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お菓子鉢のお八つ。


小学生中学生の頃、下校して家に帰るとご飯の時間までの間にお茶をしながらお八つを食べた。ポテトチップス、ポッキー、ムギムギ、動物ビスケット、アルファベットチョコ、さいころキャラメル、お饅頭、どら焼、草もち、みたらしダンゴ…。どこの家庭でもお茶受けやお八つになっているごくありふれたものばかり。でもこうしたお八つのお菓子は必ずお菓子鉢にはいっていた。

キョウダイの各々にリンゴの形をした直径20センチくらいの木の器があって、それがアタシたちの「お八つの器」だった。そのリンゴの形の器に袋からだされて3等分されたポテトチップスやポッキーや、の、お菓子があった。必ず器に取り分けられて自分の分と決められたお菓子が学校から帰ると毎日食器棚に入っていた。1種類のお菓子の量は多くないけど、たしか4、5種類のお菓子がその器にはいつもあって、くしいんぼうのアタシはもうちょっと欲しいなと思ったりもしていたけど、キョウダイとトレードをしたり大事にゆっくり食べる妹の分をくすねたり、そんなことして叱られたり。お菓子を巡ってゆっくりした時間があった。

そんなアタシたちの家に友達は遊びに来たがった。友達を連れてくれば同じお菓子を同じようにして母は出してくれた。アタシたち子どもの前に座っていろいろ話し掛けながら世話をやいてくれ、お八つの内容によってはお皿のついたカップで紅茶をだしてくれたりもしてなんだか特別な気分になったり。みんなでテーブルについてのんびり他愛のない話しをしながらそれが当たり前の時間だった。

ある時、友達の家に遊びに行ってそこでお八つにおよばれした。どうぞといって出されたお八つはコップにはいった牛乳と袋ごとのポテトチップスだった。それを持って友達の部屋で二人で食べた。なんでもない風の友達とそのポテトチップスを食べながらアタシにはそれまで感じたことのない気持ちが沸き上がってきていた。

それはお八つの内容や環境をその友達と比較してどうこうという気持ちじゃなかった。「お八つをお菓子鉢に取り分けてあらかじめ用意しておく」という行為が生む、さり気なく寄り添われ自分がいない場所でも想われているという空気を、その時初めてふわっと感じた、というような気持ちだったように思う。お菓子鉢のお八つに込められた、母の「こうしたら楽しかろう、嬉しかろう」という想いと、自営業の忙しい毎日の中での母なりの精一杯の工夫を子供なりに感じた瞬間だったように思う。

どこの家庭の例にもれず、ウチにもそれなりの諍いや傷つけ合いや擦れ違いはあり、遣りきれない気持ちで過ごした日々ももちろんあった。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」はもちろんアタシにもある。それでもアタシたちキョウダイは決して子供であることを理由にないがしろにされたと感じるようなことはなかったなと思う。大人の忙しさの犠牲のような寂しさも感じずに過ごしてこられたし、その歳なりの自分の楽しさや喜びや不満や不安にきちんと夢中でいられた。それは大人が大人の役割をきちんと果たしてくれていたからこそだったと、大人になった今よくわかる。父親がおらず母親に手をかけてもらえない幼少時代をすごした母が、自分の子供時代にしてほしかったことをアタシたちにしてくれていたのかな、とも思う。

「お菓子鉢のお八つ」は子供真っ只中の頃の毎日の小さな些細な楽しみで、今ではそんな風にお茶をしたりお八を食べたりする日常はない。でも今それを共有したキョウダイ同士で「ウチのお八つはすごかった」と語るたのしみを生んだ。小さな頃の当たり前のように享受していた毎日の「お菓子鉢のお八つ」が、我が家の「お八つ文化」として大人になった今またあらためて語る楽しみを生み出した。

お菓子鉢をはさんだ家族のコミュニケーションは、家族が欠け離れて暮らしている今も続いている。


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