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国語教育とは何か(3) 学習指導要領を斬る(2)

 前回に続き,学習指導要領解説 国語編 を読む。
まず,第1章 総説 の「第2節 国語科改訂の趣旨及び要点(2)科目構成の改善」を読んでみる。
今回の改訂でいろいろ議論が起きているところである。

 中央教育審議会答申においては,高等学校の国語科の課題と科目構成の見直しについ て,次のように示されている。

として,答申の内容を枠囲みで示している。
ここで全文を引用するのは結構な分量なので,要点だけを示そう。

○ 長年にわたり指摘されている課題の解決を図るため,科目構成の見直し を含めた検討が求められており,別添2−1に示した資質・能力の整理を踏まえ, 以下のような科目構成とする。
○ 実社会・実生活における言語による諸活動に必要な能力を育成する科目「現代の国語」と,自身の言語による諸活動に生かす能力を育成する科目「言語文化」の二つの科目を,全ての高校生が履修する共通必履修科目として設定する。
○ 選択科目においては,共通必履修科目「現代の国語」及び「言語文化」において 育成された能力を基盤として,「思考力・判断力・表現力等」の言葉の働きを捉え る三つの側面のそれぞれを主として育成する科目として,「論理国語」,「文学国語」,「国語表現」を設定する。 また,「言語文化」で育成された資質・能力のうち「伝統的な言語文化に関する理解」をより深めるため,ジャンルとしての古典を学習対象とする「古典探究」を設定する。

そのあと,次のように続く。

このことを踏まえ,今回の改訂では,共通必履修科目として「現代の国語」及び「言語 文化」を,選択科目として「論理国語」,「文学国語」,「国語表現」及び「古典探究」をそ れぞれ新設した。

ということは,答申を受けて検討したというより(検討はしたとしても)答申で示された科目をそのまま採用したということだ。
それぞれの内容についても,答申の内容をほぼなぞったものになっている。「このことを踏まえ」もなにもないではないかというほど,「そのまま」なのだ。

 次に,「第3節 国語科の目標」「1 教科の目標」を読んでみる。まず,小中学校の国語の目標との関係を述べ,「小中高の一貫性を図るとともに,より高い目標を掲げている,とし,

 教科の目標では,まず,国語科において育成を目指す資質・能力を国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力とし,国語科が国語で理解し表現する言語能力を育成する教科であることを示している。

「馬から落ちて落馬」みたいな表現だが,同じような重複した表現が,このあと何度も現れる。次の文に至っては,読むのがいやになるほどである。

今回の改訂において示す国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力とは,国語で表現された内容や事柄を的確に理解する資質・能力,国語を使って内容や事柄を効果的に表現する資質・能力であるが,そのために必要となる国語の使い方を的確に理解する資質・能力,国語を効果的に使う資質・能力を含んだものである。

 太字は原文のままである。この文言には,何を理解・表現するかが書かれていないので,そのあとに,「内容や事柄」と書いた。しかし,「国語『で』」となっているので,さらに,「国語の使い方」を「含む」としたようだ。それならば,国語の話なのだから,「国語を使って」は暗黙の了解として「表現物の的確な理解と,効果的な表現ができる資質・能力」としたらどうだろう。ずっとすっきりするではないか。

 そのあとに続く,次の文はどうだろう。

的確に理解する資質・能力と,効果的に表現する資質・能力とは,連続的かつ同時的に機能するものであるが,表現する内容となる自分の考えなどを形成するためには国語で表現された様々な事物,経験,思い,考え等を理解することが必要であることから,今回の改訂では,「的確に理解」,「効果的に表現」という順に示している。

「理解」と「表現」には順序がある,という話である。順序があるなら,「同時」ではありえないではないか。これを普通,「矛盾」という。そもそも「連続的かつ同時的」が矛盾しているのである。

このようなトートロジー,論理的整合性のとれない文章が延々と続く。
紅野謙介は,「国語教育 混迷する改革(ちくま新書)」の第3章で,この指導要領解説について

プラグマティズムのまなざしで見ると,この正規解説本が実に使いにくい。あえて読ませないようにしておきながら,何か言われると「読んでない」と反論するためにこのように分厚くしているかのようです。

と書いている。そのために,同書では学習指導要領解説の解説本を使って議論を展開している。それらには,具体的な指導計画が書かれているので,より突っ込みやすいということもある。

 前回指摘した,「学習指導要領解説の本文に『読解力』という言葉は一度も使われていない」という点についてであるが,[第1章 総説」「第2節 国語科改訂の趣旨及び要点」で,PISA の結果に触れ,「読解力に関して改善すべき課題が明らかとなった」としながら,国語科では「読解力」をどのようなものと捉え,どのように改善するのかはまったく書かれていないのである。
「国語教育 混迷する改革」で取り上げている解説本でも,読解力に焦点を当てたものはないようである。
 つまり,国語教育では,「読解力」については興味も関心もなく,「改善すべき」といいながら,その方策についてはなにも考えていないのだろうか。
 いや,「今回の改訂において示す国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力」というところにある,というのかもしれない。しかし,「読解力」をどのようなものと捉えているかは書いていない。

 そこで,次回は,あらためて「読解力とは何か」を考えてみたい。