「今の公立中学校は荒れていない」、それより重大な問題がある!
「今の公立中学校は荒れていない(だから通わせても問題ない)」「お前の時代とは違う」という意見をよく目にします。しかし、私は問題の本質はそこではないように考えます。
たしかに、物理的に命を取られる危険性は若干下がったかもしれませんが、精神的には変わらないかそれ以上ですし、それよりも大きな問題は、ビジネスで言う2:6:2の原則です。
上の2割がいないという問題をあまりに軽視しすぎていませんか? クラスの雰囲気醸成は正直、上位2割が明に暗に行うものなのですよ。
学級委員はその典型ですが、他にもサブ的にクラスを引っ張る役割や、文化祭などの中心的存在、合唱でのピアノ伴奏者、特定の科目が得意で英会話が抜群に得意などなど。そういった人への羨望や、行動様式から並の生徒も感じ取って、実際に役立てたり、そのとき花開かなくても大人になった時に応用できたりする、それが他者とのふれあいで育つ教育の本質です。
たしかに私の通う中学校は総括的にはひどいものでしたが、それでも尊敬できるクラスのメンバーが数人はいました。周囲に私立中学校がなかったので、同じクラスメンバーとして椅子を並べることができたわけです。
勉強も運動もできて性格も大人な学級委員がいたのですが、彼が「サブリーダーはえぐざま君がやってよ」と言われたら断れないし、快く引き受けます。私は人を引っ張るタイプではないけど、アイディアやスキームなら得意なので、そこを完全に引き受けて、学級委員が「みんなよろしく頼むよ!」と言えば、クラスは動きます。クラスはまとまるし、学級委員はもちろんのこと、えぐざま君の企画書もすごいよねとなり、クラスにきちんと居場所ができます。
これが私しかリーダーが取れないようなクラスならば、アイディアやスキームがよくても人心掌握はできません。
中学受験が盛んな学区ではこの学級委員タイプも私のようなタイプもみんな私立に抜けてしまいます。
そうすると残ったメンバーで「どうする…?」となってしまうわけです。最初からいないならともかく、先月まで頼りにしていたアイツ、彼の言うことさえ聞いていればクラスが回る牽引車が教室にいないわけですよ。メンバーを見て顔を見合わせて、「じゃ、じゃあ〇〇ちゃん真面目で先生の覚えもいいから学級委員…かな」みたいな消去法。勉強はそこまでじゃないけど真面目だけが取り柄みたいな小学校時代まではクラスの3番手グループだった子を学級委員に据えるしかなく、無難に真面目にでも何のイノベーションも生まれない、どんどんクラスに活気がなくなっていきます。
教師側としてはとりあえず御しやすいし育てやすい生徒が多いので、改善をする必要性もなく、ますますループにはまっていきます。そんな学校に子供を通わせたいですか?
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