見出し画像

Soliloquies of a dreamer.

目が覚めたのは明け方。

まだ片足先がここではないどこかにひたっている感覚の中で、夢にミントティーがあったことを思い出した。

晩春には似つかわしくない、薄い青のグラスで。そうそう、氷が窮屈さを訴えてパキッと鳴ったから、あわてて優しくミントティーを注いであげたのだ。途端に彼らは悠々とその清々しい香りに酔いしれて、特等席を漂って、くすぐりあって溶けていったのだった。

あんまりに愛らしい彼らの様を眺めていたら目が覚めて、けっきょく飲みそこねた。

だからもういちど、とサンダルをはいて庭に出て、そっけなく在るミントたちに礼儀正しく挨拶をする。私とおしゃべりしませんか。

もうすっかり朝になって、目の前にはひんやりとした佇まいの夢の続きがある、幸せだ。

さ、話そ。


インターナショナルな人と聞いてどうイメージするだろう。

恥ずかしながら私はずっと英語が話せたらインターナショナルというか、グローバルな人になれると思っていた。

旅をして英語で暮らすことにあまり肩が凝らなくなって、”外国の友達”という意識がだんだんと”私の友達”になった頃に気が付いた。

英語はただの大きなドアにすぎない。私が惹かれた人と分かり合うための、もっとその人たちを知るための。もっと大きく言えば、世界がちょっと平和になる、比較的開きやすい、そんな扉のひとつ。

旅をすれば英語を全く話さない人たちにも出逢う。多少話せる人と仲良くなれたとしても、その人の大切な人たち(家族とか友達とか)とはなかなか深く知り合えない。

地球上における英語の立ち位置とは案外この程度のところなのかと、がっかりでもないし、やっぱりでもないけれど気が付けてよかったとただ思った。世界は広いのだ、月並みだけれど。

実はいま英語の他にロシア語とポルトガル語と仲良くなろうと日々努めている。大切にしたいと思えた知りたいと思えた友人に対してそれぞれの言葉がカギだったから。

やっぱり心から好きな人たちの大切な場所、何で怒り、何で笑い、何で泣くのかは知りたい。もっと深く知り合えたらとただ願う。

そんな小さな一人間が純粋に興味と愛に基づいて互いのアイデンティティに橋を架けること、架けようと奮闘することこそが本当の意味でのインター(間)ナショナル(国、国を創る小さな人間たちひとりひとり)なんだと信じている。


カラン、ミントに染め上げられた空間がゆらぐ。グラスの中で氷が相槌つ。

瞬間、私たちは結局は海のような宇宙のような最後に還るんだろう見えない場所で一つなんだと感じた。いまはひとつひとり形作られているけれど。全く違うなんてことはない、だからこわがることなんてない。いつかほどきあって解け合って還っていくんだ。