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「MBA×NPO×○○への道」#6 書く私の志

「タイトルありきで書き出しちゃったんでどうしようか考えてるんですよねー」
と人に問うと、
「じゃあ『MBA×NPO×○○への道』っていうのどうですか?」
「あ、それいいっすね」

ということであっさりタイトル変更。
何になるかは人生未定。
ただ、いつ書いたか分からなくなるので番号だけは振っておこうと思う。

仕事に関わる人と話をするなかで、事業に対する思いがそれぞれに異なることを知った。
そこから、いろいろなことに思いを馳せている。

どんな組織でも、そこに人が集まれば人の数だけ思いがあって、100%同じ方向には進まないこともある。
むしろそれが普通かもしれない。
入ってみたら違った、ということもあるし、事業に携わっていくうちに変わったということもあるし、人と人との相互作用で変わることもある。

そんな時に思いを束ねるのが組織としての『ミッション』や『志』ということになるのだと思うが、
これまでの人生と最近読んでいる本の内容とがいろいろあいまって、
・それだけなのか?
・それ以外にはないか?
・事実と認知を混ぜていないか?

…と、いろいろに考える機会が増えている。

例えば、「この事業はこうした方が良い!」という人に対して、
「なるほどそういう考えもあるのですね」
と傾聴に徹するか、
「これはこういう背景でこういう過程があるからこうなんですよ」
と趣旨を説明するか、
「今度組織に提案してみます」
と行動を約束するか、
どれが今ベストなんだろう、もしくは順番はどうなんだろう、タイミングはいつなんだろう、と思ってみる。

思っているうちに回答に時間が経ってしまうので、これは心の想定問答集がいるな、と思うようになった。
「こう聞かれたらこう答える」みたいな。
それが自分自身の志とか価値観の言語化なのかもしれない。

では、これを「書く自分」とはどんな思いがベースになっているのか。
何に喜び、何に憤り、何に悲しみ、何を楽しみ、
何の感情によって書こうとしているのか。

自分の思いとしては、「面白かったことを人に聞いて(読んで)欲しい」らしい。
面と向かって誰かに言うタイミングが合わないこともあるので、書いておいて人を笑わせたい、ということらしい。

ここまで考えて、あぁそうか、と気づいた。
だから私は書いているのか。

目の前にいない人にも、
直接会ったことのない人にも、
今困っている人にも、
これから困ることがあるかもしれない人にも、
ここに書いた文章が誰かに届いて誰かが少しでも笑ってくれるなら、
誰かの心が「よし、前向きになってみるか」と思えるなら、
それで自分は幸せなのだ。

「そもそも読まない」という選択肢もOK。
「読んだけど面白くない」という選択肢もOK。
「読んで面白かったけど幸せとは感じられない」という選択肢もOK。
これらの選択肢は全部読み手の方にあるのであって、
自分はまず書いたら幸せ。
その先に、もしかして読んで笑って「幸せかも」と感じてくれる人がいたら尚幸せ。
と、そういうことらしい。

例えて言うなら、関西弁で言うところの「ウレシ」なんだと思う。
「なぁなぁなぁなぁなぁ聞いて聞いて聞いて聞いて」と連呼したくなるようなことを、今目の前に言う人がいないので頭の中で書き出しているのだ。

というわけで、「スキ」の通知が来たらとても嬉しい(アプリの通知をついついONにしている)。
以前に書いた投稿にスキがつくと、「あぁ、書いた文章って残って生きてるんだ」と思えて何だかそれも嬉しい。

自分のなかの「スキ」を再確認できたところで、
仕事と生活の方は、まぁ、そのうち何とかなるだろう。多分。

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