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高校教師の明日のために 〜序〜

 少し大きな書店に行くと,「教育書」のコーナーがある。学習指導や生活指導のノウハウ本に混じって,現状分析やエッセイのようなものもある。新書や文庫にも教育書に類するものがある。古いところでは
「放課後の教育論」:彩流社:手島純 編著:1997)
「眠れぬ夜の教師のために」(三上満:大月書店:1986)
「非行の火種は3歳に始まる」(相部和男:PHP文庫:1988)
「学校って,なんだろう」(産経新聞『じゅく〜る』取材班:新潮社:1997)
「なぜ授業は壊れ,学力は低下するのか:プロ教師の会:洋泉社:2001」
最近では
「これからの日本,これからの教育」(前川喜平・寺脇研:ちくま新書:2017)
「教育格差」(松岡亮二:ちくま新書:2019)
など。

 このような本を読んでいる教員はいったいどのくらいいるのだろうか。アンケートをとったわけではないので皆目わからないが,職員室の先生方の机上で見ることはあまりない。(もちろん,皆無ではない)
 しかし,教員たるもの,教育書を読まずしてどんな進歩があるのだろうか。もっとも,今の学校の環境ではこのような本を読んでいる暇はないのが現状かもしれない。本当は,小中学校の教員こそいろいろな本を読まなくてはいけないのだが。

 私は,いわゆる「デモシカ」だった。なにしろ大学2年生までは教員にはなるまい,と思っていたくらいだから。教職単位をとるぎりぎりの段階になって「デモシカ」になったのだ。教育学部ではないから,教職単位の授業といってもたいしたことはやらない。はっきり言って,それが現場に出て役に立ったかというとNoである。
 教員になりたての頃は,教科指導より部活指導に時間を割いていたし,生徒は名前を呼び捨てにしたし,授業中に怒鳴ったこともある。部活指導では殴ることはなかったが正座させたこともある。(正座も体罰とされる) 
 しかし,今は,教科指導の方に興味があるし,生徒は「くん」「さん」をつけて呼ぶし,怒鳴ったことなど芝居でやった以外にはない。
 それだけ変わったのは,教育書やビジネス書を読み,先輩教員の言動から学ぶこともあったからだ。採用試験が全然できなかった私の今と,まわりの教員たちの日常を思えば,教員採用試験など何のフィルターにもならない。

 これまでに,本当に「教師冥利に尽きる」と思ったことがある。たった一度でもよいからそう思える時を迎えたいという高校教師のために,駄文をnoteに綴っていこう。

 なお,記事は個人的な体験に基づくものである。