花火が消えたときに
かつて勤務した学校で,夏休み中の「学習合宿」というのがあった。一日中「学習」をする。午前中は講義,午後は自学。
初めて「学習合宿」の話を聞いたとき,なんとばかなことを,と思った。一日中勉強漬にして効果があるものだろうか。
そう思ったが,2年目に担当になってしまったので,やむなく運営をした。
合宿には信州松原湖の民宿を借りる。午前中の講義は廃校になった小学校の校舎を借りる。廃校にはなっているが校舎は使えるのだ。
まず,5月に担当者が下見に行く。民宿への挨拶と依頼を兼ねている。民宿は5つ。その一つに泊まる。歓待された。タラの芽の天ぷらをはじめ,たくさんの料理。初対面なのに家族同様のもてなし。
さて,合宿を終えて,考えが変わった。この学習合宿は,環境の提供なのだ。冷房はいらない。夜は涼しい。日中も湿度が低いので快適。値段も格安。中日には,昼休みを延長して松原湖で遊べるようにもなっている。
避暑地で勉強に集中する。引率教員にも避暑地の恩恵がある。午後の自学の間は各宿舎を巡回するが,それ以外は読書する時間もある。
しかし,一週間近く家を空けて指導にあたるのを「負担」と感じる教員は多い。小さい子どもを持つ女子教員には無理だ。そんなことから,信州での合宿は廃れ,家からでも通える近場のホテルを取るようになった。私の考えでは,それでは意味がない。一日中エアコンの中に閉じこもるのも健康には良くないだろう。私はまったく魅力を感じなくなってしまった。
そんな,「近場」での合宿のある日の昼休み,生徒が花火をやりたいというので,監督下で許可した。このときは,山にある寺が合宿地。
火をつけた花火が先頭の紙を燃やしただけで消えてしまった。ライターを持っているのは私。
そのとき,
「もう一回つけるよ」
「え? できるんですか」
「やり直しができるのが人生さ」
と,何気なく言ったのだが,生徒がこれにえらく感動していた。
そう,やり直しができるのが人生。それまでの教員生活は,すべてが思い通りにうまくいっていたわけではない。他人に話せないような失敗もした。そういう経験が,このとき言葉に出たのだと思う。
別に生徒を諭してやろうというような意図があったわけではない。自然に出たその言葉で生徒が喜んでくれたのも,このエピソードを記憶にとどめることになったひとつの要因だと思う。
やり直しができるのが人生さ
イラストは,イラストACのsakiさんによる