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源平合戦の地へ:壇ノ浦

 源平合戦の地,屋島には2020年2月に行った。それよりおよそ10年前,壇ノ浦に行っている。今回は写真を多めにした紀行文。
 ルートは,下のマップで,門司港から唐戸,左下で見えないけれど巌流島,赤間神宮,みもすそ公園(壇ノ浦古戦場址),火の山。

 新幹線で12時26分に小倉着。ここで食べた昼食は「旅めし:小倉」に書いた。
門司港へJRで行き,連絡船で下関へ。下関へ行くだけならJRで行ってしまう方が早いし安いが、関門海峡を船で渡るのが目的である。壇ノ浦の合戦は船上の戦いだから船で行ってみたい。波がちょっと荒い。

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連絡船は思ったより小型だった。残念ながらオープンデッキはない。理由はこのあとわかる。

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ごらんの通りの波しぶきなのである。窓越しに撮影。

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下関、唐戸からちょっと寄道。巌流島上陸クルージングへ。こんどの船はオープンデッキがある。巌流島への連絡船は頻繁に行き来している。

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巌流島の元の名前は舟島である。桟橋からすぐ近くに舟島神社がある。由緒書きによると,慶長17年4月13日,宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われ,負けた小次郎の流派に因んで巌流島と呼ばれるようになったという。
丘の上には武蔵・小次郎のオブジェがしつらえてある。

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海辺には武蔵が乗ってきた船のオブジェも。この浜は人工とのこと。

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唐戸に戻り,唐戸市場に寄る。寿司、ふくのフライ、唐揚げ、ふく汁などあって、食べる場所もある。

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カモンワーフで観光案内パンフに載っていた「ふく焼き」を買って食べ(8個で450円)海岸沿いに徒歩で赤間神宮へ。海側に錨がある。知盛にちなんでのオブジェであろうか。
 壇ノ浦の戦いで負けを覚悟した平知盛は,錨(碇)を担ぎ「見るべき程のことは見つ」と言って海中に沈んだという。鎧二着ともいうが,錨の方がかっこいい。

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赤間神宮。壇ノ浦の合戦で入水した安徳天皇を祭神とする神宮で,平家一門の墓もある。詳しくはこちらへ。

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大安殿

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大安殿から奥へ進むと,大連神社,稲荷神社がある。西に回ると平家一門の墓である。

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墓の脇に芳一堂がある。昼間なので鬼火は出ていなかったが,夜になるとここに鬼火が出て,琵琶を弾いて平家物語を語れ,というのだ。(ほんと? いや実際の話は赤間神宮のWebページにあります)

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さらに歩いて,関門橋の先のみもすそ公園へ。壇ノ浦古戦場址となっている。向かいは和布刈公園。

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ここは,壇ノ浦の戦いだけではない。江戸末期,幕末の攘夷戦で、長州藩が外国船に砲撃をした場所でもある。その長州砲のレプリカが置いてある。

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明治期に山頂に砲台が置かれ,重要な軍事拠点であった火の山へのロープウェイは運休だった。頂上まで1.6kmとあるので、登ることにした。展望台。

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展望台からは関門海峡が一望できる。ちょうど関門橋の下辺りに,幾艘もの船が行き交い,合戦をしていたのである。

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山から下りるともう夕暮れ。平家茶屋で瓦そばを食べ,バスで門司駅方面にもどり、海峡ゆめタワーへ。夜景がなかなかよい。

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おしまい