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100記事目指してなるたけ毎日更新!その81、学生の頃に気づきたかった「勉強」の本質を考える

Ignition.挨拶


皆さんいかがお過ごしでしょうか?

毎日2時間くらい時を止めて勉学に使いたい今日このごろ。

どうも僕です。

本記事は私、Evolution LoopのMμLT1(まるち)が100記事完走を目指してゆるーく書いている記念すべき81記事目になります。

思考速度ってどうやって上げるんですかね?

それでは今日も進化の為に書いていきます。


1.勉強は「知識」の詰め込みではない


 理解している人は小学校に上る前にはこの真理にたどり着くのでしょうが、気が付かない人は一生気が付かないのではないのではという偏見があります。

 勉強というものは知識を吸収するだけなのも結構ですが、知識を吸収する過程で生まれた新しい考え方を取得するというのが勉強の真の意味なのではないか?などと疑問に思いました。

 知識(情報)を頭に詰め込んだとしても、その知識の「使い方」をきちんと整備してやらねば無用の長物になってしまうのではないでしょうか?

 暗記は悪!と言うつもりはありませんが、果たして暗記(知識の詰め込み)をしただけの勉強は果たして本当の意味で勉強と言えるのでしょうか?筆者は疑問でしかたがありません。


2.学校機関でやる勉強は無価値なのか?


 筆者は声を大にして「No!」と断言いたします。

 小・中・高等学校と日本に在住していらっしゃる一般的な家庭で育った方はこのレールを進んでいくのが一般的でしょう。

 しかしながら学校はおろか親でさえ「勉強をする本当の意味」に関してはほとんど教えてくれません。(諸説あります)

 良い進路を歩める・優秀さの証明などとまくし立てる方はたくさん見聞きしたり体験してきましたが、個人的にはどれもしっくりきませんでした。

 しかしながら、学校を卒業してからアラサーが眼前に迫ってきた頃に勉強すると言うことは新しい視点を作るための視界拡張訓練だったのではないかと気づきました。

 Aしか知らないとAの道しか見えませんが、B・Cと学んで行くと1つしかなかった選択肢が3つに増えます。一つしか選べない状態よりも複数選べる状況のほうが色々と楽なのではないでしょうか?

 選べすぎるのも別の問題がおきそうですがそれは別のお話(;・∀・)


3.学校で受ける授業だけが勉強ではない


 勉強と言えば数学やら国語・社会や理科などの授業を思い浮かべる方が多そうですが、これだけが勉強ではないと筆者は考えます。

 ゲームの立ち回りを配信者から見て学ぶ・ギターの教本を購入して教本通りギターをひく・カードゲームの戦術をインターネットから学ぶなど、これらも筆者は勉強だと考えます。

 思考の幅を広げる行為は全て勉強だと考えており、役に立つかどうかは別として学ぶ姿勢はとても素晴らしいことだと思っています。

 勉強が嫌い!なんて宣言していても実は知らないうちに勉強しているということもあるのかもしれませんね。

fin.総括

 では今回の総括として「勉強というのは新しい考え方を手に入れるためにする行為なのではないか」という感じです。

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