「主体性」?「自主性」?一体どう違うんねん?
今日は「?」マークから始まる、わかっていてもあまりよくわからない話。
今風で言うところの「今更聞けないなんちゃらかんちゃら」です。
「主体性」がある人とは、
「状況に応じて自分がすべきことが何なのかを考え、行動できる人」
「自主性」は「言われたことを率先してやること」、
「主体性」は「言われてないことでもできること」
昔。若いころ、私、板前の修業してまして、
それはそれは、今では考えられないほど怖い世界でして。
よく「叱られる」どころか「どつかれる」世界。。
先輩の板さんがそうめん茹でてるんですね~
あれちょっとした工夫がありまして、沸騰したお湯にそうめん入れて
手早く、手早くですよ、お箸で混ぜるんです。
手で混ぜるアホはいません。熱いですから(笑)
するとね、先輩が「ぼーっと突っ立ってんじゃねーよ」ここまで来たら
次は「箸」箸持ってこい!
んなこと言わなくても、先にわかっている先輩が持って準備すれば?
違うんですね。「主体性」なんです。言われてない事でもさっとできる
さっさと箸持ってこないと茹ですぎになっちゃうぞ!
ついでに沸騰した瞬間「ビックリ水」が待っている。
茹で上がったら冷たい水で洗うんだったっけ…
ざるに戻したそうめんを冷たい水でじゃぶじゃぶ洗う用意をする。
これが「主体性」の極み。
じゃあ「自主性」は、どこいったんだ。
じゃあ「自主性」は、どこいったんだ。
これらの流れを言われずにできるようになる人、
そういう人が一人前の板前になる。
結局「主体性」と「自主性」が分かんなくなったから、板前さんになるのを諦めました。
あの時、「怒鳴る」だけじゃあなくって、紙に書いて説明してくれたら
アホな私でも分かったかも…です( 一一)。
つまりですよ。
主体性と似た言葉に「自主性」というものがあります。
両者は混同して考えられがちですが、
意味が違うので使い分けをすることから教えてくれ~
自主性とは、自らの判断で行動することです。
やるべきことを理解している状態で、
周りからの指示を受ける前に自ら動けるという意味があるんですね。
ちゃんと説明してあげれば今の時代の人はちゃんとわかってくれますよ。
それをちゃんと「叱る」という説明方法を取んなきゃあ。
「近頃の若者は…」とこうなっちゃう、
主体性と自主性は、自らの判断を軸に動くという点は共通してますよね。
でもね、
両者は「責任」という観点からすると、若干の違いがあるのです。
主体性は「自身の行動に責任がともなう」ことが含まれている一方、
自主性には責任などの意味合いが含まれていません。
たとえば、
現在地から最寄り駅まで移動する状況を考えてみましょうよ。
現在地から最寄り駅まで通じている道が3本あるとします。
そのうち、どの道を通るか決定するのは「自主性」によるものです。
どの道選んでも、必ず駅までたどり着く。
どの道選んでも失敗リスクなし。
その選択肢にも大きな責任がない。。
だけど、ここから先どの道が一番、駅にたどり着くのかわからないという
不安はあるとして、
このように、自らの意思で方向性を決定して進み、
その行動の結果に責任を持つことが「主体性」というんじゃあないかなぁ。
「私ならスマホ使って駅までの道探すね、、」
それ言われると、おじいちゃん困っちゃうW
前編の板前の話しが全部無駄になっちゃった。
これ。
今日、皆でランチしてた時に出た本当の話し。
結局「主体性」「自主性」分かんないまま、
「ごちそうさま」だけわかったみたい('ω')ノ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?