我が青春のブラ4
はじまり
入学式の前日,必要なものを学生協に買いに行き,ついでに校舎をぶらっと回ってみた。
ヴァイオリンの音が聞こえた。
オーケストラだ。
廊下にヴィオラを持っている人がいた。
「新入生ですが,見学してもいいですか」
中に入ると中学時代の先輩がホルンを吹いていた。少し安心した。
合奏が始まった。
ブラ4だ!
ブラームスの交響曲第4番。通称ブラ4(ヨン)。
中学生のとき,テーブレコーダーを買ってもらって,ラジオで放送される音楽を録音して聴いた。中でも好きなのがブラ4だった。
高校生になり,スコアを買って,クラリネットパートを手で書き写し,練習した。
吹奏楽部だから演奏の機会はない。演奏ができるかどうかではなく,とにかくその音を鳴らしてみたかったのだ。
合奏練習を最後まで見学したあと,「新入生第1号です」と部長に紹介された。
はじめは,ファゴットパートが空いていて,楽器もあるから,と勧められ,2日間だけファゴットに触ってみたが,やはりクラリネットで,とお願いした。
ブラ4はホ短調。楽譜はA管用に書かれている。吹奏楽で使っているのはB管。半音ピッチが違う。そのため,B管ではシャープが3つの楽譜になる。A管ではフラット2つ。
私は,入学祝いにA管のクラリネットを買ってもらった。今なら3、40万はする楽器だ。
練習日は木・土の週2回。他の日に個人練習をするのは自由だ。
楽譜をもらって,初めてブラ4の合奏に参加した。
第1楽章の冒頭,ヴァイオリンがアウフタクトの四分音符から下降する。それをフルートとクラリネットが追う。
音量はピアノ。なんとせつない曲の始まりであることか。
しかし,私はわくわくした。
中学校の宿直室で吹奏楽部の顧問の先生がテレビで管弦楽の番組を見せてくれた。それ以来のあこがれでもあるオーケストラ。
いま,自分がその中で吹いている。
クラリネットパートには3年生が2人いた。新入生は3人。
しばらく行ったところのフレーズがうまく合わず,ひとりひとり吹かされた。3年生のふたりはうまくできない。私に番が回ってきた。1回でパスした。
実はそのパッセージはB管では難しく,A管なら簡単だったのだが,それを知らなければ新入生の方がうまい,と思うだろう。
まもなく,3年生がやめた。たまにくる4年生がひとりいたが,クラリネットパートは3人の1年生の天下になり,私が首席になった。
合宿
夏。
寺で1週間ほど合宿をした。
日中にパート練習と合奏を組み合わせる。
寺といっても,食事は精進料理ばかりではなく,普通の料理も出た。昼休みには近くの店でレモンを買った。店の人が輪切りにしてくれた。すっぱいレモンを皮ごと食べる。暑い夏の,ちょっとさわやかなひとときだ。
夜は好き者(数奇者)が集まって室内楽をやる。私も誘われて,ベートーベンの七重奏曲などを楽しんだ。弦はコンサートマスターはじめ,各パートのトップクラスの人。その中に1年生のクラリネット吹きが入っているのだ。楽譜はその場で渡されて,ほとんど初見。それでも,おたがいに聴きあって演奏を進めていく。間違って止まっても気にしない。楽章が終わればギャラリーからは拍手も起こる。各パートがひとりずつ。室内楽の楽しみは,オーケストラの合奏とはまた一味違う。
別の夜には演芸会もあった。偽医者物語という秀逸な劇が披露された。
ある男が医者を騙り,診察をするふりをして大金をせしめる。
夏の夜である。診察の場面で蛾が舞い込んできた。
「無我の境地。蛾はいない」
アドリブに客席がどっとわく。
大金を手にした男は「これでベニヤドヴァリウスからもおさらばだ」と言う。
これはちょっとした楽屋落ち。安物のヴァイオリンのことをストラディヴァリウスならぬベニアドヴァリウスと言ったのだ。その解説はあとから聞いた。なんだかとても新鮮だった。
劇は拍手喝采で終わった。
ある夜は,徹夜でトランプ。はやっていたのはナポレオン。
夏の夜は短い。
初めての徹夜は早々と明けていった。
夏は恋の季節でもある。
私は,同じ1年生のヴァイオリンパートの子に想いを寄せていた。
しかし,ライバルが何人もいた。
合宿でその子が体調を崩した。
寝ている部屋にそっと行き,ご飯は食べられそうか聞く。
せいいっぱいの想いの伝えかただった。
大学生の夏合宿。なにもかもが自由な、初めての夏だった。
定期演奏会
その年の第8回定期演奏会は,例年と違って静岡と浜松で2公演。静岡公演では指が滑ったわずかなミスはあったものの,今にしてみれば立派な出来だったと思う。
浜松の会場は,静岡よりいい,コンサート用のホールだった。
リハーサルと本番ではステージの照明が変わる。本番用の照明はずっと明るくなり,楽譜のコントラストは高くなり,客席は暗くて見えなくなる。ずっと先に,非常口の緑のあかりだけが見える。楽譜と指揮者に意識が集中する。
クラリネットには結構ソロがある。
ソロとなると,スポットライトは当たらなくても,すべての聴衆の意識が自分に集まるのを感じる。最も緊張し,最も充実感を味わう瞬間だ。
クラリネットは,第2楽章の終わり近くの分散和音のソロが聴かせどころだ。
ソロだから p(ピアノ)と書いてあっても少しボリュームを上げる。分散和音であがった上の音をほんの少しだけ,そうとは気付かれないように長く保ってリタルダンド。その度合い。最後の収まりかた。そのセンスが問われる。
リハーサルでは大事なところでミストーンをしたが,気にしない。本番では細心の注意を払い,思う通りの演奏ができた。
この年のブラ4は,4年生に上手な人が揃っていたこともあり,そのあとの何回かの定期演奏会を通して,一番自慢できる,思い出のある演奏だった。
卒業そして市民オケへ
大学を出る年,浜松にアマチュアのオーケストラができた。青年会議所のバックアップで,マネージメントは青年会議所のメンバーが行い,楽員は演奏に集中できるという,恵まれた環境だ。
教員の採用試験に合格はしていたものの,勤務地が決まらず,オーディションに間に合わない。勤務地が決まり,参加できることがわかって,音楽監督に手紙を出した。音楽監督は大学のオーケストラの顧問・指揮者であるS氏だった。
返事が届いた。
クラリネットパートはすでにいっぱいだった。ファゴットパートが空いていた。楽器も団のものがある。ファゴットでどうか,ファゴットならオーディションなしで,練習生ということで入れられるということだった。まるで大学時代の再現だ。
私は,ファゴットの初心者として入団した。第1回の定期演奏会の曲目はベートーベンの運命。首席には芸大からプロを呼び,私はセカンドだった。
できたばかりのオーケストラ。団員も若い人が多かった。木管バートの何人かが集まってマージャンをしたり,飲み会をやったり。
オーケストラとともに,浜松のフルートクラブにも入った。そちらも若い人が多かった。みんなで川にバーベキューに行ったり,クリスマス会をしたり。
いずれも,若い人たちに囲まれて充実した日々だった。
翌年,フルートパートが少し空いた。
大学4年からフルートを始めていた私は,フルートパートへの移籍を願い出て許可された。
再びのブラ4
5年目の第8回定期演奏会は,ブラ4だった。奇しくも,大学でブラ4を演奏したのと同じ第8回である。
私は志願して,首席を吹かせてもらった。
フルートには第4楽章に大きなソロがある。ほかにも目立つところはあるが,全楽章中で,自分のすべてを賭けるソロだ。
そのソロについては,熊田為宏著の「演奏のための楽曲分析法」に実例として詳しい分析がなされている。
ポイントとなるのは倚音。イタリア語ではアポジャトゥーラ。カタカナで「イ」と書かれている音だ。
熊田氏の表現では,「倚音ほど表情と強勢の二つのアクセントを同程度に,しかも強烈に持っているものはない。」というものだ。
熊田氏はこうも書いている。「演奏の中で倚音の占める音楽的比重は大きいものがあり,倚音の解釈と演奏が正しければ,その演奏の大半は成功であるといってもいい過ぎではない」
私は,このページを何度も見ながら練習をした。
オーケストラには,正指揮者と,トレーニングをする指揮者がいるが,このときのトレーニング指揮者は,別のアンサンブルでも指揮者をしており,すぐれた見識を持ち,厳しい練習をする人だった。何度か注文が付いた。
一方,音楽監督でもある正指揮者からは,注文もついたが,私の演奏を尊重もしてくれた。
ソロの伴奏は,ホルンとヴァイオリン・ビオラが四分音符でとぎれとぎれに和音を鳴らすだけだ。ふつうはそれに合わせてメロディーも吹くものだろうが,彼は「フルートをよく聴いて」と注意した。わずかなテンポの揺らぎ,それを伴奏の方がしっかり聴いて合わせなさいということだ。
そして,本番。
一番心配なのは,一番上にあがったF#の音。フルートでこの音はちょっと出しにくい音なのだ。油断すると外してしまう。といって,力を入れると旋律の滑らかさが失われてしまう。
緊張
うまくいった。
ところがその直後,事故が起こった。クラリネットが入りを間違えたのだ。ちゃんとメロディーを追って,自分をその中に置けば間違えようのないところ。彼はメロディーを追わず,休符を数えたのだろうか。
一瞬の混乱。指揮者に合わせるか流れに合わせるか。
私は,次の入りを勘で入るしかなかった。それでも,オケ全体はそのあとの区切りでトロンボーンが揃って入り,なんとか戻ることができた。
クラリネットとフルート,2つの楽器で同じ曲を演奏したアマチュアはそれほどいないだろう。学生時代のクラリネット,市民オケでのフルート,いろいろな曲を2つの楽器で演奏したが,やはりブラ4が一番の思い出である。
退団そして新しいオケへ
結婚して子どもができ,仕事も忙しくなって,オケは退団した。
数年後,同じようにやめていった仲間が再び集まって小さなオーケストラを作った。フルート仲間からの誘いの電話。子育てが一段落していた私に,断る理由はなかった。
初めて練習に出た日。
フルートの席に座って,チューニングが始まる。
「ああ,帰ってきた」
大学1年生からずっと続けてきたオーケストラ。そこが私の帰る場所だったのだ。
年を経るにしたがってそのオケには新しいメンバーが増え,規模も大きくなったが,ブラ4を演奏する機会はなかった。
もし,再びブラ4を演奏する機会が巡ってきたらどうするだろうか。再びトップを志願するだろうか。それとも若い人にその席を譲って,その隣であの頃を思い出しながらステージに出るだろうか。
ブラ4。FMやCDから流れてくるその言葉や音を聴くたびに,あの日のレモンの味,楽譜にあたる光と客席の黒のコントラスト,クラリネットの分散和音,フルートの全身全霊を傾けたソロの音,そして何より友達や先輩の声が,つい先日のことのように脳裏を駆け巡る。
我が青春のブラ4