実家のお店が閉店します
大阪帝塚山にある僕の実家のレストラン「帝塚山 よし富」が、2024年9月30日をもって50年有余年の歴史に幕を下ろし、閉店します。
理由はいくつかありますが、古くから働いている従業員が退職することになり、昨今の人手不足の状況下で後任者を見つけられなかったことが大きいです。これまで客の立場として多くの老舗の閉店を見てきましたが、私事として目の当たりにしてみると時代の流れの中では仕方のない部分もあるのかなと感じています。とはいえ、結局は資本力のある企業が勝ち残り、小さな文化が失われていく状況にはやるせない気持ちがあります。閉店について祖母は当初かなり抵抗していました。祖母の希望で閉店の時期が伸びたりしたのですが、最近ではようやく心の整理も付いたようです。そう、祖父と祖母にとってお店は人生のすべてだったのです。
「帝塚山 よし富」は私の祖父である阪本義富が昭和48(1974)年に創業したお店です *1。祖父は明治43(1910)年創業の堺の老舗精肉店である「阪本精肉店」の三男として昭和11(1936)年に生まれました。かなり大きなお店で親戚に精肉店や飲食関係者が多く、いまだに大阪中に様々なお店があります *2。祖父も若い頃から家業に入り、祖母と結婚後、難波の高島屋前にあった支店を立ち上げから任されます。当時は蓬莱や二見などの周辺の中華料理店には祖父の店が肉を卸していたそうです。
その後突然長兄に難波の店を追い出され、代わりに祖父は新しい店舗である天満(天神橋筋五丁目)の支店を押し付けられます。しかしそれから10年くらい経った頃に一念発起。親が作り上げたものではなく一から自分で何かを作ってみたいと考え、天満の店舗を売却して、自宅のあった大阪帝塚山に飲食店を開くことを決意したそうです。「牛肉をもっとも美味しく食べる方法は何か?」という問いをもとに、祖母とさまざまなお店を食べ歩き *3、その答えとして「炭火」に辿り着きます。加えてオリジナリティを出すために和風ダレを研究開発しお箸で食べるステーキというスタイルを考案、炭にもこだわり独自のルートの仕入れ先も確保。そしてついに帝塚山に店舗を開業しました。外装は和風、内装はカウンターを主にした洋風の造りとなっており、現在も創業当初から基本的に変わっていません。
帝塚山は今でこそ普通の住宅街ですがその昔は「南大阪の奥座敷」と言われたほどの、芦屋などとも並ぶ大阪屈指の高級住宅街で、多くの船場商人や財界人たちが邸宅を構える街でした。しかし当時飲食店は西隣の洋菓子店ポアールなど、まだ数えるほどしかありませんでした。そのため開業当初は連日お店の前に行列が出来るほどの人気ぶりだったそうです。祖母によると落語家の6代目笑福亭松鶴も帝塚山の自宅(現在の無学)に住んでいた頃によく食べに来たといいます。
そして昭和52(1977年)には、自宅裏に「北畠 よし富」を開店します。こちらは料亭風の広大な店構えで、お庭を眺めながら自家製割下でステーキやしゃぶしゃぶなどを楽しめる店として人気を呼びました。僕が小学生、中学生の頃は越境入学のために祖父母宅から通学していたため、一番思い出があるのはこの北畠店です。お店に泥棒が入った時には自分も小学生ながらも木刀を持って応戦した記憶があります。
「北畠よし富」は2016年に経営上の都合で閉店、店舗は帝塚山のみになりました。僕も折に触れてお店に遊びに行ったり食べに行ったことはあったのですが、特にお店を継ぐ考えはありませんでした。しかしこのまませっかく育った老舗がなくなるのは文化の喪失だと考えて、2021年ごろから僕もお店の経営を手伝うようになり、2023年には事業を法人化して代表取締役になりました。
まず行ったのは在庫管理の徹底と仕入れの見直しです。これまで従業員のみに在庫管理などを任せていたのですが、きちんと棚卸しを行なっていなかったり、無駄な廃棄が多かったため、この管理の徹底を行うようにしました。そもそも「帝塚山 よし富」を始めた頃は精肉店も並行して営業しており、また肉を安く仕入れられるルートが整っていたことから、その分利益も出ていたのですが、仕入れが従業員に任されるようになってからは、特にこだわりのない普通の卸業者から肉を購入していました。しかしこれでは良い肉を使っているとは言えないと考え、知人のルートから良い肉を入れてもらえる仕入れ先に変更しました。これは野菜についても同様です。
次に行ったのは新メニューの開発です。冬季(今期は提供終了)のみ、数量限定の提供として「タンシチュー」を販売し始めました。これは自分の洋食好きが高じたのと、お店から大量の牛すじの廃棄が出るためなんとか再利用できないかと考え、デミグラスソースを一から研究して作り上げたメニューです。
またお昼のお弁当販売も始めました。月の第2、第4月曜日のお昼のみ、数量限定ですが1,000円で炭火焼ステーキ弁当を販売するというものです。そもそもこれは在庫処理に困っていたため考案したものです。しかし結果的に夜の営業に来てくださるお客様が増えるなど効果的な宣伝施策でした。また後付けにはなりますが、創業当時に見た往年の行列を見せられたので最後に祖父母孝行できてよかったとも思います。
さらに取り組んだのがお酒のラインナップの一新でした。もともとお店でも生ビール、ワイン、ウイスキーなどは提供していたのですがどれも酒屋に適当に希望をつけて揃えてもらった申し訳程度のものでした。お酒好きの自分としてもこりゃいかんと思い、産地や料理とのバランスを考えて、ワインやウイスキーを自分で選んで仕入れるようにしました。また生ビールはコロナ禍に入りかけた頃の段階で、サーバーのメンテナンスが難しく採算が取れないため思い切って廃止しました。メンテナンス状況に依らなければ瓶ビールの方が美味しいし、現在でもほとんどお客さんからのクレームは出ていません。その代わり良いものを飲みたいと思う方のために、瓶のクラフトビールを若干数置くようにしました。提供を始めた最初の頃は若いお客さんしか頼まない傾向があったのですが、現在ではクラフトビールもスプリングバレーで市民権を得たのか、多くの方に注文いただくようになりました。
その他レジシステムの再構築、SNSの整備、盛り付けの再構成や、販売を終了していた牛佃煮、冷凍の牛肉ハンバーグを復活(パッケージデザインもやりました)させたり、すべてを思い出せないくらいいろいろやりました。
様々な工夫を凝らしてきましたが、先に述べた人手不足や原材料の高騰、人々のライフスタイルの変化など様々な理由があり、今回閉店という運びになりました。CITY DIVERの前書きにも書いたことがあるのですが、あくまでも閉店の外的要因はきっかけに過ぎなかったのかもしれません。一番は自分たちがどこか「そろそろ時代とずれているのかもしれない」と感じた部分があったのだと思います。しかし、祖母にも言ったのですが、無理やりゴリ押しで続けてみっともない状態になって終わるより惜しまれて終わった方が良いと思っています。親子3代に渡ってお越しいただいているお客さんもいらっしゃり、50年も続けてこれたのはご贔屓にいただいたお客さんのおかげに他なりません。心より感謝を申し上げたいと思います。
さて、最終営業日9月30日月曜日は本来営業日ではないのですが、お昼のお弁当販売と、夜の営業(1ヶ月前までに要予約)をします。僕もお店に立つ予定です。よろしければ皆さんご予約の上お越しください。「noteを見てきた」と言ってくださればお1人ソフトドリンクを1つサービスいたします。よろしくお願いいたします。
写真: 東谷幸一氏
*1 同名で鍋料理のお店が北浜にもありそちらはうちの店よりも若干古いようなのですが、祖父自身の名前を店名にしているのでそのへんはどうしようもありません。
*2 大阪市内だと「阪本精肉店」は新世界にのみ現存しています。曽根崎に近代建築ビルがあり現在は上本町で営業している「やまたけ」や、焼肉の「はや」、新世界にあるフランス料理店「ビストロ・ヴェー」なども親戚関係にあります。
*3 研究のために実際どんな店に行ったのか祖父母は忘れてしまったそうですが、和風のステーキや牛佃煮がメニューにあることから、兎我野町で高橋保雄という人物が営んでいた「グリル斗満当」はおそらく元ネタの一つではないかと推測しています。
[電話番号]
06-6624-1621
※ご予約の際には人数とお名前、連絡先をお知らせください。
※5人以上のご予約の場合はメニューもお伺いしております。
[営業時間]
水〜金 17:00-22:00 (LO 21:30)
月、火 定休
※第2第4月曜日のみお昼(11:30-13:30)に炭火焼ステーキ弁当を販売しています。予約不可、売切次第終了です。最終日9月30日(月)は第5月曜日になりますが、特別に販売します。いつもだいたい11時ごろから行列ができています。
[アクセス]
大阪市阿倍野区帝塚山1-6-14
※ポアールというケーキ屋さんの右隣です
阪堺電気軌道 上町線 姫松駅 徒歩1分
南海高野線 帝塚山駅 徒歩15分
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