プリントアウトしてnoteを読む
古いやつだとお思いでしょうが,文章をきちんと読みたいときはプリントアウトして読むことにしています。以下,その話。4000字あります。暇なときにどうぞ
たとえば,授業で使うテキスト。これは印刷するのだからプリントアウトは当たり前だが,最終版はプリントアウトして確かめる。それでよければ輪転機にかけるが,ここでやり直すことも一度や二度ではない。
編集中の画面は横書きだし,印刷テキストも横書きなのだが,印刷すると意外に修正点が見つかる。
なぜかと考えてみると,おそらく,読む立場(生徒の立場)になって読む,という「視点の相違」が大きな要素になっているのだろうが,もう一つ,透過光と反射光の違いもある。これについては後述。
これに対し,note の作品をプリントアウトして読む,というのは,少し違う。読みやすいからだ。
今回は,このあたりを分析してみる。
段落構成
ご存知の通り,note での段落の取り方には通常の書物(横書きの解説文など)とは違うものがある。これについては,「note における段落構成について考えてみた」に書いた。
文章は,段落の構成によって読みやすさが変わる。読みやすさが変わると読むスタイルも変わってくる。
ここでは,段落の構成について,「読み手を意識した書き手」という観点から,通常の文章,電子メール,note の3つに大別して論じてみたい。なお,私は文章の専門家ではないので,あくまでも個人的な好み,ということになるが,その点は了承されたい。
note には改行による段落の作り方について独特のルールがある。
Enter で改行するのと,Shift+Enter で改行するのとで,行間が変わるのはご存知の通り。通常の文章のようにするには,Shift+Enter で改行し,冒頭に全角スペース(日本語の場合)を入れる。これがインデント。
Enter だけで改行すると,行間が空く。しかし,空行ではない。
この「段落構成」は,視線の動きに関連しているし,全体像の把握にも関連している。全体をざっと読みたいときは,段落の始めの方を見ていくことになるからだ。これは,次の「読むスタイル」に関係する。
読むスタイル
前記の,「note における段落構成について考えてみた」で,読むスタイルについても書いている。
この中で,しりひとみさんの作品をあげて,
私はこの手の書きかたは苦手だ。空行が多く,しかも幅が広いので,意識が散漫になり集中力が続かないのだ。これをワープロソフト(Mac の Pages)上にコピペしたら,空行が自動的にすべて1行になり,格段に読みやすくなった。読みやすくなると,内容がどんどん頭に入ってきて,なるほどグランプリだけのことはある,と納得がいく。
と書いた。これが今回のテーマで,なぜプリントアウトするか,のひとつの解答だ。空行が多いと散漫になってしまう,というのがその理由なのだが,これについてはもう少し補足が必要だろう。
空行を多く取る人は,当然それも含めた文章作りをしているはずだ。空行は「間」に通じるから,間の取り方をそのように設計している,ということだ。しかし,その間の取り方が読み手に合うかどうかが問題だ。前記のしりひとみさんの作品では,しりひとみさんの感覚と私の感覚が合わなかったということだ。しかし,その間の取り方を変えると,文章の内容については納得できているのだ。
さらに,ここにもう一つの要素がある。それは「何を使って読んでいるか」だ。私はパソコンで,しかも23インチのディスプレイで読んでいる。ただし,基本的に全画面表示にはしない。(シングルタスクですか,マルチタスクですか)
したがって,一度に表示されるのは,ウィンドウのサイズにもよるが,20行くらいだ。これが,空行が多いと15行,場合によっては10行くらいになる。
これが,ケータイ・スマホだとどうなるか。残念ながらスマホを持っていないのでわからない。(シーラカンスか)
確実なのは1行の文字数が違うことだが,空行の効果がどう出ているのかは不明である。これについては,どなたかから情報をいただけるとありがたい。
ともかく,私の環境:23インチディスプレイで20行程度 で読むときに,空行が多いと,どんどんスクロールしながら読むのだが,私の場合はそれで注意が散漫になってしまうということだ。ワープロソフトにコピペして,フォントサイズを調整すると全体が詰まるのでスクロールの度数が減るわけだ。プリントアウトすると,このスクロールそのものがなくなる。
長い文章
noteの作品を最初にプリントアウトして読んだのは,伊藤緑さんの企画「原稿用紙に枚分の感覚」のときだと記憶する。「「原稿用紙二枚分の感覚」応募作品と評を読む」にも書いた通り,すべての作品をプリントアウトして読んだ。その理由は,段落構成を排除し,内容と表現に集中して読むためである。プリントアウトすると,空行の多い作品も,空行がほとんどない作品も,同じように読める。そこから,この企画のテーマである,「表現」「描写」を読み解こうというわけである。
もうひとつは,伊藤さんの評そのものが長い文章になっているということだ。これをじっくり読んでいくにはプリントアウトするのがよい。
長い文章:小説 をちゃんと読もうと思うときもプリントアウトする。最近では,涼雨 零音さんの[習作]:サイカイカフェ」だ。
#書き手のための変奏曲 とある通り,マリナ油森さんの企画に応じたものだが,どのように「変奏」されているかに興味があった。そのためにはしっかり読みたい。プリントアウトして比較しながら読みたい,ということである。
行間
次の図は,noteの画面と,同じテキストをワープロソフトに貼ったものを並べている。題材は,上記のサイカイカフェ#01である。細かい字は読めないだろうが,右側では全体がぐっと縮小されているのがわかる。なお,フォントサイズも小さくしてあるが,これはプリントアウトして読むときに私が読みやすい11ポイントにしているためだ。したがって,右はプリントアウトしたものと同じと思ってもらってよい。実際,プリントアウトしたものをこのように並べてみたがほとんど同じだった。
フォントサイズもさることながら,右の方が行間が狭いことがわかるだろう。空行があるとその差はさらに大きくなる。
この効果はなんだろうか。2つ考えられる。
1.同じ分量を読むのに視線の移動量がまったく違う
視線の移動量が少ない方が速く頭に入る。
2.一度に見える量が違う
ある箇所を読んでいるとき,それ以外の箇所も何となく見えている。すると,前に戻るときなどにさっと戻れる。話の進行を確かめるために前後しながら読むのは普通にあることだからその能率の違いは無視できない。
これについて,文庫本を模して書いてみた,「奈良の夜景:第三変奏」でも考えてみよう。
横書きと縦書き
普通にnoteで文章にすると次のようになる。
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仕事を終えて大阪難波から急行に乗る。近鉄奈良の駅前で陽子が待ってい
るはずだ。三回目の奈良。車窓を眺めながら十年前に記憶が戻る。
修学旅行は奈良・京都の歴史の旅だった。いわゆる名所巡りではなく、歴
史や古典文学を題材にいくつかのコースが用意され、それ以外に、丸一日は
何かのテーマを持って班で活動をすることになっていた。
班編成は自由だったけれど、こういうときにうまくやれないのが何人かは
いるものだ。そういう人たちが集まって形式上は班を作り、計画書も出すが、
裏では勝手に行動することになっていた。ふたりとも、そういったはみ出し
者だった。
初日は明日香を巡って奈良泊。夜も八時時半までは班での外出が許されて
いたが、われわれの行動パターンは昼間と同じだった。集合時間と場所を決
めて、あとは好き勝手に動く。
宿を出ると、時間を確認してそれぞれの方向に向かった。三条通りをひと
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これを縦書きにしたものが次だ。
フォントの違いはあるが(ゴシックと明朝),それを差し引いても違いが感じられるだろう。言うまでもなく,視線の動きが横か縦か,である。
それとともに,行間の幅も異なっている。
これだけでは,縦横以外にはあまり違わないように思われるかもしれない。しかし,同じような内容の「奈良の夜景:十年の後」と比べながら全体を読んでみると,かなり違いがあることがわかるだろう。
世代間ギャップはあるか
スマホになれ親しんでいる若い世代と,ネットはコンピュータの画面でずっと見てきた世代,印刷された本が主体の世代による差がどのくらいあるかは,まったくわからない。これについて研究するのであれば調査をするところだろうが。
たとえば,同じものをディスプレイで読むのと印刷して読むのとの違い。はじめの方で書いたように。ディスプレイは透過光で,紙は反射光で読むことになる。この差を小さくしようとして開発されたのがKindleだが,私はKindleを持っていないので,そこもわからない。
私は一日8時間はコンピュータのディスプレイを見ながら過ごしている人間だが,それでも,紙で読む方が読みやすい。
書き手として
以上,本気で分析的に読みたいとき,長い文章をきちんと読みたいときはプリントアウトして読む,ということの意味を考えてきた。
このことは,書き手としても考える意味はあるだろう。noteの様々な作品を見ていると,段落構成や行間(空行)について無頓着な人,よく考えている人,作品の種類によって変えている人など,いろいろあることがわかる。
まったく個人的な感想で恐縮だが,私の場合どうしても「読みやすさ」が先行することが多い。(短気だから?) そのため,誰かの評を見て,あ,いい作品なんだと思って読み直すこともある。もちろん,ざっと読んでからはじめに戻って読むという作品もある。さらに,ざっと読んでからプリントアウトしてじっくり読むという作品も。
以上,普段スマホで読んでいる人は,そもそもプリントアウトする環境(つまりプリンタの所有)がないとは思うが,長い小説は一度プリントアウトして読んでみたらどうだろう。きっとふだんとは異なる風景が見えてくるだろう。