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忘れ得ぬコンサート:ムラヴィンスキーの悲愴

「行けなくなったのでもらってくれるか」という手紙が東京の友人から届いた。
ムラヴィンスキー・レニングラードフィルのコンサート。曲目はチャイコフスキーの「悲愴」。
ありがたく頂戴した。1975年の6月だった。

 当日の曲目は悲愴の他にモーツァルトの39番だったようだが(ネットで調べた),これはほとんど覚えていない。いや,悲愴にしてもほとんど覚えていないのだが,いくつかの箇所だけは鮮明に蘇ってくるのだ。

 私が住んでいた地方都市にはちゃんとしたコンサートホールがなく,プロのオケのコンサートを地元で聞けるチャンスはほとんどなかった。ゲヴァントハウスが一度来たことがあり,それにはもちろん行ったのだが,何を演奏したのかは記憶にない。
 オケを聴こうと思ったら東京まで行かなければならない。交通費を入れると入場料が2倍かかる計算になる。貧乏学生にはほとんど無理な話だった。
 そんな状況下にあって,ムラヴィンスキーが聴けるとは。

 東京文化会館でオーケストラを聴くのは2回目だったろうか。1回目はバーンスタイン・ニューヨークフィルのマーラー九番。だめもとで当日券をあてにしていき,補助席をとることができた。今度はちゃんとした席だ。

 40年以上前の演奏だ。前述のようにほとんど覚えていないのだから,どのように始まったかも書けないのだが,途中で,オケのパワーに圧倒された。ここからだ。
 第1楽章の267小節目あたりから,フォルテ記号 f が3つ fff になる。そして285小節目から, fff でオケ全体がホールにガンガンに響き渡る中,トロンボーンとチューバがそれを突き抜けてくる。ものすごい迫力だ。

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 すげえ

その迫力は第3楽章でさらに高まる。
弦がユニゾンでうねる。木管がユニゾンでうねる。

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金管が加わり fff のまま進んでいき,最後は低音のロングトーンと三連符で終わる。

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第4楽章。間を空けるのか空けないのか,咳払いは許されない。
はたして,ほとんど間を置かずに第4楽章へ。
戦闘的な強奏が一瞬にして慟哭に変わる。
フォルテからピアノへ音が沈んでいく。
不覚にも涙がこぼれた。
感情移入しすぎたか・・・

最後は低弦だけが残り,深い悲しみに消えていく。
誰も拍手をしない。(するな,拍手をするな・・・)

始めに拍手をした人はよほど勇気のある人か,音楽を解せない人のいずれかであっただろう。
それでも,パラパラから一気に会場は大きな拍手につつまれた。
私は・・・ 
大きな拍手ができなかった。余韻にいつまでもひたっていたかったのだ。