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子供への教育の本質は正直さ

ツイッター界のインフルエンサー、坊主さん(@bozu_108)の「自分の子供に言ってはいけない言葉選手権」で最優秀賞は「お年玉お母さんが預かっておくね」でした。
これの問題点はなんでしょうか。子供は確実に覚えているのに、親がネコババしているのですが、親側のネコババの理由としては「自分も親戚の子にお年玉をあげているからその補填」なんですよね。もちろん、子供が貰ったものなのでそのまま計上してあげる(預かったにしても子供の資産にする)のがいいのですが、どうしても生活が苦しくて補填が必要ならば、小学生であればその理屈を説明すれば理解はしてくれると思います。それを言わずに預かっておくなどと言うから不満が生まれるし、こうしてツイッターでも話題になってしまうわけですね。子供は意外に事情をわかっているものですし、説明すれば理解をしてくれるものです。それを大人の見栄や権力構造などによって説明しないのがいけないのです。
上記の理由によるものであれば、貰った金額が3万円だとして親が支払った金額が2万円であれば、最低でも1万円は残してあげるべきです。特に祖父母からのものは大抵お返しが発生しないはずです。

今度は家庭から離れて学校現場。公立学校に育った子は小学生はおろか、高校生になっても清掃をさせられたと思います。これを教師はこじつけて「教育の一環」「心の教育が~」「寺子屋では~」ともっともらしく理由をつけて必要性を語るわけですが、真実ではないから全然心に響かないわけです。小学校1年生には難しくても5年生ならばもう言っていいと思います、財政上の理由だと。
「皆さんが清掃をするのは財政上の都合です。公立の学校というのは税金で運営されています。皆さんの保護者や親戚の方も払っています。しかし、税金には限りがあって、医療、福祉、道路整備その他、いろいろなことに使わなければならず、この学校でも、校舎の補修や建て替えはもちろんのこと、教育にかかる活動(さすがに教員の給与とまでは言わなくてもいいが)に費用がかかり、その予算には限りがあります。小中学校は義務教育ですが、この義務教育を限られた予算で維持するには、清掃の方を外注する予算まではなく、どうしても皆さんに手伝ってもらう必要があります。普段の授業の時間は教育ですが、清掃は作業、お仕事の時間です。仕事ですからきちんとやらなくてはいけませんし、この時間がなければ義務教育は成立しないので協力してください」
この内容を発達段階に応じて伝えればいいだけなのです。ポイントは財政上の理由である、この時間は教育の時間ではなく仕事の時間である、半ば強制ではあるが協力を依頼するスタンスであることです。昭和中期まで定食屋にあった貧乏学生への「メシ食わしてやるから皿洗いしろ」の義務教育バージョンということです。
仮に教育の一環であり心の教育に重要であれば、私立学校の大半には存在しないので、教育上の欠陥が生まれるのか?という矛盾、私立学校へのある種の誹謗中傷が発生し、大変失礼な話でもあります。また、自分の学ぶ教室を美しくなどとスローガンを吐きながら職員室まで掃除させている矛盾も発生します。しかし、財政上の理由であればすべて疑問は解消されます。

美徳で語らず、現実で語れば子供は理解してくれるし、行動してくれるようになるものです。私も高校生以下に接するときは特に配慮しているポイントです。

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