2001/9/11-2019/3/29

On Kawara, "Sept. 13, 2001" (2001), Akira Ikeda Gallery, Liquitex on Canvas.

 3月29日、9.11記念博物館を訪れた。博物館の中を回りながら思ったことは、なんとも偏っているということだ。博物館に足を踏み入れ、最初に目にするのはなんといっても、”Trying to Remember the Color of the Sky on That September Morning”(拙訳:「あの九月の朝の空の色を記憶しようとする」)と名付けられた象徴的な作品だ。この作品は9.11の目撃者によって三千近くのあの日の空の色が塗られた小さい水彩画群で構成されている。進むと、ところどころ当時残存したワールドトレードセンターの柱や飛行機などの展示物が置かれ、当時の壊滅的な出来事を再現しようとしていた。博物館最大のみどころは Historical Exhibition であろう。そこでは当時のニュース映像や生存者らの証言がスピーカーやスクリーンを通じて繰り返し伝えられ、当時の飛行機の軌道や機内での様子が再現され、スクリーンに投影されていた。また、9.11以後についての展示スペースでは、生存者らの精神的な回復の途上の様子が多くの写真で伝えられていた。一方、9.11の歴史的な背景やきっかけに関する展示スペースは狭く、主にアル・カイーダのビンラディンに焦点が当てられた。右側には五分程度の映像が流れており、9.11に至ったまでの経緯が説明されていた。左側には映像よりも詳細な年表があり、イスラム原理主義の成り立ちや9.11までの出来事や背景がまとめられていた。そして、私の博物館見学は壁に飾られた犠牲者らの顔写真と犠牲者の詳細な情報が記載されているタッチパネルを見て終わった。
 私はこの博物館が偏っていると思ったのは、博物館が9.11の犠牲者とその家族や友達に同情的であって、そのかわりテロリストらがこのような行為に至った経緯や背景を来館者たちに十分説明していないからだ。もちろんこの博物館は9.11が発生した場所であるグラウンド・ゼロに位置しているので、ある程度しかたがない部分はある。擁護するしかないのかもしれない。だが、「対テロ戦争」というイスラム国家に対するアメリカの暴力的な行為を無視するような博物館の展示は、責任の構造を単純化するような一人称語りだ(注1)。つまり、この博物館の展示からはテロリストらの「顔」が見えなかった。彼らの実際の顔というよりも—博物館はテロリストらの顔写真を、小さいながらも彼らの名前とともに展示していた—哲学者エマニュエル・レヴィナスのいう「顔 (visage)」である。

 レヴィナスは1905年にリトアニアにユダヤ人として生まれ、のちにハイデガーやフッサールから教えを受ける。1931年、フランスに帰化し、全イスラエル同盟に勤務する。ユダヤとの関係は続き、1946年には東方イスラエル師範学校の校長となり、以後長くユダヤ人子弟の教育に携わる。その間の第二次世界大戦ではロシア語とドイツ語の通訳として従軍するが、ナチス・ドイツのもとで終戦の年まで捕虜収容所に収容される(注2)。
 熊野は著書『レヴィナス入門』で、レヴィナスの第二次大戦中の捕虜としての経験が<倫理>という萌芽を生んだという。先述したように、レヴィナスは通訳として従軍するが、開戦直後に捕虜として収容所送りされている。しかし、特筆すべきなのは、彼がユダヤ人であるにもかかわらず、ナチスのもとで強制収容所に送られなかったことである。その一方、彼の家族や友人は次々と強制収容所に送られ、処刑されてしまう。熊野は、「生き残ったことには、しかしやはりなんらかの咎があるにおもわれる。かれ(かの女)が死に、じぶんが生きていること、生き延びていることはたんなる『僥倖』だったのだからである。... レヴィナスの思考は以後、この〔思考の〕循環を、負い目と傷痕とを刻みこまれたものとなる」(『レヴィナス入門』、p.48、〔〕は引用者注。)と指摘する。生き残ったことを負い目に感じる必要はないのだが、どんな者でも必然的に抱いてしまう。なぜ私ではないのか。この永遠に続く「思考の循環」は彼を倫理へと必然的に注目させる。
 レヴィナスは、第二次大戦中の経験で得た<倫理>の観点から他者という問題に直面する。先述の通り、戦後彼は、その他の帰還した兵士と同様に家族や友人を失い、孤独に陥る。しかし、孤独は単に独りでいることの悲嘆ではなく、それは存在することへの嫌悪であり、「あること=イリヤ (il y a)」への恐怖である。ここでイリヤとは自分とは関係ない他人が自分の横を通り過ぎていくことだ(注3)。孤独とは「無」に対する悲嘆なのではなく、無が「ある」ことへの恐怖なのだ。「たったいま死んだものによって残される空所が、志願者の呟きによって充たされる」(『レヴィナス入門』、p.56)とレヴィナスはいう。ハイデガーは存在論の復権を主張するように、存在のあり-がたさや存在への驚きといった存在することに対して肯定的だが、レヴィナスは存在が意味の剥奪だと存在することを否定的に捉える。これはナチスに対する対照的な姿勢にも表れている(ハイデガーはナチスの支持者となる一方、レヴィナスはナチスの被害者であり、非難者である)。
 では、レヴィナスの孤独はどのように解消されうるのか。孤独を解消するには他者 (l’autre) の「顔」を直視するしか方法はない。いままで関係のなかった他人の「顔」を見ることで、その「顔」は私たちに「汝殺すなかれ」と命令してくるのである。
 私たちはどのようにして「顔」を直視するべきなのか。まずはフッサールの他我論とそれに対するハイデガーの批判について見てみよう。フッサールは、「世界はなぜ客観的なのか」、言い換えれば、「世界はなぜ私たちの世界なのか」という問いに対し、世界の領域が超越論的だから、という答えを提示する。このとき、世界の領域で他者は (1) 「対化」(受動的連合)を通じて類似的に捉えられ、(2) 感情移入のように私の自己が投入される(自己投入)。このように、私は超越的な間主観性としての<他者の自我>=他我を理解すると、フッサールは言う。ハイデガーはこれに対し、自己投入は共同存在(=他者とともに在ること)を可能にはしない、共同存在が自己投入を可能にすると批判する。他者がいることではじめて私の自己は他者に投入できると言うのだ。ここでレヴィナスはある矛盾を指摘する。フッサールのいう超越論的領域は他者も主体(=世界に対する主観)であることが前提だが、自己投入というプロセスによって、他者は私にとっての対象となっている、私にすでに飼い馴らされている。フッサールの超越論的領域では、他者はもはや絶対的な「他性 (altérité)」ではないのだ。超越論的主観としての他者と自己投入の対象としての他者が衝突してしまっている。レヴィナスは、他者を自我のうちに吸収することは他者をひとつの表象することで、これを「全体主義的な表象の活動」(注4)と述べる。したがって、レヴィナスは、他者はフッサールのいう超越論的領域の外部から「到来」するという。他者が他者であること、他者の外部性、他者が<私>に還元不可能なことがそれだけで倫理だ。そして、他者との倫理的な関係においてはじめて私は「この私」となる。つまり、他者の「顔」も直視するだけで、それを自分の中に取り込んではいけない。もし取り込んでしまった、一人称語りが復活してしまう。
 ユダヤ系イタリア人の化学者で、レヴィナスと同様にホロコーストを生き延びたプリーモ・レーヴィは『溺れるものと救われるもの』で「私はあなたたちに判断を下すためにあなたたちのことを理解したい」(注5)と述べる。ここで「あなたたち」はナチス台頭からホロコーストまでの間にナチスに加担したもしくはナチスに反抗しなかったドイツ人を指す。レーヴィは彼らの「顔」を直視しない限り、ドイツ人の「残酷さ」に判断を下すことはできない。もちろんレーヴィはドイツ人に敵対的な態度を取っているが、彼は必ずしもナチスにどんな形であれ加担したドイツ人を責めたくはない。ただ彼はなぜドイツ人がナチスに加担したのかを理解したいのだ。このような態度をとるからこそ、相手もおのずとこちらの方に近づいてくるのだ。そしたら、彼らの「顔」も鮮明に見えるだろう。
 「顔」を見ようとしない、あるいは見ようとしても自我の中にそれを取り込んでしまうアメリカ=トランプ、の友達 ally であり続ける日本にも懐疑的な視点を持ちたいものだ。日本にももちろん「顔」を持てない人たちがいるのだから。先日の麻原彰晃こと松本智津夫ら7人の死刑執行はその一例だろう。我々にはオウム真理教が起こした事件の残酷さは理解できるが、それらの複雑な背景、そして実行者らの「顔」はみえてこない(死刑執行は彼らの「顔」が見られなくなることに等しい)。「顔」を持てない人たち、「顔」を持つことを許されない人たちは私たちが気付いていないだけで、私たちの身近にもいる。現代を生きる私たちにはそれに気づいてあげられるスキルが必要だ。


注1. 拙稿「「顔」を持てない人 ―アメリカの孤立主義から見る「私」の中心化― (1)」を参照。この文章はこの (2) だと思っていただいてかまわない。
注2. レヴィナスの生涯については、熊野純彦『レヴィナス入門』(ちくま新書、1999年)を参照した。後の議論も多くを同書に拠っている。
注3. サカナクションの「白波トップウォーター」の歌詞はレヴィナスのいうイリヤへの恐怖を表現している。
「通り過ぎて行く人が 立ち止まっている僕を見て 何も知らないくせに笑うんだ 笑うんだ」
注4. 「表象の没落」1959年より。『レヴィナス入門』(p.140)から抜粋(著者訳)。
注5. 原文は、“I would like to understand you in order to judge you.” 引用者訳。引用は英語版『溺れるものと救われるもの』、Primo Levi, “The Drowned and the Saved,” trans. Raymond Rosenthal, Simon & Schuster, 1988, p.160 より。

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