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モーツァルトの短調

モーツァルトの短調の曲,といったら,どの曲を想起されるだろうか。
交響曲第40番が得票数が一番かな。
同じト短調で交響曲第25番もある。
ピアノ協奏曲なら第20番ニ短調か。
第24番も短調でこちらはハ短調。
レクイエムはニ短調。ミサ曲ハ短調と双璧。
ピアノソナタはK310のイ短調か,K457のハ短調。
あるいは幻想曲K397のニ短調。
ヴァイオリンソナタは,K304のホ短調。
ピアノ四重奏曲第1番ト短調。
弦楽五重奏曲第4番ト短調。
管楽セレナーデK388のハ短調と,これの弦楽五重奏曲版。

モーツァルトの長調が好きな人と,短調が好きな人でとっさに思い浮かぶ曲数は異なるだろう。

 モーツァルトの短調といえば,小林秀雄の「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」が有名。ここで,小林秀雄は,弦楽五重奏曲4番ト短調の出だしの楽譜を示しているのだが,私は交響曲第25番の冒頭の方が「疾走する」と思う。ピアノソナタk310 や K457も疾走感がある。

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 これに対して,同じト短調の第40番は「疾走」という感じはあまりしない。むしろ逡巡だ。この2つのト短調交響曲については,いずれ稿をあらためて書くつもりだが,25番の方はシンコペーションのリズムが疾走感を出している。映画AMADEUSの冒頭でも使われていて,そのあとに起こることへの「予感」を思わせる。
 しかし,同じように,短調の主音のシンコペーションで始まるピアノ協奏曲第20番は,これとは違ったイメージで始まる。フォルテとピアノ,調の違いでこうも印象の異なる音楽になるのだ。

ピアノ協奏曲第20番の出だしは「不安」であると言えよう。同じト短調の弦楽五重奏曲の出だしは「嘆き」または「哀しみ」。

 出だしに続く展開も異なる。
ピアノ協奏曲第20番は不安がだんだん高じていき,フォルテで爆発する。

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 交響曲第25番は,出だしのヴァイオリンと同じ旋律をオーボエが全音符で吹くのだが,繰り返してピアノになると,ドラマへの予感が,深い哀しみに変化する。

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 弦楽五重奏曲ではメロディーがヴァイオリンからヴィオラへ受け渡される。低音部のない前半,高音部のない後半と,響きも対照的だ。

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 一口に「短調」といっても,その様相はさまざまだ。主調が短調でないために「長調」と書かれている曲でも,中の楽章に短調のものがある。たとえば,ピアノ協奏曲の中で短調で一番好きな曲は? と聞かれれば,20番か24番の2択になるだろうが,「好きな曲」ではなく「好きなところは?」と聞かれれば,迷わずに23番の2楽章と答える。
 学生時代,始めに知ったのが24番だったので,24番を推して定期演奏会で取り上げた。クラリネットには美しい旋律が何ヶ所も用意されている。その後23番を知って,この2楽章の方がずっと魅力的だと思った。第1楽章はイ長調で明るい曲だ。それが,第2楽章になって,一転,深い憂いを含んだ旋律をピアノが奏で始める。それを慰めるかのように,クラリネットとフルートがゆるやかな旋律を歌う。

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この「深い憂い」は,幻想曲K397 でも同様だ。序奏のあと,Adagio でそのメロディーが現れる。

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音型は異なるがよく似た印象だ。協奏曲の方のメロディーをこれで置き換え(調は異なるが)そのあとにクラリネットとフルートを続けてもほとんど違和感はないだろう。

 ピアノ協奏曲第23番と同じイ長調で,出だしも似ているクラリネット協奏曲は,全曲がイ長調だが,第3楽章のロンドに短調の部分が現れる。

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ほんのわずかに現れる翳りだ。その翳りは打楽器風のリズムの全奏で打ち消され,また,スケールを上下降する明るさに戻る。

 この「スケールや分散和音を上下する長調の明るさの中に,ほんのわずかに現れる短調の翳り」は,モーツァルトの全作品の中に現れる短調の翳り,と言ってもいいかもしれない。あるいは,彼の生き方そのものなのかもしれない。職業作曲家として,明るく楽しい曲を提供し続ける中,時折現れる短調の曲は,深い憂い,不安,哀しみに満ちている。