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乙巳の変前夜:談山神社を訪れる

 中大兄皇子と中臣鎌足が,蘇我入鹿の暗殺について相談をした,といわれる多武峰(とうのみね)にあるのが談山神社。

 近鉄の「奈良世界遺産フリーきっぷ 奈良・斑鳩・吉野コース」を利用して,名古屋から近鉄で奈良へ向かった。2016年5月のことである。

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 大和八木駅で下車。ガード下のルーシーで昼食をとる。

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談山神社には桜井駅からバスで行くのだが,電車で戻るには時間が中途半端なので桜井駅まで自転車で走る。ちょっと回り道をして藤原宮跡の北側を通る。(タイトル写真)

 桜井駅でバスに乗り,談山神社バス停到着。フリーきっぷでバスにも乗れる。
神社へはここからしばらく歩く。
談山神社。祭神は中臣鎌足である。受付から入ってすぐの蹴鞠の庭。

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 中大兄皇子と中臣鎌足が親しくなったのは蹴鞠の会でのことというが,それにちなんだものだろう。
 というのも,談山神社は乙巳の変よりあとに建てられたものだからだ。ここで蹴鞠をしたわけではない。私も誤解していたが,ふたりが謀議をしたのは,談山神社ではなく,山の中。その場所への入口がここ。

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徒歩10分というから行き帰りで20分。スケジュール上パスしてしまったのだが,行けばよかったとあとで悔やんだ。

十三重塔。十三とはめずらしい。5月なので新緑だが,秋には紅葉に染まるのだろう。

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ここの拝殿には入ることができる。拝殿の中には展示物もある。

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本殿はこちら。様式が春日大社と同じである。春日大社も藤原氏を祀る神社。

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一通り巡って,明日香村に向かった。眼下に明日香村。石舞台まで約5kmだが,結構な坂だ。

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 中大兄皇子と中臣鎌足の二人は,ここを肩を並べて歩きながら将来を語ったのだろうか。当然,蘇我氏を排除したあとのことも相談していただろう。しかし,政治の中心がその後難波,近江と変わっていったのは当初の構想とは異なったのではないかと思われる。
 中大兄皇子は渡来人という説もある。入鹿を斬ったあと,古人大兄が「韓人が鞍作(入鹿)を殺した」と言ったという。その「韓人」とは誰を指したのか。その他,日本書紀の乙巳の変についての記述が妙に細かいというのも謎である。たとえば,子麻呂等が飯を水で流し込んだが恐怖のあまり吐いてしまった,などという記述が史書に必要だったか。そんなことを考えながら,自転車で坂を下っていった。

明日香の石舞台からさらに大和八木まで約35分を走り,電車で奈良まで。
国立博物館の信貴山縁起絵巻展へ。

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入館は3時半ころだったけど,行列で,「先頭まで20分待ち」。3巻あるのだけど,1巻を見てからまた次までが待たされる。上に同じ巻の複製が展示してあるのでそれを見てもいいのだけど,遅々として進まない。研究者じゃないんだから,そんなにじっくり見なくてもいいじゃないか。係員もやきもきしている様子。というわけでどんどん追い抜いて見ていくことにした。ときどき肩越しに本物を。3巻のあとにも,いろんな資料や文化庁による復元模写。むしろこっちの方が興味があるじゃないか。でも,こっちは人がまばら。博物館は5時まで。「あと30分で閉館です」という放送がながれたけど,他の人,全部見て回れたのかなあ。5分前に図録を買って出る。
そのあと「ならまち」をぶらぶらと走り,

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晴朗邸勝手口で夕食。

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泊まりは天理駅そばのビジネス旅館「やまべ」。
翌日は葛城へ。