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ガール・ミーツ・ガールのジュブナイル小説としての『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』読解

 はじめに、本記事は『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』読書会に使用するレジュメとして書かれたものであり、内容としてはまだ詰めきれていない部分が多く散見されることを述べさせていただく。また、角川文庫版『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』から多くの引用を行なっているほか、先行研究との参照などはしていない、非常に出来の甘いものであることは認めざるを得ない。

1.    登場人物/キャラクター整理

舞台:鳥取県境港市

a.     山田なぎさ 中学2年生

 漁師であった父親を「十年前の嵐の夜」に船が転覆したことにより亡くしており、なぎさ、兄、母の母子家庭であり、家事のほとんどを担う。中学二年に進級した時点で、家庭の様子を鑑みて、中学卒業後に高校に入らずに自衛官になる覚悟、「実弾」を込める覚悟をした。現実主義者、リアリストとして描かれる。自身の生存、実存に関与しない事柄、関与するはずの事柄に対しても、意識的に我関せずの態度を取る。

 

キャラ属性

子供/現実主義者/アダルトチルドレン/未熟・未成熟/多数派・平凡な人間/読者の主観の投影先/生きて大人になる子供(ヒーロー?)

 

 

b.     海野藻屑

 中学2年生 東京から来た転校生 海野雅愛の子供 美少女

 彼女曰く「海の底の人魚の国(東京?)から来て、十年に一度の嵐から人魚たちを守るために陸(鳥取県境港市)にやってきた人魚姫」。著名な音楽家である彼女の父の海野雅愛とはおそらく、性愛関係にあり、母親を下して、鳥取までついてきたようである。(ファム・ファタール的側面)

 好意/性愛の残虐なまでの暴力的、被-捕食的、反転的性質に父親の影響からか敏感であり、父親について、「ぼく、おとうさんのこと、すごく好きなんだ」「好きって絶望だよね」[1]と述べるほか、聖愛に伴う傷を「汚染」と呼んだり、幼少期に負った後天的な障害さえ、「人魚姫の象徴」として、隠しもしない。藻屑は、「海野藻屑」という「とんでもない名前」からも冒頭で述べられているように、容易には想像し難い歪んだ生育家庭のために、幼少期から自分を人魚姫と同一化することでしか生きる、生き延びること(survive)できない子供、として描かれている。 

 自分よりも程度の軽い、しかし苦しみ喘いでいる幼い人魚(子供)を助けるべく?自己救済の望みを得るために?ストックホルム症候群?病名「愛」のために?甘ったるい、子供っぽい、砂糖菓子の弾丸、A Lollypop bulletをのべつまくなしに撃ち続けるテロリスト。

 

キャラ属性

子供/現実逃避/過成熟した子供/少数派・非凡な人間/富裕/自殺者/偶像/ヒロイン/大人になれない子供


c.     山田友彦

 17歳 山田なぎさの兄 引きこもり “神の視点”の持ち主

 中学時代、容姿や勉学の成績などもいいこともあり、モテていたが、おそらく、女子に行為を迫られたことをきっかけに、引きこもるようになった。

 高等遊民的な、それこそ2000年代初期の高学歴ニートの図をイメージすれば良いのだろうし、客観的に中学生の彼らを外部から眺める読者の仮託先にもなるだろう。本文中に幾度となく触れられているように、作者の、桜庭一樹自身が投影されており、神の視座を持つことが強調されており、中学生のなぎさには得難い知識などを都合よく、舞台の外側から持ってくるために、役回りは殆どギリシャ悲劇におけるデルフォイの神託と被るのではなかろうか。


暗いアスファルト道路。稲穂にはさまれた濡れた黒い道。そこをなにかが遠ざかっていった。濃いピンク色をした霧のようなものを一瞬、見たような気がした。なにかがあたしと友彦のそばからゆっくりと離れていった。[2]

 の部分が小説の構成上必要不可欠であるのか、作家「桜庭一樹」のイメージとしか捉えようのない抽象的概念をここまで露骨に描き出す必要性の議論などもできたら面白いのかもしれない。

 

キャラ属性

子供・大人の中間存在/傍観者/客観的視座の読者・作者/作者(神)の代弁者/「変身」する存在/ 大人になった子供

 

d.     海野雅愛

 エキセントリックな音楽家 家庭における父という絶対者 天才 社会不適合者

 友彦が俯瞰的な、関与を差し控え、予言を与える穏和な人間観察の神であるのならば、雅愛は感情的に関与し、荒れ狂う、超自然的な残虐な神である。人魚に対するポセイドン(-ゼウス)の関係であろう。愛と暴力とを履き違えた、おそらくは最初から間違えているとんでもない男である。「人魚の骨」[3]の時点でかなりおかしいのだから始末に負えない、理不尽な絶対神として描かれており、また実際、この父親像は子供のいる世界、血縁や学校、教育などの他者の介入の難しい、救い難いまでの、文字通りの神に近しいほどの先天性の災いと、「十年に一度の嵐」と藻屑が作中で寓意したような、統計的にはほとんどないが、しかしどこかにあり得てしまう、受け入れ難い神としての残酷な父親像の表象。

 

キャラ属性

大人/絶対者/超自然的な神/罰し難い、関与し難い罪悪/大人になってしまった子供?

 

 備考:p166「海野雅」(改行)「愛が立っていた」 

海野雅愛は作中において、残虐な支配欲、カニバリズム的な性愛の表象であると思うので、ここの改行も意図的な仕掛けなのではないか?


2.    テーマ性・借用概念の整理

a.     アンデルセン『人魚姫』

人魚姫―藻屑/父親・海王―雅愛/魔女―藻屑の母親/人魚たちー自殺者・死者・子供たち

王子様―なぎさ/婚約者―花名島(?) 海王の母「おばあさま」不在

 

 作中で藻屑が始終自身を「人魚」「人魚姫」であると主張していることから、人魚姫の概念を借用していることは自明である。「海の底」「人魚の国」について、作中で藻屑は二度言及している。

一つに、なぎさの、十年前に予報にない大嵐で死んだ父親に関して、藻屑は「その人、海の底で会ったよ。幸せそうだった。金銀財宝に、美女の人魚。地上のことなんて忘れて楽しくやってたよ。海で死んだ漁師さんはみんなそう。幸せだよ。よかったね」[4]と述べている。

次に、花名島となぎさと藻屑で映画を見に行く際に路線バスに乗るくだりで、「藻屑が知っているバス――本人は日本海の底の潮騒バスといってるけど多分、東京の路線バスなんじゃないかな――は」[5]と、今度は明確に東京という地名が出ている。

藻屑の言う「人魚」の寓意はシチュエーションによって意味合いを変えているように見えるため、一概に述べるのは難しい。しかし、海野藻屑にとっての、十年に一度の大嵐が来るまでに(自分が父親に殺されるまでに)見つけなくてはいけない「探し物」、『人魚姫』における一目惚れした王子様とは誰だろうか、と考えるならば、必定、13歳の少女でありながらも不相応に必死に生き延び、兄を養うために、高校にも行かずに自衛隊に入ろうなどと「実弾」を込める、自殺に思えるほどの自身の身を顧みない家庭から脱出する努力をしている、自分よりも少しだけ状況がマシな、自分の子供の愛らしい「人魚」によく似た「人間」の山田なぎさではないだろうか。

 

お姫さまたちは、どんな人間よりも美しい、きれいな声をもっていました。あらしがおこって、船が沈みそうになると、その船の前をおよぎながら、それはそれはきれいな声で、海の底がどんなに美しいかをうたいました。そして、船の人たちに、海の底へ沈んでいくのを怖がらないでください、とたのむのでした。けれども、船の人たちには、お姫さまたちのうたう言葉がわかりません。あらしの音だろうぐらいに思いました。それから、その人たちは、美しい海の底を見ることもできません。それもそのはず、船が沈めば、人間はおぼれて、死んでしまうのです。そうしてはじめて、人魚の王さまのお城に行くのですからね。[6]

 

 また、上記の『人魚姫』における、船乗りと人魚たちの関係の描写を考慮すると、やはり、人魚(海の底の住人)はほとんど、物質的な死者として描かれていると捉えてよいだろう。人魚(海の底の死者)の言葉は船乗り(陸に住む生者)には理解できない、と言うのも、藻屑と山田なぎさら(大多数の人間)の関係と共通しているだろう。また、人魚の姫であると語る藻屑は、人魚が海面に上がるという、15歳にさえなれない事実が、冒頭に述べられているのも興味を惹く。

 

b.     日本神話『因幡の白兎』(作中該当箇所p44)

大国主―なぎさ>白兎―友彦・なぎさの母親/八十神(大国主の兄弟神)―クラスメイト・大人たち

因幡におわす姫(八上姫)―花名島

鰐鮫≒人魚(先祖)≒藻屑(人魚姫)<海野雅愛(巣素戔嗚?)

 

a-b なぎさと藻屑の構図、関係

aとbの双方において、名前の通り、山田なぎさが陸、海野藻屑が海を象徴しており、『人魚姫』における王子(陸に生きる人間)と人魚姫(海から生まれて泡と消える存在)の魔女との契約による「おし」である(人間一般と意思疎通のできないこと)ための宿命的な人物設定から見える構造的な悲劇の内在性は同じであるように思う。

『因幡の白兎』においては、おそらく着目すべきは使役関係である。白兎は、大国主の兄弟である八十神に揶揄われて、傷を重篤なものにしてしまうも、大国主の助言によって、傷を平癒させる。つまり、八十神/大国主と白兎の間には非常に薄く上下関係が見られる。そして、鰐鮫に関して藻屑は「あの神話に出てくる鰐鮫って、人魚のことなんだよ。ぼくたちの先祖。うさぎにだまされてすっごいいやな思いしたの。だからうさぎは天敵。」[7]と述べているが、作中で藻屑は自分を周りの人魚の卵を孵す、人魚の中でも特別な「姫」である[8]と繰り返し述べている。つまり、藻屑も鰐鮫の子孫の中でも、八十神に対する大国主の特異さと同様に、他の人魚に対して「人魚姫」が優位に立っているという点で、なぎさがうさぎの「飼育者」であるという位置関係と藻屑の自認する「人魚の卵をする人魚姫」の関係が平行になるのである。

 

金網にひっついた藻屑はうさぎに向かって唸り声を上げた。あたしはあきれて、藻屑を無視して餌の人参やキャベツを取り出した。丁寧にうさぎの面倒を見るあたしを、藻屑は不思議そうにみつめていた。[9]

 

 この段階で、藻屑のなかでは、自分と似た悲劇的状況に属している「人間」として、非常に強い友情の確認が取れたのではないだろうか?この点においてのなぎさの承認が、次のうさぎ小屋の世話をする場面であるp110「ああ、この子は友達だ」まで遅れていることは、読者に印象的に両者間の認識の差異を演出している。

 

 また、藻屑の家庭は母親不在(もしくは父親の擬似的婚姻)の父子家庭、なぎさは父親不在による母子家庭だが、求められている女性像、母親像こそ異なるが、両者ともに中学生であるのに不相応な振る舞いを年長者に求められている、アダルトチルドレンの表象としても読解ができ、『人魚姫』の物語を『リヴァイアサン』『社会契約論』といった、社会契約とそれに対して個人の負う責任の寓意として読む場合、本作はその失敗後の現代の問題性を描いていると言えるのではないだろうか?

c.「砂糖菓子の弾丸」と「実弾」

 

c-1.『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けないA Lollypop or A Bullet』はどのような意図でつけられ、作中で過剰に思える程「砂糖菓子の弾丸」は反復されているのだろうか?


 作者の代弁者である友彦はp34からp36にかけて、妹であるなぎさに流暢に「空想的弾丸」の話をする。

「むかしむかし、岩塩で作った弾丸で人を殺した男がいたんだ。男は硬く硬く岩塩を固めて一発の弾丸を作り、暖炉のそばで相手を撃ち殺した。温かなその場所で死体はほかほかに温まって、体内に残った岩塩は溶けてしまった。跡形もなく、ね」

(中略)「名探偵が出てきて、見事に見抜いたんだ」「……なんだ」あたしはがっかりした。友彦の部屋に積まれている実弾率ゼロのレトロチックな推理小説の山をみやって、「ほんとの話じゃないんだ」「がっかりしすぎだよ、もっと嘘を楽しまなくちゃ」「うん。でも、海野藻屑の嘘にはなんだかいらつく」「その子は砂糖菓子を撃ちまくっているね。体内で溶けて消えてしまう、なぎさから見たら実につまらない弾丸だ。なぎさ……」

 また、会話文中で、友彦の手によりこのように作者はなぎさと藻屑の性質を区別してみせる。


砂糖菓子の弾丸(A Lollypop)―――藻屑
のべつまくなしの空想的で、不毛な力/空想的弾丸

実弾(Bullet)―――なぎさ
世間に効力のある(commit)、実態のある(ex. 自衛隊)、直接的な力

 

 浅学のために、先述の岩塩の弾丸で人を殺したミステリ小説が何であるのかわからないのだが、かような例を出した意図としては、読者に対する、「では、藻屑の撃つ砂糖菓子の弾丸はなぎさのいう実弾とは異なる、致死傷にはなり得ない子供騙しの言葉の弾丸であるのか。完全犯罪の企図を想定しても、無視してもよいほどの、実態を持たない、嘘であるのだろうか?」という問いかけであろう。次いで、「なぎさのいう“実弾”、現実主義に、人魚姫を自己に重ねた痛ましい自己承認の試みやそのような生き方は、生きる努力として見劣りするものだろうか?」というものも、間違いなく付随する。

 


 

c-2.海野藻屑と山田なぎさの関係は果たして「友情」というもので分類し切れる絆だろうか。

 

 今作を起承転結に分けてみる。

起 p7-p48,5行目まで 藻屑転校〜海野雅愛登場シーンの寸前まで

承 p48,6行目-p104 一章終了まで

転 p105-p175まで 二章「砂糖菓子の弾丸と、ふたりぼっち」

結p177-終 三章「砂糖菓子の弾丸とは、もうあえない」

 

「うさぎの件の犯人は、海野だと思うぜ」(中略)「海野は山田が可愛がっているものが憎いんじゃないかな。それで山田から取り上げたんじゃないかな。そう思う。」[10]

あたしは藻屑の顔をみつめて、つぎはなにを言うのだろうと思いながらも待っていた。彼女の突き出す嘘に嫌悪感と、おかしな魅力と、いらいらする気持[11]ちと……たくさんのものを同時に感じて、あたしはどうすることもできなかった。息が苦しかった。

 

 物語の根幹に関わってくると思われる描写が特に多いのが、p132からp139にかけてである。

 

あたし自身の不幸が海野藻屑とは比較にならないぐらい平凡でありきたりでよくある困窮なのはもはやわかっていた。そのことはあたしも認めていた。だけど、あたし自身のありきたりな不幸と藻屑の藻屑らしい非凡な不幸には一つの共通点があった。あたしたちは十三歳で、あたしたちは未成年で、あたしたちは義務教育を受けている中学生。あたしたちにはまだ、自分で運命を切り開く力はなかった。親の庇護の元で育たなければならないし、子供は親を選べないのだ。あたしはこの親の元でみんなより一足もふた足も早く大人になったふりをして家事をして兄の保護者になって心の中でだけもうダメだよ、と弱音を吐いてる。藻屑も行けるのならばどこかに行くのかもしれない。大人になって自由になったら。だけど十三歳ではどこにも行けない。[12]

 

あたしは両手で顔を覆ったまま、洗濯機に頭を突っ込んで、声を殺して泣いた。藻屑。藻屑。もうずっと、藻屑は砂糖菓子の弾丸を、あたしは実弾を、心許ない、威力の少ない銃に詰めてぽこぽこ撃ち続けているけれど、まったくなんにも倒せそうにない。

子供はみんな兵士で、この世は生き残りゲームで。そして。

藻屑はどうなってしまうんだろう……?[13]

 

「友彦。昨日の夜、藻屑は言ったんだ……」

「こんな人生は全部嘘だって。嘘だから、平気だって」[14]

 

「こんな人生、ほんとじゃないんだ」

「えっ……?」

「きっと全部、誰かの嘘なんだ。だから平気。きっと全部、悪い嘘」[15]

 

 作品の構造の議論や砂糖菓子-実弾の比較、藻屑となぎさの関係をどう形容するべきか、と言う問いなどに有用そうな箇所を引用した。

 

 私の解釈では海野雅愛に「友達です!」[16]と宣言したことを鑑みても、二人の関係は明らかに友情の度量を超えている。担任教師の「子供に必要なのは安心だ。」[17]と言う話を拒絶していながら、お互い相手に対して、そういう「安心」を求めようとしている。恐らく、お互い家庭の中で演じている母親的なものを求めていながら、もっと、自由で、「大人を演じる子供」ではなく、「ごっこ遊びをする子供」程度に気兼ねなくいられるあり方である。

 

藻屑はあたしの胸に顔を押しつけて、母親の匂いを探す仔猫みたいにふんふんと鼻を鳴らした。はぁ、と熱いため息が制服のシャツを通して伝わってきた。[18]

この描写などは特に、直接的に二人の関係が描写されているものである。

 

 では、藻屑からなぎさに対してはどのような母性的なものが与えられているのだろうか?その際に、「砂糖菓子の弾丸 A Lollypop」の問題に戻ってくる。

c-3.    作中での「大人」と「子供」の対立項の扱いについて

作中において登場する「大人」は、なぎさの母親、海野雅愛、担任教師の三人であるが、起承転結の転、うさぎ事件やクラスの中心人物である映子を敵に回してしまったのちに登場する、担任教師が重要な役目を担っている。彼は、自分の弟もなぎさの兄と同じく引きこもりであると語り、彼女が高校に行かないのはおかしいと、説得を試みる。キャラクター性としては、彼はなぎさのような子供、クラスメイトが大人になった後の、“自立した”大人として振る舞う。

なぎさにとって、自分が今のままの「大人(自衛官)のように振る舞う子供」ではなく「子供らしく高校生になる」ことは毛頭選択肢にすら上らない状態であった。彼の存在なしには、先に引用したp160などの描写にあるような、相互の友情を結ぶことも叶わなかっただろう。また、藻屑の死後、なぎさが生きることもできなかったのではないだろうか。

 

 

 藻屑となぎさの友情とは、お互いに子供でありつつも大人である、そういった曖昧な、擬似恋愛的性質さえ帯びている、といって良いだろう。なぎさが藻屑に対して与えるのが無条件な家庭的な母親としての愛ならば、藻屑が与えるのは、性愛とも近似した子と非常に接近した母親の餌付けである。

 その意味で、藻屑の放つ『砂糖菓子の弾丸/A Lollypop』はなぎさにこそ必要な言葉の弾丸で、大人ではなく、大人のふりをした、思春期、過渡期の子供のための非殺傷性の、非貫通の、玩具の、空想上の弾丸なのである。だから、海野藻屑は人を選ばずに空想上の弾丸を撃つ、テロリストなのだ。同世代の人間なら誰しもに必要なものであると彼女は信じているから。なぎさのように、一人にでも「砂糖菓子の弾丸」が当たって、体温で溶けて、心の養分になれば十分な、そんな万能の栄養薬としての糖分、砂糖菓子、A Lollypopなのである。

 対して、なぎさが自分や他人に撃ち続ける、自己の生存のための「実弾」は、子供の自分に容赦なく突きつけられる「(現)実弾」であり、悲しい自傷のA (Real) Bullet、なのではないだろうか。

 

 

 藻屑はそもそも、自分が10年先も、そもそも一ヶ月も生き延びられないと想定してのべつまくなしに空想上の弾丸(他人を救うための弾丸)を撃ち続けたのに対して、なぎさは10年先まで生き延びるために自分に対して現実を突きつけ続けていた。最後には藻屑が死ぬも、しかし、なぎさは実弾を込めて、子供の自分を殺し続ける生活から救われた。そういった悲劇であり、冒頭に新聞記事の抜粋という形で結末が知らされており、救いようのない悲劇だとわかっていても、心は作中のラストシーンのように、雨上がりのように晴れやかである。これこそが、解説の辻井登も述べている通り、アリストテレスが述べているカタルシス、哀れみと恐れの感情がありながらも、水のように澄んでいる。魂の浄化作用ではないだろうか。


3.『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』の持つ現代性、ガール・ミーツ・ガールのジュブナイルの論点

 同著者の『少女には向かない職業』と『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』は、非常に近い時期に発表されており、一応は『少女には向かない職業』が後発となっているが、二作は双生児のような関係にあるように見える。


あたし、大西葵13歳は、人をふたり殺した……あたしはもうだめ。ぜんぜんだめ。少女の魂は殺人に向かない。

http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488472016

 『少女には向かない職業』は、タイトルは女性作家PD.ジェイムズ著の『女には向かない職業』”An Unsuitable Job for a Woman”(1972)をオマージュしたものであり、桜庭一樹の古典ミステリ好きをここでも伺わせ、ここでいう「向かない職業」とは「探偵」である。しかし、『少女には向かない職業』では、この「職業」は「殺し屋」なのである。

 なぜ、殺し屋は「少女」でなくてはならないのか。それは、「魔法少女」などと同じ問題系に属するものではないだろうか。『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』においても、少女と暴力の関係は痛切に描き出されているが、海野藻屑はその名前の通り、父親、大人の男性には子供の女性は暴力ではどうしたって打ち勝つことができない、絶対のものとして描き出されている。だから、言葉の、思想上の「弾丸」で子供は戦っている。

 『少女には向かない職業』の検討は未だであるので明言は控えるが、ガール・ミーツ・ガールの問題系とは、身体性、社会性の二面における絶対的な父権的存在との闘争なのである。近年、LGBT表象や、「シスターフッド」が注目されるなか、ジュブナイル的ガール・ミーツ・ガールの再考を筆者は試みたいと感じている。


  また、この二作において桜庭一樹が共通して用いているワードとして興味深いのが、「魂」である。

「藻屑を殴らないで」

あたしはそんな嚇しに臆していないことを証明するために、大きな声で言った。魂はお金のことなんかで真実を曲げたりしないのだ。[1]

 

 アンデルセンの『人魚姫』では、魂について、克明に述べられる。人間は定命である代わりに天国へ行き何度でも甦ることのできる、不滅の「魂」を持っているが、人魚は三百年も生きられる代わりに、人魚は「泡」となって墓さえ作ることができないという。

 

でも、たった一つ、こういうことがあるよ。人間の中のだれかが、お前を好きになって、(中略)心の底からお前を愛するようになって、牧師さんにお願いをする。すると、牧師さまが、その人の右手をお前の右手に置きながら、この世でもあの世でも、いついつまでも。ま心は変わりませんと、かたいちかいをたてさせてくださる。そうなってはじめて、その人の魂が、おまえのからだの中にもつたわって、おまえも人間の幸福を分けてもらえるようになるということだよ。その人は、お前に魂を分けてくれても、自分の魂はちゃんと、もとのように持っているんだって。[2]

 

 アンデルセン『人魚姫』内部でも、人間⇆人魚の相対化が行われている。

 

人間
定命/不朽の「魂」/墓に埋めて朽ちる「体」/地上に暮らす

 

人魚
長寿/「水の泡」/墓も作れない/海底で楽しく暮らす

 

  このような背景を考慮すれば、なぎさが「王子様」に配役されているというのも飲み込めるのではないだろうか。なぎさは「魂」を持って、人魚姫を苦しめる呪いを与えた父権的存在、海神と対立するのである。



[1] P142

[2] 2023年4月26日閲覧 https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/58848_67709.html



[1] 『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』角川文庫版 p53 より引用。以降、書名の記載は省略する。

[2] P175より引用

[3] P8 に歌詞記載あり

[4] P58

[5] P61

[6] 青空文庫より ハンス・クリスチャン・アンデルセン 矢崎源九郎訳 

『人魚姫』 2023年4月13日閲覧https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/58848_67709.html

[7] P44

[8] P28

[9] P44

[10] p125-126にかけてのうさぎ小屋の事件を受けての花名島の台詞を抜粋。

[11] P132

[12] P136

[13] P139

[14] P144 蜷山に登っている挿入シーン

[15] P159 脚注15の言及の実際の会話

[16] P141

[17] P150

[18] P160