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ローソンの新パッケージがとても好きな件

 2020年の5月にローソンのプライベートブランドのパッケージが変わった。見ているだけでちょっと嬉しくなるような可愛らしいデザインで、必要もないのにあのパッケージを家に置に置くためだけに買いたいと思ったほどだ。そのくらいあの素朴で可愛らしいイラストと商品名が主張されていないデザインに心を奪われた。

 けれど、その頃のTwitterでの評判はかなり悪かった。分かりにくい、ユニバーサルデザインではない、判別がつきにくい。主にこのような評価だったと思う。確かに、納豆のデザインなどは目視だけでは難しかった。絵柄がなく、大きな文字はローマ字というデザインは確かに分かりづらいところはあった。その後マイナーチェンジされ、可愛く少し分かりやすくなった。個人的にはマイナーチェンジ後のパッケージが好きなので、この点、ローソンは対応が早かったと思う。

 Twitter上で、何を考えてこんなパッケージにしたのかと、語気を荒めに非難する言葉を見ながら、なぜ自分向きではない変化が起こった時にこれほどまでに激情できるのかととても不思議に思った。世の中の変化は、自分のためだけに起きるのではなく、別の誰かのために起きることもあるのだ。少なくとも私はあのパッケージがとても大好きだし、あのパッケージに惹かれてコンビニならローソンに行きたいと思う人も少なからずいるんだろうと思っている。ユニバーサルデザインではないという批判はおそらくコンビニが一種の社会インフラになっている側面もあるだろう。しかし、全てのコンビニが社会インフラになる必要はない。なぜなら、全てのコンビニ会社が社会インフラになるために努力すればどんどんその会社の強みがなくなり、差別化の方法がなくなっていくからである。

 ローソンは、おそらく社会インフラとしてのコンビニではなく、おしゃれでちょっと遠くてもわざわざ行きたくなるコンビニを目指しているんだろうと思う。現に、こちらのインタビュー記事で、コンビニない?ではなく、ローソンない?を目指しているとローソンの社長が語っている。

 つまりは、そういうことなのだ。分かりやすいパッケージとコンビニとしての画一的な商品、どこにでもある店舗という強みであればもはやセブンイレブンに軍配が上がってしまう。ローソンはセブンイレブンほどの店舗数はない。だからこそ、わざわざ行きたくなる店になる必要がある。あの店にしかない可愛いパッケージという価値は十分、あの店に行きたいという動機付けになるのだ。おしゃれな雑貨店に行くような感覚で選ばれるコンビニ、それがローソンなのだと思う。

 何か変化があった時、自分にとっての不都合な変化であった場合、とても不満に感じてしまうことがある。けれども何かの変化は必要があって生じていることがある。not for me(自分向き)ではない変化は、for someone(誰かのため)の変化であることが多いのだ。変化に不満を覚える前に、変化の理由を思考してみると、世界の解像度は少しだけあがる。感情が湧いた時、別の視点から物事を見るとその感情はいろんな色に変化する。世の中に不満はあれども、誰かのための存在だと美味しいスイーツを食べながら微笑む生活も楽しいものである。

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