カントク、映画『グスコーブドリの伝記』をきちんと完成させてください。

 映画『グスコーブドリの伝記』はオレのここ数年みた映画の中ではもっともダメな作品だった。見る価値がないと先に断っておきたい。映画ははじまったばかりでいきなりエンドロールのように数分間字幕が流れる。なんでここで時間稼ぎをするのか。その理由は最後まで見るとわかる。無理に完成させたので余ってしまった時間をそこで稼ぐ必要があったのだとしかオレには思えない。



 オレは宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を小学生の頃に紙芝居で見せてもらった記憶がある。かなり長編で、前編後編の分冊になっていたはずだ。なぜかその紙芝居の中のラストの場面を覚えている。火山島に一人残ったブドリが火山を人工的に噴火させるスイッチを押すところである。「みんなの幸せな生活を守るために自分が犠牲になる・・・」という崇高な自己犠牲の精神がこの作品の主題である。それは、川に落ちたザネリを救うために犠牲になった「銀河鉄道の夜」のカムパネルラの姿にも重なる。しかし、映画にはその大切な場面はなかったのである。



 中盤過ぎまでは映画は割と原作に忠実に描かれながら、後半になると急にストーリーの進行が早くなる。人工降雨とか、空から硝酸アンモニヤを降らせるとかいったブドリたち火山局員の働きで畑の作物が豊かに実るようになる場面がカットされてしまっている。そうして重要な出来事をいくつもすっ飛ばして、行方不明だった妹ネリとの再会や、両親の死の真相を知りその墓石を建てるというエンディングにつながる大事な場面も出てこないで唐突に終わってしまうのである。なぜこんなに端折る必要があったのか、それはこの作品が文化庁の補助金事業であり、2011年度中に完成させないと補助金がカットされてしまうからだった。だから半ば強引に未完成部分をカットしてストーリーを終わらせてしまったのである。



 もしも天国の宮沢賢治がこの映画を見たらどう思うだろうか。エンディングをあんなふうに変えられてしまった結果「崇高な自己犠牲」というこの作品の主題が薄まってしまい、両親と妹を亡くして天涯孤独になった若者が自暴自棄になって死神と取引しているような誤解を与えてしまうのである。映画の中では妹ネリの生存については一度も語られないのである。それはあまりにもひどいと思うのだ。この映画の製作スタッフは、この映画のテーマがなんであるかを理解できていたのだろうか。なぜブドリをてぐす工場で働かせたり、赤ひげの農場で働かせたりする必要があったのか。自分が生きていくため、ただ食べていくために必死で働いてきたブドリが、火山局の仕事に出会って「誰かのために働く」「みんなの幸福のために働く」ことに目覚めるまでの長い道のりをこそ描く必要があったのだ。前半部分のまるで徒労のような苦しい労働はすべて、ブドリの成長のために必要な過程だったのである。


 人は何のために生まれてきたのか。何のために生きるのか。ブドリは死んでいった両親のことを思い、そして自分がお世話になった多くの人たちの幸福を願う。妹ネリや、その夫や息子たち、そして天候に一喜一憂しながら過ごす農民たちの幸福を願う。自分の命がみんなの幸福のために使われるのなら、いつでも自分は喜んでその命を捧げよう。そうした崇高な自己犠牲がテーマであると、なぜもっと強調しないのか。どうして観客がラストシーンでみんな涙するように撮れなかったのか。



 オレが映画監督ならば、このように最後の場面を作るだろう。



火山島に一人残ったブドリがスイッチを押す前にさまざまなことを回想する。その小さな観測小屋には「雨ニモマケズ」の詩が貼ってあって、回想シーンに重ねて朗読の声が流れる。「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」「サムサノナツハオロオロアルキ」干からびた畑や、冷害で枯れた作物の前で人々が立ちつくす。その後でブドリたちの働きで豊かな実りを享受する人々の姿が流れる。小さな息子と一緒に畑仕事をするネリや、ブドリと関わった多くの人たちが走馬燈のように登場し、そこで再び詩の後半が朗読される。「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」そこでブドリは火山を噴火させるスイッチを押し、目の前は真っ白な光に包まれる。そして小田和正の「生まれくる子どもたちのために」が流れる。




 こうでなくてはならないのだ。杉井ギサブロー監督、あなたが本来思い描いたラストシーンはこういうものではなかったのですか。どうして意に沿わない形であんな未完成作品をそのまま世に出してしまったのか。作者の意図をきちっと反映し、大切な映画の主題がしっかりと伝わるものになってから上映すべきだった。あなたが真に映画を愛する方であるならば、自分の作った映画が未完成の出来損ないであるとちゃんとわかっているはずだ。そんな中途半端な形で送り出して恥ずかしくないのか。 

モノ書きになることを目指して40年・・・・ いつのまにか老人と呼ばれるようになってしまいました。