恵まれているからこその劣等感と罪悪感
転職する覚悟
が決まらない。
今の環境から出る覚悟。
英語を使えない以外は、大した不満はたぶんない環境から。
コールセンターに異動する時も、覚悟ができていたわけじゃなかった。
迷ったし、不安だったし、怖かった。
でも、あの時は、今いる環境を出ないと、
もう無理だ、頑張れない、出社すらできない
と思った。
そう思うと、結構恵まれてるのかもしれない。
今の環境でも頑張れることは色々ある、とは思う。
転職活動から逃げているだけなんだろうか。
劣等感・罪悪感を消すには、自信をつけるには、
転職しかないんだろうか。
病んでた時(異動と失恋が重なったくらいの時期)は、自分が本当に嫌いだった。
生きているだけで迷惑をかけると思ってた。
今はどん底からは抜けて、
今の自分が好きなところもあるし、嫌いなところもあるし、大嫌いなところもある。
生きているだけで迷惑をかけるとまでは思わなくなったけれど、劣等感と罪悪感は消えない。
「ネガティブな話ばっかり楽しくないだろうし飽きるだろうしプラスにならないだろうし」
って、病んでる時も思っていて。
なのにそんな私の話を、「変化があって話すを聞くのをいつも楽しみにしてる」って言ってくれたり、
旅行行こうって誘ってくれたり、
すごいって言ってくれたり、
大好きで大事な友達って言ってくれたり。
友達も家族も、
こんな私を、私のだめなところも素直な気持ちも、受け入れて周りにいてくれている。
そんな人たちだから、何かプラスも返したいのに、何も返せていない。
「こんなんでごめんね」っていう劣等感と罪悪感。
友達のことは好きだし尊敬してたりする人たち。
そんな素敵な人たちが、なんでこんな私を好きでいてくれてるのか分からない。
でもそれが、私が自分にも価値があるのかもしれないって信じられる支えになっている。
私は誰かからの評価がないと、
自分を信じられていない。
だから、元彼と別れた時も、「私にはつり合う価値がないから、つり合っていないから、離れていったんだ」と思った。
人からの評価ではなくて、自分の内側から自分を信じられるような何かがないと、またいつか誰かが離れてしまった時に、病んで同じことを繰り返してしまう気がする。
私が自信がないのは、色々あるけれど、大きい一つは仕事へのコンプレックスだと思う。
興味がある仕事でも自慢になるような仕事でもないし、英語を活かせているわけでもない。
キラキラしていない。
興味があったところは全て落ちてしまった。
仕事をバリバリしたいとも思えない。
元彼は、ずっとしたい仕事があって、それに向かってずっと努力をしていて、それが向いてるんだろうなと思わせる人だった。
色んな人から頼りにされて、評価されて。
私にはないものを色々持っていた人。
そんな人に、私には「素を出せる」って言われた。
仕事にこだわりがない私が、仕事にこだわりがある彼の制限をしたくない、邪魔をしたらだめだと思った。
そんな人に好かれるなら、こんな私でも価値があるんだって信じられていたんだと、今は思う。
少し脱線したけれど、それくらい、
私には仕事にコンプレックスがある。
転職して、仕事に対するコンプレックスを消せば、人からの評価じゃなくて、私自身に自信を持てるんだろうか。
そういえば、英語を活かせる仕事っていう軸も、
「もったいない」「活かしたらいいのに」っていう言葉たちが大きな理由の一つ。
結局、これも人からの評価、なのかもしれないなぁ
今日はここまで。
もし最後まで読んでくださった人がいれば、ありがとうございました。
おやすみなさい。