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(42)新米母、品川で人生の先輩達からのオコトバをいただく。

陸上競技に例えるならそれはまるで走り幅跳びか、または3段飛びか、はたまた走り高跳びか棒高跳びか、いや、多分フルマラソンだ。出産というスタートラインを飛び出して、とにかく夢中で、必死に駆け抜けた産後2週間、無事に日本へ、そして品川へと着地した。


あの駆け抜けた日々に比べると、実家での毎日はなんという穏やかな時間。ただ、ホルモンバランスで崩した肌荒れがなかなか治らず。そして授乳で寝不足の日々。それでも美味しい"春美特製ごはん"や、作るのが大変な時は、母の実家"スーパーするがやのお弁当"もいつでも買えちゃう環境。ちなみにそのお弁当は春美さんが作ってた。ペンサコーラの生活でも美味しいものは買えたけど、やっぱりお袋の味というのは特別な味だと、心からそう思った。


午後出勤のお父さんと私、リサは午前中はお留守番。お父さんの大好きなイチローの出てるMLBの試合みたり、他愛もない話をしたりしながら過ごす時間。実家で暮らしてた頃は何の事ない時間だったけど、お父さんと過ごす朝のこの時間、今では私にとっては"里帰りの目的の1つ"となっている。こういう何気ない時間、日々というのが私にとっては多分万能薬みたいな物で、ボロボロになってた身体や心は、こういう日々と共に少しずつ少しずつ回復していった。


午後になると、するがやでのお弁当作りを終えた春美さんも帰宅して、みんなでお昼ごはんを食べる。春美さんは帰宅するといつも小さなリサを抱っこしてくれた。台所の窓を開けて、抱っこしたリサをゆらゆらしながら、いつもの子守唄を歌ってくれる。


ぽーっぽ ぽっぽと 飛んでこいー
お寺の屋根から降りてこい
豆をやるからみな食べなー
食べてもすぐに帰らずにー
ぽーっぽぽっぽと 泣いて遊べ♪



なんて名前の子守唄なのかわからないけど、うちにいつも遊びに来ていた私の従兄弟の子供達"3姉弟"に、代々春美さんが歌って来た曲だ。5階に住んでいた3姉弟は保育園の後は毎日2階のうちに来ていたから、私にとってもかわいい妹や弟のような存在だ。子供好きな春美さんが3姉弟を抱っこして嬉しそうに歌うこの子守唄を私は何度も何度も聞いてきた。


ゆりかごの歌を カナリアが歌うよ
ねーんねこー ねーんねこー ねーんねこーよー♪


というゆりかごの唄(多分そんな名前の歌なんだろうと思う)も、春美さんの定番曲。春美さんはカラオケとかは得意じゃないけど、子守唄は得意である。昔、親戚の集まる宴会でうちの両親が"3年目の浮気"をデュエットした事があったけど、お父さんのサービス精神豊富なパフォーマンスと、そのノリに一生懸命ついていこうとするけど、乗っかりきれずに遅れて歌って"字余り"になっちゃう春美さんの歌声、2人で歌う姿がなんだか恥ずかしくて、宴会場のドアの外からそっと見ながら終わるの待ってた記憶あり。字余り過ぎて3年目どころか4、5年目も浮気されちゃいそうな感じ(笑)。あの時は恥ずかったけど、今あの時の両親と同世代になってみて考えれば、かわいい夫婦だなと思う(笑) ってか、今考えると、3年目だろうと何年目だろうと浮気をしておいて、あんな軽い感じで謝ったって、奥さんの気持ちを余計に逆撫でするのに、昭和ってすごいめちゃくちゃな時代だよね。



自分の孫を抱いて十八番を歌う春美さんと、それを聴きながらウトウトと眠るリサ。日常生活に私たち2人が飛び込んできた訳だからきっと大変だったかもしれないけど、孫を見せられて良かったなと、自己満足かもしれないけど、あの時そう思って2人を眺めていた。


授乳と睡眠の繰り返しだったリサも、1ヶ月位すると何もせずに起きている時間も増えてきた。どこに行くわけでもないけど、家の外で風に当たったりして、泣いてる赤ちゃんをあやす工夫をしなければならなくなった。


産まれたばかりの赤ちゃんは首が据わってないから横抱きが基本。そのくらいは心得ている。でもゲップを出すとき、肩に赤ちゃんに頭を寄りかからせて、背中をトントンする体勢、ある時あの形でリサを抱っこしたらようやく泣き止んで、しばらく様子をみてたんですよね。その時は家の外、マンションの入り口に立ってました。そしたら、急に見知らぬおばあさんが私のところにやって来た。




"縦抱きはまだダメよ、ダメ。まだ早すぎるわよ。"




そう言われました。
多分近所の方なんだろうけど、全然知らない人。
急に注意されて、いわゆる" 今の若い人は"的な感じです。
一方的に注意してその場を去っていった。
そーっと横抱きに戻したら、リサが泣いちゃった。
きっと良かれと思って教えてくれたんですよね。
でも言われた方はなんだかモヤモヤした。



夕方になると、お父さんもお母さんも雀荘に出勤。
昔なら私もお手伝いしていたけど、もう一緒に出勤出来ません。1人で夜ごはん食べて、リサを寝かしつける。お父さんはいつも気を使ってお母さんを早めに帰宅させて、お風呂のお手伝いを出来るようにしてくれたな。


それでも1人で赤ちゃんをあやす時間も多くなってきて、1人じゃどうしようもならず、リサを抱っこして裏にあった雀荘まで歩いてみたり、さすがに中には入れなかったけど、片道徒歩3分くらいの散歩コース。お店は地下にある。ドアのガラス越しに覗くと、お父さんもお母さんも外に出て来てくれた。ついでに隣でスナックを営む"志乃お姉さん"も出てきたりして、泣いてるリサに話しかけたりしてくれた。そんなことしてる間に、お客さんが階段を降りてくる。お客さんが来はじめたら邪魔になるから、私とリサはまた階段を登って家まで戻る。小さなリサを抱いて階段を登る私を見ながら、志乃お姉さんが、長ネギ片手にこう言いました。


"あー、怖い!心配でお尻の辺りがゾクゾクしちゃうっ!"



表現が志乃お姉さんらしい(笑)
高所恐怖症の人が、高いところに登った時のあの感じ。
私は東京タワーやスカイツリーでその感じする。
落ちたらどうしようって考えたらムズムズ、ゾクゾクして怖くなる。抱っこしてる自分は結構平気なんだけど、心配して見てる方はそう思うんですね、きっと。多分縦抱きを指摘した見知らぬおばあさんもムズムズ、ゾクゾクしてたのかも。ちなみに、今では立場逆転で私の方がムズムズ、ゾクゾクして志乃お姉さんが階段登ったり降りたりするのを見守っちゃう。



リサと私、無事に階段を登りきった。
そこに近所の山田さんがちょうど雀荘にご出勤だった。
私を小さな頃から知ってる山田さんが、リサを覗き込んだ。その時リサの顔には自分の爪で引っ掻いちゃった跡があった。赤ちゃんにはよくある爪の引っ掻きキズ。手に嵌めてた手袋が寝てる間に取れちゃったりして出来たりするんだけど。そのキズみて山田さんが"顔どうしたの?"って聞いたから、爪で引っ掻いちゃったんだって言ったら、


"それは全部親の責任!"



って言ったんですよ。
ちなみに、文字にすると意地悪く聞こえるかも知れないけど、全然そういう感じじゃないんですよ。お互い笑顔であっけらかんとした会話。私も"はい、そう、親が悪いね(笑)"って返したと記憶してる。でもね、この一言は結構私の頭に残ってる。親になる、子供を育てるってそういう事だよねって。この丸腰100%の赤ちゃんに起こる出来事って、やっぱり親の私の責任だなって。子供を産むって、自分が想像したよりも遥かに大きな責任を背負ってるんだなって、この一言でハッとしたというか、ぼんやりしてた物がくっきりしたというか。特に他人に言われた事で余計そう思ったのかな。



お散歩は雀荘だけじゃなくて、片道徒歩5分くらいの父方のおばあちゃんの家コースも多かった。ひ孫を連れて遊びに行くと、"おばあちゃん"、そして同居していた"とみちゃん"は本当に嬉しそうにしてくれた。リサを妊娠中、両親は私には言わなかったけど、おばあちゃんは具合悪くて、お医者さんから危ない状況だって言われてたみたい。うちの両親はきっとひ孫には会うことが出来ないかもって思って、リサに買った白いレースのドレスを病床にしばらく飾っていたそうです。意識も朦朧として見えないかもしれないし、多分会えないけど、せめて着る予定のドレスだけでもって。



初めてリサをおばあちゃんに会わせた時に、おばあちゃんはこう言いました。



"あの時ね、夢の中に白いドレス来た赤ちゃんが出てきたのよ。疲れて目を瞑ろうと思うと消えちゃいそうで、また瞑ろうとすると白いドレス見えなくなっちゃって、消えないように一生懸命起きてなくちゃって思ったのよ"



それが夢だったのか現実だったのかもちょっとあやふやだったみたい。もう無理だと言われたおばあちゃんは、どうやら産まれる前のリサに呼び戻された模様(笑)
そんなリサを連れて、出来る限りのおばちゃんととみちゃんには会いに行った。



"ゆり子、抱き方が乱暴だよ"



リサをベットから抱きあげた私を見て、おばあちゃんはそう言いました。


乱暴に抱っこしてるつもりはなかった。
私なりに気を遣って大切に扱ってたんだけど、どうもそう見えるみたい。それからはおばちゃんの前では余計にゆっくり動作を心がけたけど、何をしてもおばあちゃんは心配そうに見ている。



その時はわからなかったけど、今ならわかる。
もしうちのリサがどこかの赤ちゃんを抱っこしたてら、それだけでも心配だ。どんなに気を付けててもヒヤヒヤする。歳を重ねると、物事への慎重さが強くなる気がする。若い時って怖いもの無し、というか怖いもの知らないんですよね、きっと。歳を重ねて、嬉しい事、悲しいこと、寂しい事、楽しい事、良いことも悪いこともミルフィーユのように重なって、辛酸嘗めて生きてきたその経験が、怖いもの無しの若さへ"心配"という形で現れる。最近では私も娘を見ているとヒヤヒヤする事が多くなった。やっぱり危なっかしくて心配でつい口出しちゃう。今では私もあの見知らぬおばあさんや、志乃お姉さん、山田さん、そしておばあちゃんの立場から物事を見ている(笑)



"おへそ出てて、お腹が冷えちゃうよ。"


16歳になった娘が、最近流行りだという"1986年のマリリンの本田美奈子"バリの"ヘソ出しルック"で出掛けるのをみて、毎回一言物申しちゃう。私には人生で一度もヘソが平気で出せるそのスタイルが現れなかったから、その華奢なスタイルを今のうちに楽しむのもいいんだろうけど、やっぱり色んな意味で心配だ。一言言う度に"ウザイ"とは言わないけど、半目で上を向く"Rolling eye" 、視線でそう言われている。だってお腹冷えちゃうし、肌の露出が多いから色々心配よ。結局子供の事なんて、私の人生の幕が降りるその日まで心配して行くんだろうとも思う。


若いって無敵。怖い物なし。



怖いもの無しのその若さのおかげで、多分私は"パンタロン男"事、マトさんとの結婚にも踏み切った。そして怖いもの無しだったからペンサコーラで出産して、あんな無茶苦茶な産後2週間を乗り切った。


そして怖いもの無しだったから"親"になれたと思う。



この時は分かって無かったけど、時間が経ってから振り返った今ではそう思える。きっと覚悟なんて出来てなくても、育児をするうちに自分も少しずつ育っていくんだと思う。そう、まさに育自。



子供を育てながら、子供に育てられている、



そういう感じ。
角度を変えて見てみれば、私はまだ母親年齢で言えばまだ16歳、ピチピチです(笑)



1年ぶりの品川には人生の先輩達からの助言がゴロゴロと転がっていました。リサとの品川滞在は、もうしばらく続きます。




《今日のヒトサラ》

•イカ明太(春美ごはんシリーズ)

実家に帰る時、お母さんがとりあえず作っておいてくれる私の大、大、大好物。どこのイカ明太でも言い訳じゃないんです。お母さんの作るイカ明太はやっぱりどこで食べるよりも美味しいんです。これ食べると"帰ってきたー"っていう実感がわく。父方のおばあちゃんもいつも言っていた。"春美ちゃんの料理はやっぱり何か違うのよ"。私もそう思うし、その料理は本当に財産である、そう思う。











エッセイに登場する”出演者”である家族に”出演料”として温泉旅行をプレゼントするのが目標です。イッテQ!の温泉同好会の様な宴会をすべく、各自芸を磨いて待機中との事ですので、サポートしていただければ幸いです。スキ、シェアだけでもすごくうれしいです。よろしくお願いしますm(‐‐)m