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近代日本史における江原素六(1):私の育った場所と、どうやって研究するかについて

 江原素六について調べようと思い立ったのは、今年の五月から六月にかけてのことだと思う。ちょうど大学生活の半分を終えた私は、新型コロナウイルスの影響でなかなか家から出られない中、大学の最後の一年を使って書く卒業論文の題材について考えていた。大学では歴史学を専攻しているので、歴史について書かなくてはならない。それと同時に、やはり自分の源を見つめ直したいという気持ちもあった。
 まえ、「「観光の哲学」を求めて」でも書いたように、私は静岡県沼津市という場所で育った。生まれは神奈川県の川崎市だが、稀なケースだが小学校入学と同時に、川崎という都会から沼津という田舎に移り住んだ。そして、私は沼津で高校卒業までの12年間を過ごした。私は幼少期の頃の記憶が他の人と比べて薄いので、川崎に住んでいたときの記憶は断片的にしかない。だからこそ、その倍の期間住んでいた沼津を私は自分の出身地と呼ぶ。
 自分の源というものを考えるとき、やはり自分が生まれ育ってきた環境、とくに物理的な場所というのは重要な位置を占めている。しかし、私自身、12年間のなかで地元というものにあまり興味をもったことがない。私立の学校に通っていたこともあるとは思うが、校外学習などで市内の史跡や歴史的に重要な場所に訪れることがほとんどなかった。かわりに、校外学習は静岡県内の山だったり、県外の観光地だったり、地元と強制的に向き合うことはなかった。そしてなによりも、私はとにかく都会での生活に憧れていた。沼津市は人口は20万人と市としては大きいほうだとは思うが、人口が大きいからといって私を惹きつけるような魅力があるかというとそうでもない。家の窓から富士山が見えると県外の人に言うと、みんながそのことを羨ましがるのだが、自分にとっては日常的なことだからとくに驚くことはない。都会、とくに東京の自由な雰囲気だったり、たくさんの機会があることだったりに触れることと、沼津、そしてそこに母と二人で住むこととは重大な落差があった。音楽が好きだから好きなバンドのライブに行きたい、東京にしかない体験をしたいという欲望は沼津では満たされないから、どうしても各駅電車だと片道2000円、新幹線だと4000円を出して東京に出るしかなかった。しかし、中高生にそんなお金が毎週、毎月出せる余裕がない(高校のときは学校の規則でバイトが禁止されていた)ので、私はなにか重要なことがないかぎり、東京に行くことはなかった。
 つまり、私にとって地元に住むということは、学校に通うこと以外に根拠がなかったことだった。学校には一緒に通い、遊び、勉強する友達がいて、それは貴重な人たちだった。学校の教育もすごく良かったわけではないが、満足できないわけでもなかった。そして、場所を移動するほど変化を欲していたわけでもないし、それ以外にも家族の事情もあったので、東京の学校に転校するということもなかった。なおかつ中高生の私に学校生活以外に考えられる生活が存在しなかったほど、とにかく友達と話し、勉強した。だから、いま私がこのように自分の育った場所について書いていることは、振り返ってみればやってこなかったことだし、沼津に住んでいたときには思いもしなかったことだろう。しかし、結局こんな長期間も住んでいたわけだから、自分に与えた影響は大きい。やはり、「この店の店長は怒ると怖い」、「駅の高架化がどうこう」といった地元の共有知は存在していて、私も少なからず共有していた。
 自分の育った場所という自分の源の一つの流れを上っていくとき、具体的には何をすればいいのだろうか。言い換えれば、歴史を専攻している身として、どのような観点から沼津の歴史を調べていくのが良いのだろうか。そのときに思い浮かんだのは「明治史料館」という場所である。先ほども言ったように、私はさほど地元に興味を持っていなかったから、一度も足を運んだことはなかったのだが、何度も名前を聞く場所でもあった。なぜか毎月欠かさず読んでいた沼津市の広報にも度々その名前が登場し、その月に開催される子供向けのイベントの詳細が載っていた。そんな明治史料館だが、家から比較的近いのに、行ったことはなかった。明治史料館は別名、江原素六記念館とも言う。江原素六という人物がいて、それを記念している史料館ということだ。たしかに思ってみれば、沼津にある比較的大きな公園である江原公園も江原という名前が冠されている。つまり、江原素六は沼津に何かしらの貢献をした、地元民にとっては偉大な人物だということがわかった。少し調べてみると、いろんなおもしろいことをしていたのだが、それは次の回に譲ろう。何が言いたいのかというと、私は沼津に12年間住んでいたにもかかわらず、江原素六という人物を知ることがなかったことに恥ずかしさを覚えた。そして後で知ったことだが、沼津市の一部の公立の小学校に通う生徒はどこかで江原素六についての学習をするそうだ。実際、はじめて明治史料館を訪れた際、模造紙に大きな文字で江原素六について書かれた作文やポスターがあり、小学生にとっても江原素六が身近な人物であることを今更ながら知った。小学生の地域教育の題材として江原素六が取り上げられるということは、江原は教育的にも価値のあることを行ったことがここから知ることができる。
 だから、私の狙いは江原素六という沼津の偉人から彼が生きた時代の沼津の歴史を臨むことだ。あわよくば、江原という人物を通じて、彼の生きた江戸時代から明治時代の移り変わりを捉えたい。後者は江原という人物だからこそできるのではないかと考える。彼は教育者であり、政治家であり、キリスト教徒の自由主義者でもある。他方では、鳥羽・伏見の戦いなどに参加している幕臣である。私の問題意識はここにある。つまり、幕臣として明治維新を経験した江原がなぜリベラルな教育者、政治家となったのか、どのように江原は我々が持っている歴史観を揺さぶるのか、といった問いに答えていきたい。そして、それらの問いを答えることは、沼津の歴史という枠組みを超えた、近現代日本史の再考でもある。
 では、どのようにこれらの問いに立ち向かって行くべきか。三つの路線があると思う。一つ目は、江原素六についての史料研究である。江原素六が行ったことや彼の著書を調べていく。江原素六がやったことはたいてい明治史料館が知っている。そして、江原はいくつかの著書を残し、そのうち二冊(『青年と国家』と『急がば廻れ』)は国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵されている。著書における彼の言説を研究することは非常に重要なことだろう。その他にも江原についての先行研究が複数あり、それらにあたることは避けられない。内田宜人の『[遺聞] 市川・船橋戊辰戦争―若き日の江原素六‐江戸・船橋・沼津』(崙書房出版、1999年)や川又一英の「麻布中学と江原素六」(新潮新書、2003年)は比較的新しい先行研究であり、手に入れやすい部類である。
 二つ目は、江原素六が生きた時代の歴史についての研究である。江原は1842年(天保13年)から1922年(大正11年)まで生きたから、江戸時代末期から明治時代、そして大正デモクラシーの時代を生きていた。いわゆる中世日本の終焉と近代日本の建立、っそして西洋的な政治のやり方の導入があった時代である。政治家としての江原素六をみていくためには、当時の日本の政治をみていく必要があるし、キリスト教徒としての彼をみていくためには、近代日本におけるキリスト教の情況をみていく必要がある。単純なことだ。
 そして最後の路線は、江原素六の口述史だ。口述史、別名オーラルヒストリーとは、伝聞された歴史であり、れっきとした歴史学の一方法論のある。江原素六の歴史をオーラルヒストリーを通じて研究するには、江原素六から直接話を聞きたいものだが、江原はほぼ一世紀前に亡くなっている。すると、他の方法は江原素六の家族や子孫、関係していた人物から話を聞くことだ。しかし、江原本人が死んだのは100年前だから、約三世代の間が空いている。今年は戦後75年だから、戦争を経験した世代から早く話を聞き取らなければいけないという焦りが戦争のオーラルヒストリーを研究する人たちのなかにはあるが、江原素六のオーラルヒストリアンとしての私にはあまりそういった焦りはない。
 江原が亡くなって100年が経とうとしているのに、江原を研究するのになぜオーラルヒストリーを実践するのか。まず、私はオーラルヒストリーという歴史の方法論に興味があるからやってみたいというのが一つ。もう一つは、ある人物を調べるうえで、その人の人間関係や逸話という細かいこと(ディテール)がすごく重要になってくるからだ。これは質的社会学のアプローチと近傍している。そして三つ目はオーラルヒストリーの考え方が江原素六という人物像を探るためにあるようなものだからである。オーラルヒストリーの基本的な考え方として、教科書に載っているような有名人ではなく、通史ではあまり知られていない、いわゆる「ローカル」な偉人に焦点を当てることができる点がある。オーラルヒストリアンのディテールへの強い信念は、歴史の常識(それは西洋だと白人・シス・ヘテロ・健常・男性からみた歴史である)に目立たない人(それは頻繁に社会的にスポットライトが当てられてこなかった人々である)を上書きしていくという歴史観の転換を要請している。今回の江原素六の場合は、そうはいかない(この研究は社会的不平等の是正を目的にしていない)が、オーラルヒストリーにはそういった側面がある。
 以上が、私が江原素六という人物を研究するきっかけ、問題意識、そして研究するための方法論の検討であった。次回からは、江原素六が誰なのかということをより明らかにしていき、彼についての論文を書くうえでの論 argument を練る過程に入る。

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