の捜査をするお話です。(「ブラック企業」が流行語になったのが2013年なので長時間労働が問題視され始めた当時の流れを汲んでいるのでしょう)

そう、残業税が導入されると、サービス残業や残業時間の不申告は「脱税」なんですね。

現行だと、なんだかんだ「長く働くのは偉い」とか「報酬がなくとも自主的に働くのは偉い」みたいな勤労主義の雰囲気ありますでしょ。でも、残業税が導入されれば、そういった勤労主義精神と別の視点(税務)から労働時間にメスを入れることができるわけで、その点もメリットなのです。いくら働くことが道徳的に偉かろうと、脱税したらそれはそれで罪ですからね。

なお、この小説では、残業税を逃れようとする企業(あるいは労働者)との知恵比べが次々と展開されるので、残業税が実際に導入された社会をシミュレートする思考実験として非常に興味深い内容となっています。


さて、こうして残業税は小説にもなってるとは言えど、逆に言うと小説止まりでもあります。現実の社会で導入された例や、導入が試みられた例は、どうも残念ながらなさそうです。

ただ、こうして少子化対策が待ったなしの状況になっていて、それで柴田教授も「長時間労働削減が必要」と言ってる場面なのですから、いっそのこと残業税を現実の策として考えてみてもいいんじゃないかなと。

もっとも、アイディアとしては成立しても、導入への政治的ハードルは高いと言わざるを得ません。

なんなら、比較的オーソドックスな発想の「残業代の割増率引き上げ」でさえ、提言してる柴田教授自身、政治的なハードルがあることを課題として挙げてらっしゃるわけですから、言わんやあまりに斬新なアイディアすぎる「残業税」をや、というものでしょう。

まあでも、アイディアを出すだけならタダですから、こうして語ってみても損はないと思った次第です。



余談ですけれど、なんなら、残業税をベーシックインカムの財源に充てるのも面白いと思ってます。(基礎部分というよりは変額する部分のシステムとして)

この場合、みんなが残業すればするほど税金が増えてベーシックインカムが増額できます。逆に、それがばかばかしくなってみんなが残業しなくなったらベーシックインカムも減額されます。

これによって、全体としてほどよい働き具合に自然と調整されるメカニズムが成り立ちうるわけです。適切な均衡点をどこに設定するかがもちろん議論になるとは思いますが、メカニズムとしては面白そうでしょう?

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江草 令
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