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私はあと何回、両親に会えるだろう

 長らく同居していた親元を離れ、はや4年近くが経過した。思い立ったが吉日とばかりに家を出て、極貧生活の中でまともに帰省もできないまま日々を過ごし、結局まともに家に帰省したのは2回くらいか。去年も本当は帰省したかったけれど、向こうから断られてしまった。それほどに私の実家は田舎にある。

 最寄りの駅までも車で相応の距離があり、コンビニに行くのにも自転車で小一時間かかるような田舎。それが私の実家で、生まれ育った場所である。本屋に行こうにも図書館に行こうにも親に頼るしかない、学校で本を借りることが数少ない楽しみの一つだった。かと言って、国道近くの実家では、わかりやすく田舎の空気を楽しみに行くのにも少し距離があり、何もないことに嫌気がさすような場所だった。

 いくらでもあった上京へのきっかけも、何かの言い訳をして決意せず、流されるままに始めた仕事でうまくいかず、鬱になりかけていたとき、上京した。結果は、私の人生の中で最も素晴らしい選択だったと確信している。同居していた時はあまり折り合いのつきづらかった母とも適切な距離を取らことで、より良い関係が築けるようになったと思っている。何より、自分自身に言い訳をしなくて良くなったことも多い。だから、今ここで暮らしていることは私に取って完全に必要なことなんだと思っている。

 けれども、こんな世の中になって、家族と遠く離れて、ふと、あと何回、両親に会うことができるのだろうと考えた。ここ半年、特に母は病気がちで、父に至っては大病を2回も経験している。年齢的にも古希が目の前に迫っている。年に一回帰省することができたとしても、もう両手で数えられる回数くらいしか会えないのではないかと考えると、なんとも怖くなった。

 我が家の家系は基本的に長生きで90を超える祖父母が元気に生きている。父方の祖母は亡くなってしまったが、それでも平均寿命よりは長く生きた。だからこそ、両親も長生きだろうとは思っている。けれども、この状況が続く限り、少なくともあの実家に普通に顔を出すことは難しいのだろうと思うと、果たして次に両親に会えるのは何年先なのだろうと気が沈んでしまうのは確かなのである。

 同居している時は、小うるさい両親だと思っていた。好きか嫌いかで言えば、あまり好きとは思っていなかったのかもしれない。けれど、今にしてみれば大変に甘えていたし、口ばかりの生意気な子供を育ててくれたことには感謝をしなければならないと思っている。だからこそ、できる限り、会いに行きたい。年に一度くらいは顔を出して、ご飯でも奢ってゆっくりさせたい。あと何度会えるかわからない両親だから、早く大手を振って帰省できる日を私は心待ちにしている。

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