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自己実現よりも自己表現

なんとなく世の中みんな自己実現とか、自己成長とかを目指してる気がします。
それはそれで良いことですし、江草自身も憧れがないわけではないのですが、自己実現よりもまずは自己表現が大事なんじゃないかなと最近思っているのです。


「○○になる!」とか「△△を達成する!」といった自己実現はどうしても外部要因が強いので、コントロール不能な部分が多いです。
ニーバーの祈りではないですけれど、どうしても自分ではどうにもできない部分での一定のリスクというか、残念ながら達成できない可能性が出てしまうので、それに人生を賭けるというのは、文字通り「賭け」になってしまい、けっこうしんどいことになりうるなと。

でも、自己表現なら自分の中での行為ベースなので、まさに自分のコントロールの範疇なんですよね。だから、外的要因による不確定性が少ない。

成果や成長だって求めなくていいです。
そういう具体的な目標を定めてしまうと「表現」ではなく「タスク」とか「プロジェクト」の類になってしまう気がします。
それに、誰もが「老い」には勝てないので「成長」というのは永遠に続かない「負けが決まってるゲーム」になってしまう。
それは危険だと思うのです。

だから、ただ「表現」をする。
自分の思ったこととか、気持ちとかなんでもいいからアウトプットする。
自分の筋肉を自分の意思で動かして何かを「出す」。
それが合格点に達するとか、人の役に立つだとか、そういうのを忘れて「ただ出す」。
なんなら、人に見せなくてもいい。
自分の自分による自分のための活動として「自己表現」を何かしらやっておく。

やってみれば分かりますが、世界に一切介入しないアウトプットは存在しないので、それだけで自ずと「世界との対話」になります。
そして世界や自分の気持ちは常に移ろい変化してるからこそ、「自己表現」で出てくるものも一度たりとも同じものにはなりません。
変化する楽しみと驚きがある。
だから、飽きないし、だから面白いし、だから幸せにつながる。

そんなわけで、わりと堅実な「人生を乗り切る方法」として自分なりの「自己表現」を見つけて、習慣にしておくのはけっこう良いと思うんです。


自己表現の方法は、自己実現で出てきがちな「勉強」や「仕事」でなく、何でも良いです。
江草なんかはもっぱら自己表現は「書く」派なんですけど、もちろん人によって「書く」でなくてもいい。
絵でも歌でも踊りでもスポーツでもなんでも。
この世には無数の自己表現方法があるので。

江草の祖母や曾祖母は、90代までいけばなをやってましたが、そんな感じで、いつまでもできる、「老い」にも抗えるライフハックとして「自己表現」はおすすめしたいなと。



であるからして、逆に言えば、自分にしっくりくる表現方法に出会えてないのは不幸なことになりやすいように思うのです。

だから、若いうちから、自分で自分の気持ちや感じを表現できそうなものを探すことが大事。

学校とは本来そういう場のはずだとも思うのですが、最近はどうなんでしょうかね。

江草の発信を応援してくださる方、よろしければサポートをお願いします。なんなら江草以外の人に対してでもいいです。今後の社会は直接的な見返り抜きに個々の活動を支援するパトロン型投資が重要になる時代になると思っています。皆で活動をサポートし合う文化を築いていきましょう。