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【天を夢見て】何者にもなれない僕たちは悪魔の夢を見るか?【感想】

いやーこんなの無料で読めていいんですかぁ?
土曜の朝から本当に良いものを読みました。早起きは3文の得どころじゃないですよこれは!
ということでこちら大雪晟先生の読み切り「天を夢見て」のネタバレあり感想です。

読んでない人は是非!では少しスクロールして頂いて本文に入ります。






読み終わっての第1声は「え、これ読み切りなの!?」

マジでファーストインプレッションはこれに尽きる。
こんなん連載の第1話じゃないですか。マジで。

妹との因縁は!?悪魔の実態は!?ライアンに親を殺された子供が復讐に来る展開が絶対4巻くらいで来るでしょ!?
ダンタリオンの人に化ける能力で妹を出し抜く回とか絶対あるじゃん…あったはずじゃん…

全ては、胡蝶の夢だったのか…

突き放したような演出と針の穴を通すようなバランス感覚で紡がれるストーリー

悪魔に寝返ったライアンはクソ野郎だし、作中ガブリエが言ったことはそのクソ野郎さをジャストミートで言語化しているが、しかしそんなライアンを露悪的に描かず、なるべく客観的に描こうとしている点が非常に印象的だった。

ガブリエさん、言ってることは正しいけど、天使のお前が言っても何も響かないよ

そして何週目かに思うのだ「ライアンの気持ちもわかる。」と

そう思えてしまう魔力がこの作品にはある。
正直ストーリーのあらすじだけを見れば陳腐さすらある「闇堕ちの物語」なのだが、脇役で語られがちなこのテーマを主役で語るというのが意外と斬新であった。さらに、特筆すべきはその緻密さであろう。
とんでもなく書き込まれた背景、余りにも雄弁なキャラクターの表情。
そしてそのクオリティを80ページという質量でぶつけてくる執念。
これがこの作品の凄いところだ。圧巻の一言である。

このカットとかね。美しいよね。

僕たちは人間でいることができるか。

平均以上効果という言葉を知っているだろうか。
ある特性や能力において、自分は一般平均以上であると錯覚してしまうことだ。

あなたは、リーダーシップがあるほうですか。

アメリカの高校生に対して行われた実験では、この質問に対して自分は平均以上のリーダーシップを持っていると答えた生徒は約70%、平均以下だと答えた生徒は2%しかいなかったという。
我々は常に自身を過大評価し、生きている。
そして幾人かは、今も自分が「何者か」になれると信じて進む。
しかしこの物語は、我々の世界の尺度で語ることはできない。
天使という存在が特殊過ぎるからだ。

この物語も、「何者か」になりたかった一人の男の話だ。
突然現れ、人を襲った悪魔。それに対抗できる力を与えられた天使。
神に選ばれなかった男は、自分は天使になれないという事実に耐えられなかった。
これが我々の住む世界のように、「平等」という建前があれば彼も納得できたかもしれない。しかし、彼は、彼の世界にはそんなものはなく、ただ残酷な「結果」のみが存在するのだ。

努力ではどうにもならない「神」の気まぐれが彼を狂わせる。
現代の我々には平等という建前がある。
だから夢敗れても「努力不足」や「才能の欠如」と言い聞かせ諦めることができる。

ライアンの不幸は、最も身近な妹を始め、周囲の多くの人が天使であった点だ。
彼ら愛する人々と対等な存在になるには天使になるしかなかった。(と、少なくとも彼は信じている。)
この不平等な世界で彼は僅かに残された可能性を信じるしかなかったのだ。

僕らはこの子のように、諦められるだろうか

ライアンはその豊富な知識から軍師ルートがあったのでは?と言われているが、私は否定的だ。彼は天使と対等になるには天使か、それ相応の特別な存在になるしかないと思っていた。彼が選ばれぬまま、万が一天使軍の軍師となったとしても、結末を先延ばしにするだけで、その末路自体は変わらなかっただろうと思う。
そしてそもそも軍師ルートなんてものはない。天使は人間の助けなど借りるつもりはないのだから。

このやり取りこそ、天使がいかに閉鎖的かを象徴している。

そこにつけ込む悪魔の誘い。
我々がライアンなら、その手を跳ねのけることはできるだろうか。
多くの未知。天使の見る景色を見ることができるという誘惑。
そして必要とされる喜び。これらは人間の社会的欲求を満たすものだ。
断れば死が待っている。私が彼だったとして、断れるかどうか、確信はない。

我々は「平等」なのか?という問い

個人的な見解で言えば、この作品は我々の世界の「平等」の欺瞞をテーマにした作品だと思う。
我々は生まれながらにして平等だ。とよく言われる。しかしそれは「法的には」という枕詞が隠されていて、広義の平等ではない。皆、産まれ持った差があり、それがある限りは平等たりえない。

特に資本主義社会において親の物心両面の資本の差が大きな意味を持つ。

例えば、東大に行く者のほとんどが高収入である。学歴はある程度の期待値で金で買えてしまうのだ。
環境の差で勝ったものは、「自身の努力だ」と誤認する例がしばしばある。
環境の差で負けた人間、ひいては土俵に乗れなかった人間のことなど見えてもいないことも多い。

この作品において、神に選ばれる条件など誰にもわからない。
作中のライアン確かに人間を見下し、自分は天使になれると信じてやまないクズ(というより狂人)であるが、クズだから彼が天使になれないのかというと、それは誰にもわからないのだ。
にも関わらず、天使になることを「優」とし、選ばれなかったことを「劣」として、自分の意見を神の代弁かのように話すガブリエも、化け物の一人なのではないのか。
そしてこれは言わずもがなだが、もちろんライアンも化け物だ。こいつは17年間天使を諦められないんだぞ。常軌を逸している。
もうとっくに善悪の彼岸なんて遥か彼方において来た1匹の怪物である。

ライアンもクズだけど、お前も大概自己紹介だぞ。それ。

とはいえライアンは17年間、「何者か」になるためサイコロを振り続けた。例え神であれ、それを否定するのなら、ライアン、悪魔にでも何にでもなって、この世界を破壊してやれ。とエールすら送る自分がいた。
多分この感覚は映画「ジョーカー」を見て抱いた感情と同じかもしれない。

ネット上でも多くの意見の出るこの作品は、人を映す鏡のような作品で、どの意見を読んでも面白い限りだ。
私はライアン同情派であることをここに宣言しよう。
このような話題性のある作品というのは非常に繊細なバランス感覚の上で成り立っている。本当に大雪晟先生、素敵な作品をありがとうございます。
ここまで約2300字。ここまで読んで頂いたあなたも本当にありがとうございました。

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