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田園交響楽(5) なぜ交響「楽」なのか

 ベートーベンの交響曲第六番を,「田園交響曲」ではなく「田園交響楽」と書いた理由は,「田園交響楽(1)」で書いたが,あらためて補足しておこう。

 「交響曲」はSymphony の和訳だが,さだまさしは「交響楽」の中で

今から思えば 貴方がワーグナーの
交響楽を聞きはじめたのが

と詩を書いて,「シンフォニーをききはじめたのが」と歌っている。
確かに,ワーグナーの曲は「交響曲」ではないので,「交響楽」の方が合っているのかもしれない。

 では,田園はどうかというと,「田園交響楽」という短編小説がある。アンドレ・ジッド著で,神西清の翻訳である。(新潮文庫)
かくいう私は,これを読んでいないし,神西がなぜ「田園交響曲」とせずに,「田園交響楽」としたかもわからない。

 しかし,実は日本に,「田園交響楽」にふさわしい作品があるのだ。宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」である。

 ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。
 ひるすぎみんなは楽屋に円くならんで今度の町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました。

と始まる。「第六交響曲」であって,「第六交響楽」でも「田園」でもない。しかし,これを見事に可視化したものがある。脚本・演出が高畑勲の「セロ弾きのゴーシュ」である。


 のどかな田舎の風景から始まり,空が曇って雨が降り出す。稲妻が光り雷が鳴る。それがそのまま,第4楽章の嵐の練習風景に続いていく。窓の外は嵐。雷の音とともにティンパニが鳴る,という趣向である。
 全編にバックグラウンドとして「田園」の演奏が流れる。その美しい田園風景とともに,まるで,このアニメのために作ったかのように。「曲」だけでなく映像と合わせて「」になっているのだ。

 聞き言葉と書き言葉の違い,ということをきいたことがあるだろうか。
「こうきょうきょく」と「こうきょうがく」を音として聞くと,「こうきょうきょく」の方がイメージしやすいかもしれない。
 これを,漢字にして「交響曲」「交響楽」を目でみると,印象が変わるのではないだろうか。耳から入るものと目から入るものの違いだ。

というわけで,文字として見る note では「交響楽」とした。