維新は災害よりも凶なり
<この話はフィクションです。>
定年退職後、オレは車にさまざまな災害救援物資を積み込んでは日本中を旅していた。西に集中豪雨あれば行ってスコップを手にして泥のかき出しを手伝い、北に豪雪あればタイヤをスタッドレスに履き替えて現地に向かい屋根の雪下ろしを手伝った。いつしか江草乗の名は「スーパーボランティア爺」として誰もが知るようになった。もちろんそのボランティア活動の傍ら、あちこちで見聞する維新議員の不祥事や極悪非道な行いに心を痛めていた。そして、どうしてそんな連中に投票する人が居るのだろうかといつも不思議に思っていたのである。
あるとき、たまたま通りかかった街では選挙期間中なのか、緑色のブルゾンを着た一団がいて、その中のおそらく維新の候補者とおぼしき男性が馬鹿の一つ覚えみたいに「身を切る改革」「既得権益打破」などと繰り返していた。有権者はこんな嘘に簡単に騙されてしまうんだよなと思うとオレはとても悲しくなった。
少し離れた所に「カジノ反対」などというのぼりを持った年配の女性がいた。その女性はおそらくは手書きのものをコピーしたと思われるチラシを作って道行く人にせっせと配っていた。オレもそのチラシを一枚もらって、「頑張って下さい」と声をかけた。
するとそこにスキンヘッドの大男が近づいてきて「なんやこのビラは」と絡んできた。緑色のブルゾンを着ていたのでおそらく維新の運動員なんだろう。オレはその無礼な口調に驚いたが、そのスキンヘッドはオレの存在を全く気にすることもなく「ババア、迷惑なんじゃ。共産党はここに来んなよ。目障りじゃ!」と罵声を飛ばして悪態をついた。まるで殴りかからんばかりの勢いだった。オレはいつか役に立つこともあるかなとその一部始終を動画に撮影した。するとスキンヘッドは撮影しているオレに気付いたのか、「なんやそのスマホは!」とオレに近づいてきたのでオレは猛ダッシュで逃げた。オレは逃げ足には自信がある。大学のサイクリング部で鍛えた足腰はそこらの若者にはまだまだ負けない。
あるときオレは地震の直後に台風に襲われたという街に災害ボランティアとして出かけた。お年寄りのご夫婦の家で一日がかりで家の中の泥を掻き出し、壊れた家財道具を一緒に片付け、一段落付いてほっと一息ついてると、ご夫婦がお茶を出して下さったのでそれをいただいて少し話をした。
「わたしたち以前は大阪に住んでいたんですよ。」
「それは奇遇ですね。私も大阪出身ですよ。」
「こちらに越してきたのは定年退職してからなんですよ。主人が静かなところでのんびり過ごしたいと。」
「それはよかったですね。でもこの街は水害に襲われたりこうして地震が来たり、台風もこないだ襲ってきたし、ここに越してきてから毎年が本当に大変だったでしょ。日本は自然災害の多い国だけど、ここは特別多いですよ。日本一自然災害の多い街じゃないですか!」
「そりゃ、災害はない方がいいですわね。でもきちんと備えれば命まで取られることはないでしょ」
「確かにそうですね。自然災害は備えさえあればかなり被害は軽減できます」
「私たち夫婦は実は息子を亡くしたんですよ」
「えっ・・・、それはいつのことですか」
「大阪で新型コロナの第六波が来た年です。息子は実家を出て大阪で一人暮らししていたんですけど、連絡がとれなくなったので息子のアパートに様子を見に行ったらそこでもう亡くなっていたんですよ。わたしたちのような高齢者がコロナで死ぬのは仕方ないと思えるけど、なんで働き盛りの息子がと悔しくてならなくて・・・」
「あのとき、大阪では大勢の方が亡くなりましたね。私の母も危ない所だったんですけど、なんとか入院できて助かりました。亡くなった息子さんのことを思うと、なんだか申し訳ないです」
「いや、悪いのはあなたじゃない。テレビでエラそうに口だけで実績を自慢し、実際の医療現場の混乱は無視していたあのキチ村とかいう知事が悪いんですよ。亡くなった人達はみんなその犠牲者なんですよ。」
オレはこのご夫婦の話を聴いていつのまにか涙がこみ上げてきた。最後におばあさんはこう言った。
「自然災害はあっても、この街はきちんと民主主義が生きてるから幸せですよ。投票を棄権するような無責任な人はほとんどいませんし、私たち夫婦も選挙の時は老体にむち打って欠かさず投票していますよ。それが日本国民の責務ですから。それに一番嬉しいことは、この街には一人も維新議員がいないんですよ。『維新お断り』や『END維新』のステッカーがどの家にも貼ってありますしね。あんな禍禍しい連中、日本の政治を悪くする元凶じゃないですか。維新みたいに嘘しか言わない凶悪な連中が一人も居ないなんて最高の街ですよ。」
オレは帰りの車を運転しながら思った。
「維新は災害よりも凶なり」
モノ書きになることを目指して40年・・・・ いつのまにか老人と呼ばれるようになってしまいました。