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ミートサンドで肉のうまさに殴られる

 分かりきった話だが、肉を挟んだサンドイッチは美味い。ローストビーフだろうがトンカツだろうがハンバーグだろうが美味い。茶色いものに茶色いものを挟んでるものがまずいわけが無い。

 個人的に印象に残っているのはオーストラリアで食べたターキーのサンドイッチだ。ホームステイに行った時にホストマザーがお弁当として持たせてくれたものだ。パッサパサのパンとやたらめったらしっとりとしたターキーの組み合わせが妙にハマった。デザートには野球ボールサイズのこれまたパッサパサしたりんご。しかも甘さ控えめ。あの大地には水分が足りないのかもしれない。

 りといろワンマンのまさにその当日、えびるは下北沢に降り立っていた。開場2時間前の話だった。
 
  別れてから7年後に大問題を起こしやがり、私の周囲に大迷惑をかけやがった元カノとの苦々しい思い出を辿りに来たわけではない。親の職場にハガキ送ってきたり街中で男連れの状態で声掛けてくるとかほんと何考えてんの?

 この街に置いてきた苦い思い出は、花たんのアコースティックライブで浄化されている。というか当時下北沢でナニした、というか何したかも思い出せなかった。おもしれぇ街だった記憶はあるんだが。

 考えてみりゃおもしれぇに決まってんのよ。この街には歴代元カノの中でもぶっちぎりで最悪な奴との記憶と、最愛の推しの生歌の記憶が同居しているのだ。そしてりといろワンマンのこの日にまたここに新しい記憶が刻まれる。ただね、シンプルに遠いわ。

 いやいや違う。感傷に浸りに来たわけじゃない。肉を、肉を食いに来たのだ。オーストラリアのおかんの素朴なサンドイッチとは真逆、都会のゴテゴテのお高い肉にぶん殴られに来たのだよ。ふらわりすとの本懐を果たしに来たんだよ。りといろワンマンの前座として不足なしの相手のはずだ。この日はいいもの食べたってバチは当たらぬ。

 そんな気合いマンマンなメンタリティで来た割にはそこそこ歩き慣れた街でちょっと迷った。地味に入り組んでやがるのだ。身体の勘に頼っても仕方ないのでとっととGoogle Mapを発動した。検索して経路案内を起動するだけ。わずか数タップで示された道を辿るだけで、呆気ないほど秒で店が見つかった。

  文明ってしゅごい。ダメになる。そりゃあ「文明に辿りすぎるとこう、感受性とかその他諸々失うよ!」って叫ぶ人達が一定数いるのも分かる。ものは違えど、コロナ禍で多くの人たちが感じたものは、きっとこの喪失感なのかもしれない。

 とはいえ、中途半端に知ってる街だし時間も大してなかったからこの早さと快適さは大変助かった。ただ、旅行とか初めての土地にはあんまりありがたくないなこれ。

 初めて来た場所、滅多に来ない場所を肌で感じる経験はこの快適さの代償になってるってことは凄くわかる。ワープみたいなのに時間だけが変わらない。使いどこを間違えるとほんとに悪いとこ取りになる。


看板どーん!筆記体!!!正しい綴りはStabLerらしい。直訳は「安定した」

 そんなことを取り止めもなく考えながら撮った写真がこちらである。無骨な色使いから既に肉を感じる。店の前には4~5人ほど並んでいたがみんなテイクアウトだった。この日は2月にしてはほどほど暖かかった。この後ライブハウスで圧倒的な喉の乾きに晒される程度には暖かった。いや熱気のせいかもしれない。詳しくは前記事にて。

 スミノフとスポドリの区別がつかなくなるような熱気に物理的にも精神的にも当てられるのはこの数時間後のお話である。

 さて話を戻そう。店内を見てみたら案の定ぎっしりと埋まっていた。というか目の前に並んでいた人が店に入った時点で席が埋まってしまった。席数は10席あるかないか。一番時間がかかってしまうパターンだが嘆くものでも無い。

 肉とビール。人類を奮い立たせ続ける栄養源

 めちゃくちゃ美味そうな肉だが、お値段よ。テープで値段が修正されているということは、昨今の食材費の高騰をモロに食らってるのだろう。世知辛いが致し方ない。どんな世の中だろうが、美味いものが供給される限り、きっと希望はそこにあるのだ。

 そんなこんなで30分ぐらい待っただろうか。後になってレポを書いているがこんなに取り留めもない話をしているが、この後のライブに思いを馳せながら座っていたら時間が熔けていた。とろっとろに溶けていた。これからかっ食らうミートサンドはとろっとろとは対極のThe・肉である。

店内。ほどよくアメリカン。コロナビールのPOPがとてもいい味を出している

 決して広くはないが落ち着いた店内である。アメリカンな感じだとこう、もうちょい大味な感じでイーグルス辺りをガンガンに流しているようなイメージだが、それよりはもうちょいモダンな感じである。

 酒はライブハウスで飲むので飲み物はお見送り。お酒ダメな人はコーラを頼めば絶対に外さない。店内の雰囲気と匂いから既にそんな雰囲気が出ている。

 オーダーしたのはいちばんベーシックなミートサンドのシングルだ。他にもたまごサンドとか肉ダブルとかあったのだが、何せ初めての店なのでベーシックなものを頼んどくことにした。冒険する心理的な余裕がなかったとかでは無い、決して。

 回らない寿司屋だって最初は卵焼きを頼むものというでは無いか。値段が時価の回らない寿司屋なんて行ったこともないが。

そして奴はやってきた。

 肉だ!肉だ!!肉だ!!!

 肉!だああああああ!!お肉だああああああああああああ!!(CV:例によってスパチャが飛んできた花たん)

 This is 肉。これが肉。なんて肉。もう誤魔化しようがないぐらい肉。肉って今何回言ったっけ俺。

 

 断面!!いえあ!!断面!!

近づけてみるとさらによく分かる。この断面よ!なんか小洒落た肉の食レポでロゼ色の断面て表現を見たことがある。なるほどこれか、ロゼ色の断面。教科書にミディアムレアの記載があるならば、この色を載せて欲しいぐらいのロゼ色のミディアムレア。うんめえステーキの色そのもの。

 どうやらホットサンドを錬成した上、紙に包んで真っ二つにして提供しているらしい。パンもカリッカリに焼けていて香ばしさしか感じない。いい小麦の匂いがする(語彙力)。看板の時点で察しがついていたが、美味しく焼かれたお肉と美味しく焼かれたパンが同時に襲いかかってくる。メイラード反応とメイラード反応のコラボだ。


美味い食べ物は断面がエロい

 そしてこの断面。「肉じゃおらああああああああ!!」と語りかけてくる断面。もうちょいくっきり撮れてたら写真集の表紙にでも使えたんじゃないかってぐらいの断面。もはやエロい。自分が今何を食べようとしているのか、最大限の美感を以て気づかせてくれる断面だ。同人誌の表紙じゃなくてメインシーンに使えと言いたくなる断面。美味いものは茶色いと相場が決まっているが、美味いものは断面がエロいってのも同じくらいの真理ではなかろうか。

 パンケーキの時にも断面について熱く語っていた気がする。


ミックスベジタブルなポテトサラダ

 おまけに付け合せがポテトサラダだ。ポテトサラダ大好きマンとしてはニヤけが止まらない解釈一致だ。ミックスベジタブル入りなんて見かけるようで滅多に見ないのよ奥様。どうしてトウモロコシとグリーンピースと組み合わせるとミックスベジタブルと呼ばれるのかは未だに分からない。

 このちょっと酸っぱい感じが肉に最高に合うのだ。肉の香りが強ければ強いほど効果を発揮する。グリーンピースの青臭さも見事に消えている。青臭いの好きだからあってもよかったけど、そんなこと言ったら全世界のグリーンピースアンチからぶっ叩かれてしまう。

 

 腹減りすぎてこれやる前に1個食べちゃった

 一口かぶりつくと、口内が肉のあの匂い一色に染まり果てる。アメリカやオーストラリアで食べた肉のあの匂いが、グラスフェッドのあの匂いがダイレクトに脳に響くのだ。それはもう響くのだ。花たんの空想少女の恋手紙アコースティック版ののラスサビの変調ぐらいダイレクトに響くのだ。細かすぎて伝わらない?まあ仕方ない。伝わる人にはこれ以上ないぐらい伝わってるはずだから。

 ちょっと小難しい話をしよう。牛肉は牛の育てられ方で、ものすごく大雑把だがグラスフェッドとグレインフェッドという分け方をすることが出来る。グレインフェッドは穀物=grainを食べて育った牛を指す。匂いは弱く、柔らかく仕上がるらしい。全てに当てはまるわけではなさそうなので、興味のある人はググッて欲しい。

 一方のグラスフェッドはglass=草、つまり牧草を食べて育った牛を指す。割れたり河村隆一が震えている心の方はgrassだ。牧場で牛が草食べてるとこは想像しやすいだろう。あの景色で育った牛を指すらしい。匂いはグレインフェッドのそれに比べると強く、肉質もしっかりしている。

 安いオージービーフを焼いて食べた時の独特の匂い、あれがグラスフェッドの匂いだ。個人的な所感だが、アメリカで食べた牛肉よりオーストラリアで食べた牛肉の方がそのグラスフェッド的な匂いは遥かに強かった。というか日本に輸出されてるオージービーフは食べやすいように匂いを抑え目にした肉であることを肌で感じた。

 で、肝心のこのミートサンドの肉はどんなんだったんだ?という話になる。匂いはバッキバキのグラスフェッドビーフである。世界の肉好きの共通言語になるあのThe・肉の匂いである。お店の宣伝文曰く、希少部位のサガリを使ってるらしい。こんだけアメリカンテイストなお店だから、肉もアメリカのものだろう。そりゃメニュー価格も上がるわけである。

 ムニュっとした柔らかい食感が何気に珍しい。赤身がちゃんと柔らかいのだ。これが希少部位の威力か。繊維がブチブチっと切れながら噛みちぎれてゆく。国産牛の柔らかくていい肉にはあまり見かけない境地である。脂で柔らかさを稼いでる訳ではなく、赤身自体に柔らかさと美味さが凝縮されている。

 いい和牛特有の口の中で溶けてなくなる美味しさとは対極の、アメリカ牛のいいやつ特有の赤身一本勝負の美味さが骨の髄まで染み渡る。これでライブも戦える。

上手く撮れなかったソース

 そんな美味さの根っこを支えるのがこの玉ねぎとか醤油とかをメインに使ったっぽいソースである。内装も食べ物もだいぶアメリカンな感じだが、ソースは割とジャパニーズテイスト強めである。この和洋折衷の土台の舞台の上で、サンドイッチの最大の魅力である食感の殴り合いが始まるのだ。

 焼かれたパンのカリッと感がまずは口の中に切り込んでくる。そしてもにゅっとした感触で一口噛み切れば、ふわりとした小麦をバックにあの肉の匂いがむわあああああああっと鼻に攻め込んでくるのだ。ここにビールかコーラが加わればもう天国である。カクテルが好きな人なら最適解はジャックコーク、ソースに合わせてベースはテネシーハニーならば神の世界が見えることだろう。今回ドリンクは無しなので、お口サッパリ担当はお冷である。おいしい。

 例によって我を忘れてむさぼり食ってあっという間に完食。ご馳走様でした。お会計は1380円だった気がする。この値上がりは世相のせいなので仕方なし。ただ、例によって割高感は感じなかった。

 希少部位使ったミディアムレアのステーキを挟んだミートサンドなんて自分でそうそう作れるものではない。構成がシンプルだからって自分で錬成できて食べれる訳では無いのだ。そしてこの繁華街の駅チカの立地ならば固定費だけでもあっという間に跳ね上がるだろう。


 ましてや昨今のシッケシケ経済環境はお店にとっては特に厳しいものだろう。というかそもそも俺の財布に厳しいわ。

 おわりに

 肉とパンを合わせた食べ物自体は結構ありふれている。ホットドッグとハンバーガーだけで大体世界を席巻している。ぱっと出てくるのはこの2つだけだが、探してみればたくさん種類があるのだろう。炭水化物との組み合わせってことで言えばタコスもそうか。

 ただ、こいつらに使われているのは基本的に挽肉である。ソーセージの中身だって挽肉だ。海原雄山は美味しんぼの作中で「ソーセージなんてものは屑肉を何とかして食べるために云々」とクソ暴論をかましている。なるほど挽肉からパティやソーセージを作る過程でスパイスを染み渡らせる余地はある。スパイスによる味の膨らみは無限大だ。だからと言ってあんまりにもあんまりな言い草ではあるが。

 話が逸れたな。パンと肉を組みあわせた食品は大体にして挽肉との組み合わせ多くね?(個人的偏見)という話だった。

 そんな偏見がこのミートサンドを更に美味しくさせたと言いたかったのだ。挽肉な食品達と大きく何が違うって、パンと肉が決して口の中で一体化しないのだ。パンはパン、肉は肉で決して混ざり合わない。口に入れれば常に自分vsパン&肉の1vs2マッチになるのだ。数の暴力、多勢に無勢、ただ押し寄せる旨みと塩気にタコ殴りにされる感覚がたまらなく嬉しく、愛おしい。

 このアカウントの食レポに上げている食べ物は往々にしてそうなのだか、使っている食材の良さと調理する側の腕の良さの化学反応が最高の食体験を織り成している。字面にするとどうして無味乾燥なのだろう。読んでる側からすれば「上手い人がいいもん使って作ってんだから美味いのは当たり前だろ」以上の印象って持ちづらいのではなかろうかと不安になる。当たり前なんだけど、しれだけじゃあないんだよ。

 ただ美味いものを食った以上の体験を残していきたいと常々思っている。足を伸ばして安くは無い金を払い(筆者の感覚がしみったれてるor貧乏なだけ)、ただお腹いっぱいなだけだったらなんか悲しいじゃないか。

 世の中はうめぇもんに溢れている。まだまだまわり足りないし食べ足りない。さて、次は何を食べようかな。


 


 

 


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