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【読書レビュー】遠藤周作『彼の生き方』

遠藤周作といえばキリスト教、弱い人間に対して赦しを与える存在としての神を主題として書く小説家というイメージをお持ちの方が多いだろう。個人的に遠藤周作の作品は特に好んで読んでおり、最近では『女の一生』を読んで涙したところである。

だが、今回レビューする『彼の生き方』は、彼の作品群でも珍しくキリスト教を背景とせず、作中で神への言及も一切ない。多くの作品で神を登場させる氏の作風とは一線を画す作品と言えるだろう。

『彼の生き方』は、吃音症の男性、福本一平の少年時から青年時までを描いている。幼少期からどもりのために周囲の人間とうまく接することができない一平であったが、あるきっかけで猿の調査を生業とすることになる。彼にとって動物たちは、吃音症のために壁を作ってしまう人間と関わる以上に心を通じ合える相手だったのだ。一平の傍らには幼馴染の女性である朋子の存在があり、彼女は何かと弱気でマイナス思考の一平を、事あるごとに叱咤激励した。彼女の応援もあり、一平は猿たちとの距離を心理的にも物理的にも縮めていくことに成功していく。

しかし、順調に一平の猿の調査は進んでいくかに思えたが、一平が所属する研究所の上司、それから観光会社の社長であり一平が調査している猿山への観光ホテルの建造を目論む加納たちの妨害により、一平の調査は難航する。一平はそれらの障害にもかかわらず、山の猿たちを守る姿勢を貫こうとした。一方で、一平は朋子に思いを寄せていたが、加納も同時に彼女へ手を伸ばし、朋子は幼馴染の一平を選ぶか、加納を選ぶかで揺れ動くこととなる。(決して朋子が色目を使っていたというわけではない)

…遠藤周作は他に多数の傑作を世に出しているせいか、『彼の生き方』はあまり日の目を見ていないように思える。だが、この作品はもっともっと多くの方に読んでいただきたい。彼の他の作品にもしばしば描かれるのだが、「強い者にも(許されるべき)弱さがある」ということを、この小説は大事に描いてくれているのだ。私は、遠藤周作のこれが一番好きだ。

『彼の生き方』では、弱者=一平、強者=加納というはっきりとした境界線が引かれている。物語の大筋は、弱者である一平が困難を乗り越えながら自分の生き方を自分で決定できるようになる過程(原作を読めば、この表現がいかに表面的かが分かり、私がいま自分の文章力のなさに絶望していることを少しでも理解されたい)を力強く描いているところにある。だが、強者である加納にでさえも、弱さがあるのだ。強い者にも弱さがあり、それは弱者も強者も関係なく許されなければならないのだ、ということを大事に描いてくれている。これはある意味で遠藤周作が一連の作品で描いている神の姿勢、つまり叱咤する父性としての神ではない、弱者に赦しを与える神の姿勢と重なる部分があると思う。遠藤周作が"あえて"神を用いずに人間の弱さを描いたという点にも注目されたい。

おわり


↓ネタバレです


朋子は一平の住む綺麗な心の世界に行くことを本心では望む。しかし、彼女は最後の最後で加納の方を選ぶのだ。朋子が一平の方へ足を踏み出したとき、加納が見せた弱った顔に、この人の弱さを見出したのだ。(と私は解釈した)私利私欲で汚れた世界で権力を振りかざす加納にも、最終的に朋子は弱さを見出すことができ、「この人間は私たちと同じ弱さを持った存在なのだ」と確信することができたのだろう。



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