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不合格体験記

 その学校の理数科では,毎年合格体験記を冊子にして後輩に配っていた。合格体験記なので,全員ではないが,担任が数名をセレクトして原稿を依頼する普通科とは異なり,合格者全員に出させていた。
 私は,これに疑問を持ち,自分が担任になったときに,「不合格体験記も書く」という方針にした。

 そもそも,何のための合格体験記か。後輩の参考に供するためであろう。では,「がんばったけど落ちた」という体験だって,参考になるではないか。
 さらに,全員に書かせてそれを載せるというのもおかしい。合格はしたが,第一志望でなかった場合はどうなるのか。第一志望に合格できるのは半数くらい。第二志望あるいはそれ以外だったとしても,合格なら合格で,本人の意思に関係なく書かせて掲載するのか。
 私は,合格でも不合格でもその体験記を書いてくれ(後輩の参考のために)その上で,掲載を承知するかどうかも書いてくれ,という頼みかたをした。
 実際,合格はしたが,掲載は断るという例もあった。不合格でも掲載可もあった。そんな中,一つの体験記が目を引いた。

 高校1、2、3年と進むにつれ,だんだん成績が落ちた。そして国公立に落ちた。すべり止めに受けた私立だけに受かった。最近その学部ができた大学で,実績は不明だ。普通なら,浪人して再挑戦となるところだろうが,その生徒は,「それでも行く」と書いた。どんな環境でも,今まではともかく、自分ががんばれば結果はついてくるのではないか,というわけである。

 こういう体験記を,私は望んでいたのだ。何のために大学に行くのか。勉強のためだ。大学名など関係ない。自分がどういう姿勢で進むのかこそが大切。
 ある年の合格体験記(普通科)には,がんばって合格すれば大学で遊べる,と書いてあるものがあった。とんでもない話だ。そんな体験記を掲載する方もどうかしている。それに比べれば,なんと立派な「不合格」体験記であることか。

 その生徒の意思は「不掲載」だった。まあ,そうだろう。国公立に落ちて,名も知らぬような大学に行くのだ。しかし,私は,その生徒に電話して,とてもすばらしい体験記なのでぜひ掲載したいと伝え,許可をもらった。

 「不合格体験記」。こういう考え方を理解しない教員は当然いる。
 当時の理数科長がそうだった。不合格体験記なんてとんでもない,というわけだ。
 といっても,担任がやる,と言ったものを,やめさせることはできない。それに,掲載の可否は聞くようになっている。不合格体験記を書いた者が全員「否」なら問題はないわけだ。
 しかし,その人は,保護者宛ての文書を作成し,あらためて保護者から許可を得るということを行った。生徒からの「可否」だけではだめだということらしい。まさに,高校3年生を「大きな子ども」扱いしているのである。
 私は,まあいいか,やらせておけば。と思った。私の意図は生徒がちゃんと理解している。