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ポール・グリーングラスが突きつける、ノルウェー・ウトヤ島の惨劇 その先の光と闇 / NETFLIXオリジナル映画「7月22日」

はてなブログからの移行記事です。

「面白い」と表現する事をはばかられる映画があります。今回はそんな作品、18年秋から配信されているNETFLIXオリジナル映画「7月22日」をご紹介。

2011年、単独犯による犯行として最多死者数を出したノルウェーの実際の事件を題材にした作品です。

あらすじ:2011年7月22日、ノルウェー。その日、悪夢が襲った。国の中心部で起こった爆発は始まりにすぎず、ウトヤ島でキャンプ中の青少年たちをねらって一人の男が無差別に銃を乱射したのだ。77人が死亡したこの事件。犯人の狙いは?そして、被害者たちはその後どう日常を取り戻していったのかー。

実は、19年3月に同様の事件を題材にした別の作品が公開となります。それがこちら、「ウトヤ島、7月22日」。

こちらもなかなかチャレンジングな作品で、銃乱射のあった72分間をワンカットで描くらしい。

ただ、恐らく事件発生当日の惨状そのものを描くのであろうこの作品とは異なり、今回のNETFLIX版は事件そのものを描く前半よりも、その後を描く後半の比率が高くなっています。

まずこの前半が、あまりに衝撃的で恐ろしい。

淡々と爆弾と拳銃の準備をしていく犯人・ブレイビク。そこに重なる、将来を語り合い、アクティビティを楽しむ若き希望の星たち。

爆弾を仕掛けるブレイビク。爆発。都市部の混乱。

そんな様子を横目に島へと向かうブレイビク。

銃声に騒然となる子供たち。銃声。乱射。逃げる。隠れる。銃声。銃声。銃声……。

この描写力は、「ユナイテッド93」「キャプテン・フィリップス」等でもその手腕を発揮していた監督ポール・グリーングラスの真骨頂。目の前で起きている状況を的確に、そして偏りなく描写するジャーナリスティックな演出力。映画的な虚飾を最小限に押さえた中でも、緊迫感を切らすことなく惹きつけ続ける。

このリアリティが本当に胃に悪くて……。

例えば爆弾が車に搭載されている事を知っている私たちは、その車の前を一般人が通るたびに「今爆発しないで!」と心の中で祈りながら観るしかない。

例えば、この犯人だとわかっている男が警察に扮して疑われることなくフェリーに乗ってしまった瞬間。島で彼を迎えた大人が身分証を見せるよう尋ねてしまった瞬間。屋内に留まった人々に犯人が「警察です、安心して」と声をかけた瞬間。隠れきれずに死んだふりをした子供たちの元に犯人が来てしまった瞬間。

逃れようのない悪夢に向かってひたすらに転がっていくしかない瞬間を、だけど目を離せずに胃をキリキリさせながら見届けるしかない前半。

そんな犯人に、崖まで追いつめられ撃たれて重傷を負った少年ビリヤル。

後半はこのビリヤルと、犯人ブレイビク、彼の弁護に呼ばれたゲイルを中心に事件の「その後」が描かれます。 

逮捕後ブレイビクは、悪びれることなく「国のためにやった」「自分はテンプル騎士団の指揮官だ」などと言い放ち、弁護士のゲイルに対して「そんな自分の弁護が出来て幸せだね」などとのたまう。多文化主義を憎悪し、移民を排除することを正義とする思想。

誰かと同じ。

その尊大な態度にまた胃がきりきり。

そんなブレイビクは精神疾患として刑を免れるのではなく、自主的犯行を認め、そこにある思想を語ることで法廷で主導権を取り返す事を望みます。

そこに対峙するのが、ビリヤル。重症を負い、有望な将来を、親友を失い、希望までも失っていたビリヤル。

だけど彼は、再び立ち上がる。その言葉で、法廷でブレイビクを撃ち返す。

“ 私たちには家族があり、友達があり、未来があり、希望がある。だけど、あなたは独りぼっち。完全に独りぼっち。”

それは、憎悪に憎悪で返すのではなく、もっと大きな愛の存在がそんなちっぽけな憎悪には負けないということをはっきりと示した、素晴らしい瞬間。

それまでブレイビクを支えていたからっぽの世界に、ひびが入っていくのが見えた瞬間。

それまで余裕を感じさせる立ち振る舞いをしていたブレイビクの鈍く光る瞳が曇った瞬間。

片方の目を失ったビリヤルに、しっかりと両目で正面から見据えられたブレイビクには、明らかな動揺の色が見えました。彼の信念、彼の言動は全て空虚で独りよがりな土台の上になりたっていたんですよね。

憎悪に憎悪で返すのではなく、愛をもって団結することでこの恐ろしい男からノルウェーの未来を守った少年の勇気に、知らずのうちに涙が流れていました。

このシーンのビリヤル役Jonas Strand Gravli君の演技、めちゃくちゃ良かった。

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グリーングラス監督の作りだす映像だけで考えると、それこそワンカット等で描く事も出来たような気がする本作。信念を持った容赦ない殺戮犯、一瞬にしてカオスとなる島、逃げ惑う少年たち。

だけど、2011年の事件をこのタイミングで、そして事件のその後をメインに据えて映像化するということは、その部分にこそ現在の世界に通じる重要なファクターを見出しているのだと思います。

あくまで演出はジャーナリスティックに、どちらかに偏重することなく描くグリーングラス監督だけど、取り上げる題材と切り取る要素にこそ元ジャーナリストとしての監督の使命感が滲むのでしょう。

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こうした作品の感想をどう述べたらよいのか、未だに悩みます。

映画は何のためにあるのか?

基本的に私は「現実から一歩逃避できる娯楽」としての側面に惹かれていますが、こうした作品を「消費」することには抵抗がある。世界の知るべき事実を知り、自分の中に何かを残さなければと思う。

映画が昔ニュースを伝える媒体だったことを考えると、それもまたひとつの側面。

前述の「ウトヤ島、7月22日」はノルウェーの監督が撮っているとのことで、本作とはまた違う観方もあるかもしれません。

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