「アルバム」をとりもどす(脱ストリーミング原則宣言)

おれの家、家というか生活のための密室空間には、コンポを断捨離で捨ててしまったがために、聴けなくなったままのCDが積まれている。

ウォークマンにデータとして入れてあったそれらの音楽は、ついにウォークマンのバッテリーが完全にお陀仏になり、再生されないままただただ時を過ごしていた。

それからはもっぱらyoutubeだとかspotifyだとかで、気に入った曲(「曲」そのものがむき出しにされた姿)を、無秩序に聴くだけとなった。

「アルバム」という概念は消えた。かつてレコードの「A面」「B面」が消えたように。
「名盤」という表現も無くなっていくだろう。
そしていずれ「名曲」という表現も、いずれ「名フレーズ」とかに切り取られ、無くなっていくだろう。人々が3分~5分も待てなくなってショート動画に見入るようになったことがそれを示唆している。
1つのデバイスにあらゆる機能を集約させ、曲という単位でキリトリをして、効率よく容量を活用する。スマートフォンというデバイスに機能を集約させ、気に入っている部分だけ、背後の音楽を切り取って「ベスト盤」のように好きな曲だけ、好きなときにだけ聴く。
シンプルイズベスト、ZENの境地を表すミニマリズムを体現した有効活用だ。

バカバカしい。

そしてこの大型連休に、おれは一大決心をした。
ストリーミングを原則とせず、これまでおれがともに生きてきたCDたち、「アルバム」たち、それらの資産を生活の基盤に置こう、と。

すなわち、端的に言えば、新しいウォークマンを買った、ということだ。
これまでなんとなくまとまったお金を出すのをためらっていたが、こういうのはもう根本からお金を出さない限りいつまで経ってもなにも変えることはできない。
ウォークマンの中に、1曲1曲ではなく、「アルバム」という単位で音楽を入れていく。そして、それを携帯する。

おれは気分が高揚している。
非効率で無駄なことをしている。さらに気に入っているものはレコードに買い換えるかもしれない。
いや、おれはCDのプラスチックケースを愛している。いまのところは。正確に言えば、別にプラスチックケースではなく、そこにある思い出を愛してしまっているのかもしれない。

ともかく、おれはアルバムを取り戻すことにした。アンチミニマリズム。おれはこれからも、無駄なことをたくさんして生きていくことにした。

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