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Be Place シニア万事塞翁が馬

故事に倣って損はない

●語るは百花繚乱
 「シニアの居場所探し」、「定年後の歩き方」といった趣旨の中高年シニアの生き方に関連した話が百花繚乱です。少子高齢化など社会的な問題に起因する制度の動きやインフラ利用への注意喚起といったものから、これからの生き方や考え方について啓蒙を促すものなど数多くあります。
 年金や社会保険といった金銭面のアドバイスや解説は具体的な側面を持っているので現実的に説得力もあり役に立つことは確かです。しかし知識が得られても困ってしまうのは自分に照らし合わせた結果が安心するにはどうにも不十分だったときで、これでは困ると分かったところでそこに答えがありません。
 そりゃそうですよね、まずは自分の状況を確認しましょう、事前準備は大丈夫ですかと示唆するだけですからそこから先はみずから解決するしかありません。生活費について不安や悩みを抱える人には結局のところなるべく働きましょうといったあたりまえの答えぐらいしか見当たりません。たまに節約や倹約の方法論や考え方、利用できそうな行政制度の活用ヒントがあるくらいで、稼ぐ以外に抜本的な解消方法などそこにはないでしょう。
 他方、当面の生活費についてはそれほど困っていない、まあ贅沢はできないけど時間は自由だしあせらず充実したシニアライフを目指してみようかなんて思っていた人にとっても、巷にあふれるこのテーマに触れるとなんだかネガティブな気分になりがちです。 
 これから前向きに考えようとする人でもそのように感じてしまう論調が多いのは事実で、人生の充実感や幸せなど本来はそれぞれ個人ごとに違っていて何が正しい選択なのかは十人十色ですから、そこには動機づけになりそうないくつかの情報さえあれば充分なのに、ほとんどの場合は過去の失敗例と同じ轍を繰り返さないように助言するマイナス面が強調された消去法の論調に終始するからです。

●金銭心配なくとも、心の琴線は不安定
 今後の生活費や資産設計が心もとないなと考えるならあくまで働き続けましょうというのは当然で仕方がないことです。そこから先については自分なりにどのような働き方の可能性があるのかを模索するしかありません。それはもう割り切りです。
 しかし、困ったことに世の中にあふれるシニアテーマの多くは対象を十把一絡げにしてしまいがちで、金銭問題とは別に充実したシニアライフを送るためのヒントは何かという問いかけに対しても多くの失敗例を並べ、また、成功した人たちから導かれるポイントもなるべく趣味を持ちましょう、ボランティアなど社会との接点が大切ですといった正論に帰結するケースがほとんどです。
 その正論がどうもうまくいかなさそうだ、しっくりこない、腑に落ちないなと感じてしまうところがほんとうの「シニアの居場所探し」、「定年後の歩き方」に吸い寄せられる人たちの根深い心情だったりするのですが。
 もともと何か趣味をもっていたりやるべきことがあったりすればそれほど日常に疑問をもたず、わざわざ「居場所探し」というキーワードに関心をもちません。ほんとうはそれ以外の人たち、自分はごく普通で一般といわれるカテゴリーに分類されるように無趣味な人間だと自覚している人たちこそターゲット層のはずです。世の論調からするとまったく無益で生産性がない、しかも社会にとってはもしかすると邪魔な存在といわれかねない気配すら漂っているシニア&シニア予備軍。まあ、それこそ余計なお世話だといいたくなるようなカテゴリーではありますが。

●暖簾に腕押し
 経済的不安で切羽詰まっているのであれば否応もなく働くしかないと思いますが、そうでなければわざわざ社会の構造問題や生活の先行き不安といったような世の中の論調が醸し出す強迫観念にとらわれることなく、ここは気分的に居直ってみましょう。
 見方によれば贅沢だといわれかねない「シニアの居場所探し」ですが、現実社会では具体的な生産性もなく、もし幸運にも趣味や独自のライフスタイルがあっても世間的に話題になったり際立ったレベルでない、それでも世間の邪魔さえしなければいいじゃないですか。少子高齢化、生きているだけで迷惑だといわれてしまえばそれまでですが、それは別の問題です。それはそのとき考えましょう。
 シニア世代が働くということは日常生活費や受給年金の補填という金銭面だけでなく、個人の精神的充実感や税収における社会貢献といった側面もありとても歓迎されることは事実ですが、働かないということに関して世の中の論調があまりに危機感を煽るようなことばかりでまるで罪悪のように感じさせるのは健全ではありません。ここは人生の休息期間なのだからほっといてもらいましょう。それなりにおとなしくしていれば周りに迷惑をかけることはありませんから。

●果報は寝て待て
 わざわざ「無能の人」になる必要はありませんが自分はそれほど大した人間じゃないぐらいに悟っているぐらいのほうが日々過ごしやすくなるのは間違いないです。シニアはある程度の人生経験を経てきていますから持てる時間がありすぎるとあれこれ考えすぎてしまい、過去の経験を自分の都合の良いように取捨選択したあげく自意識も膨らんで、いま直面している日々の充実感の無さや精神的な不甲斐なさを要以上に悲観し気分も沈殿してしまいがちです。もったいない。
 具体的な「居場所」探しは、その気になったときあれこれ動けば充分なので、それこそ世の中で拡散されているヒントはまさしくヒントとして活用すればよいでしょう。なんだか面倒だと思ったときにはおとなしくしましょう。花鳥風月、季節を楽しむことも考えようによっては四季という居場所で暮らしていると思えなくもないです。「果報は寝て待て」です。

●習うは倣う
 「人間塞翁が馬」 有名な中国の故事ですが、「人間」は「にんげん」もしくは「じんかん」と読んで「世の中、世間」という意味。「塞翁」とは「とりでに住む老人」のことです。いわんとするところはみなさんそれぞれの解釈で良いと思いますが、いまはふらついていても、ですね。それこそ都合よく習うは倣うで生きましょう。


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