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「君たちはどう生きるか」個人的解釈

「君たちはどう生きるか」
公開から1週間近く経ったが、世間ではこの作品の賛否は大きく分かれている。

私としては宮崎駿の集大成とも感じられる作品であったため、その所以について記しておこうと思う。

以下ネタバレを含むため、まだ観ていない方はブラウザバック願います。

・積み木(石)が示唆しているもの

この作品に対する解釈を話すには、積み木の事から話すのが最も手っ取り早いです。

そもそも、積み木とは眞人が迷い込んだ世界(異世界)において、眞人の血縁である大叔父が異世界を保つために使用していた方法です。
大叔父は悪意のない世界をつくる事を目的として積み木を積み、世界を保っていました。しかし、眞人と会った際にはその積み木はもう崩壊寸前となっており、大叔父は眞人に"積み木を用いて世界を保つ役目を継いで欲しい"と伝えます。
眞人は2度、この誘いを断ることになるのですが、、、
このシーンが持つ意味はなんでしょうか。

理解しておきたい点としては以下の通り。

・"積み木"は創作活動、生きることの比喩である

・"積み木"を継ぐこと=他人の真似事をすること

・眞人は自分で積み上げたい積み木を見つけた

・13の積み木の意味


・"積み木"は創作活動、生きることの比喩である

積み木は子供の頃から行える創作であることから、しばしば創作活動の比喩として用いられます。また、この作品においては創作=人生という側面も持ち合わせているように思います。
異世界の創造という役割を持ちながら、宮崎駿の創作、生き方に対する捉え方が垣間見えるのがこの"積み木"なのでしょう。

・"積み木"を継ぐこと=他人の真似事をすること

積み木で異世界を保つことは大叔父に与えられた選択肢にしか過ぎません。
前述したように積み木は創作の比喩です。
他人の真似事でする積み木は本当に創作と言えるのでしょうか?

・眞人は自分で積み上げたい積み木を見つけた

眞人は大叔父の誘いを「自分には悪意があるから」「現実の世界(戦争という悪意で満ちた世界)でアオサギやキリコのような友達を作りたい」といった理由で断りましたね。

創作は、生きることは、他人の真似事で行うものではなく、自分自身で見つけ出して行うものであり、それは悪意すらも認めることが重要だ。

というメッセージが込められていると感じます。

小説「君たちはどう生きるか」では、「自分自身で考えて初めて、人は前に進める」といった旨のセリフがあります。
そこから考えても、この積み木で言いたいことは概ねそこでしょう。

・13の積み木

眞人は大叔父から13個の積み木を託されそうになりますが、この13という数字は宮崎駿が監督を務めた長編映画の数とリンクしています。

その13の積み木から成る世界…言わばあの異世界は宮崎駿ワールドということではないでしょうか。
キリコと海の上を船で移動するシーンは未来少年コナンのオマージュでしょうし、矢が勢いよく飛んでいくシーンはナウシカのオマージュだと考えられます。
そういった宮崎駿監督作品オマージュが多いのも、あの世界が宮崎駿ワールドだから。と考えれば腑に落ちませんか?
その宮崎駿ワールドが最後崩壊しましたよね。
この作品、宮崎駿監督の引退作となるのではないでしょうか。

・墓の主とは

墓の主というのが異世界に入って初めに登場しましたね。
物語に大きく関わるのでは、と初めは思っていたのですが、結局登場はそれきり…。
一体何だったんでしょうか?

「我ヲ学ブ者ハ死ス」

わざわざ、主人公の眞人に音読させてるんです。
意味があるに決まっています。

この異世界は宮崎駿ワールドじゃないか?って上述しました。
そんな世界に眠っているもの何ですか?

宮崎駿自身しかいないでしょう。

「我ヲ学ブ者ハ死ス」
これ、宮崎駿の意思でしょ、わざわざ主人公のセリフにしてまで言わせたんですよ。

このセリフ、元ネタがあります。
絵手紙作家の小池邦夫さんが師匠から言われた言葉なんだそう。
意味としてはそのまま。
「創作において他人を学ぶ(真似る)ことは創作をするものとして死そのものである。」
ということでしょう。

真似るのではなく、自分だけの創作を。
ここでも似たメッセージが浮かび上がってきます。

あと単純に、「オレの真似事をするな」という宮崎駿の気持ちもあるでしょう。

・宮崎駿が作品に込めた思い

さて、ここまでこの作品から読み取れるメッセージについて書きましたが、、、
ぶっちゃけ、宮崎駿はこれらのメッセージを主題として伝えようとしてないと思います。

というのも、このメッセージを伝えようとするならもっと良い伝え方があるんです。
だって眞人が「真似事をせず、自分自身の道を」の考え方を得たのは、母親が残した「君たちはどう生きるか」の小説を読んだことによるんですよ。
主題にする考え方を本を読んで主人公が取得します。しかも本の内容には触れません!

そんな分かりにくいことします?
「真似事をせず、自分自信の道を」を本当に伝えたいのであれば、アオサギやキリコさんとの旅の過程でそのヒントを見つけていくべきだと思いませんか??

そう思うと宮崎駿の真意は別にあるんです。
そしてそれは読者へのメッセージなんかではないんです。

この物語全体を使って、宮崎駿は創作(生き方)に対する自分自身の考え方を形にしたんです。

眞人や異世界を使って、宮崎駿が理想とする創作の形を具現化した。
その姿を誇示する。

これこそが宮崎駿の真意ではないですか?
言うなれば自己満足です。

「これが俺の創作活動の果ての答えだ。さあ、君たちはどう創作をするか、どう生きていくのか。」

そういう話なのだと思う。


そもそも創作活動とは、自己が満足するために行うものじゃあないですか。
現実では満たされないから。
だから創作は始まるんです。
人に分かられなくたって、自分自身が満足できる創作というのは、最も創作らしく、美しいものなのです。

ヘンリー・ダーガーとして振る舞った宮崎駿の集大成。
こういった作品がまだ令和の時代に生まれるのか、と感動した。

願わくば、この作品を観た人が「分からない」で蓋を閉じてしまわぬよう。

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