あかねさす推しのエレキギター

それは本来、茜色がさして光り輝く意から、「日」「昼」「光」「朝日」などに、そしてその輝きのうつくしさに例えて、「君」にかかる枕詞である。
でもきっと、いま目の前にある光景、こういう時のために、この言葉は太古の昔から存在していたのだな、と思った。



推しバンドにもファンクラブというものがある。
もう何年も加入しているのでほとんど納税みたいなものだと思っているが、数年に一回のペースでファンクラブ限定ツアーが行われている。
限定だけあって、ファンクラブ会員から何かを募集してそれをライブに取り入れるといった形式で開催されることが多い。過去には会員から募集したフレーズを歌詞にして曲を作って披露したり、ツアータイトルを公募したり、やってほしい曲のリクエストを募ってセットリストに反映させたりといった試みをしていた。

さて、おおよそ3年ぶりの開催となる今回のファンクラブツアーでは、何に使われるかは不明だが、事前に研究と称して会員に様々な項目のアンケートが課されたのだった。会員の出身地や血液型といった統計調査的なものはまだ良かったのだが、そこには「メンバーそれぞれのメンカラは何色?」という長年オタクを悩ませる議論の種や、果ては「一番好きな曲は?」などという世紀の難問までもが鎮座していた。この事態を重くみた我々は、自主的にミーティングを開き、アンケートの""答え""を求めるべく古代ギリシアのアゴラもかくやの討議を喧々囂々繰り広げたのである。

このアンケート、回答に窮するもののひとつに、メンバーそれぞれに「このツアーでやってもらいたいこと」は何かという質問があった。やってもらいたいことなんて、どう考えても究極「健やかに幸せに生きていてほしい」に収束するのだが、ここで問われているのはそういうことではないので、頭を捻って欲望と理性の均衡点を探す。
各メンバーを担当するオタクたちの熱き思いを聞きながら、自分なりに、何とか一人一項目ずつ「やってもらいたいこと」をまとめていった。うつくしい沖縄の海みたいな歌声をした彼に、ヒップホップ育ちのラップが好きな彼に、直向きにベースに向き合う彼に、オフの場面ではおしゃべりなのに舞台上では途端に喋らなくなる彼に。

そして、わたしの推しの欄。
正直に言ってしまえばやってもらいたいことなんて星の数ほどあるけれど、聞かれている内容は「このツアーで」、つまり""ライブで""やってほしいこと。そうなると、議論の余地もなく、自分の中で答えはひとつだ。

わたしはちいさな記入欄に万感の思いを込めて、エレキギターをまた弾いてほしい、と書いた。

わたしがそうするに至った理由となる出来事については、既にありったけ書いているのでそちらを参照して頂きたいが、要するに、昔は楽器なんてできないと言っていたボーカルの推しが、十数年の時を経て本当にエレキギターをかき鳴らした瞬間のことをずっと忘れられないのだった。


アンケートを回答してからしばらく経って、ファンクラブツアーの開催が月末に迫った頃。いくつかの項目についての取りまとめ結果が公開され、併せてメンバーそれぞれの「やってみたいこと」が発表された。それはとっても彼ららしい回答で、ああ確かにこの人ならこういうこと言うよなあ、と思うものだった。……なんて、今でこそ冷静に全体を見ることができるのだが、それが発表された直後のわたしはどうだったかというと。

一枚の画像の左上、横書きで書いてあるから否が応でも真っ先に目に入るその位置に、我が推しの「やってみたいこと」は書かれていた。

ちゅらカニ以来!?
今度はあの曲で
◯◯を弾きたい

https://orangerange.com/feature/fctour024#m05


彼が""以来""と記した起点、「ちゅらカニ」とは、2022年5月にぴあアリーナで開催されたライブタイトルの略称。先に挙げた記事に書いた、わたしにとって17年来の夢を叶えてもらった日、そして一生消えない記憶が脳に心臓に全身に刻まれた、その日のことだ。

いつだって瞬時に蘇る。推しがそれ⚫︎ ⚫︎を弾いている姿を見たときの、マスクの中で燃えそうなほど熱い自分の呼気の温度、推しが口にした曲名を聞いた瞬間に思わず崩れ落ちた椅子の感触。オタク特有の表現ですぐ一生とか言ってしまうのは良くないと揶揄されることもあるが、これは決して誇張などではない。この記憶が一生でなくて、他に何だというのだ。

そう、だからあの日から2年近く経とうとしている今だって、たった3行の文字の並びを見ただけで心臓が握りつぶされたように痛くなって、脳内でひずんだ楽器の音が鳴り響く。
明言はされていない。でも、この書き方は何をどうしたって、◯◯に当てはまる単語は「エレキギター」以外にないのである。

ああ、確かにやってほしいとは書いたけれど、けれど!
それはこちらからの欲求じゃあなくて。いやそりゃあ何回だって見たいよ、言ったじゃないか、世界で一番推している人間が、エレキギターをかき鳴らして歌を歌ったらそんなの、世界で一番格好いいに決まっているのだから。
でもあそこに書いたのはそんな欲望の実現のためというより、あの日の貴方の挑戦がこれ以上なく見ていた人に届いていたのだという事実、そして、わたしが勝手に抱いていた夢を叶えてくれたことへの感謝とか、そういうのを公式サイドに伝えたいという気持ちが大きかったのであって。いや、そんな心の機微まであの一言の回答に込めることはできていないんだけども!

どうしよう!また、わたしの夢が現実になってしまうのか。
推しがエレキギターで、とある曲を本当に弾くところをこの目で見たい、という夢は、あのとき「ちゅらカニ」で完結をした。だから、いつか、本当にまた、推しがエレキギターを弾いているところを見られるならば、その完結した物語を新たな音と景色で塗り替えてほしい、と思っていた。
推しが記した「今度はあの曲で」、それは2年前に演奏した曲ではなく、全く別の曲に挑戦するということなのだろう。わたしが願っていた通りに、推しはまた新たな物語をつくり出してくれるのか。

どうしよう!自分に都合が良すぎる出来事で、にわかには信じがたい。流石に、こう書いているけれど、エレキギターじゃないなんて可能性も、もしかしたらあるんじゃないか?とすら思ってしまう。
……いや、でも、痛いくらいに知っている、推しは「皆に喜んでもらう」ことが、自分の喜びとなる人だということを。
あの日、推しがエレキギターを弾いた時の会場の熱量、周りの観客たちの溢れんばかりの興奮、緊張しながらも嬉しさ楽しさが滲み出るような推しの表情。きっとわたしだけじゃあない、あの瞬間をまた味わいたいと願っている人はたくさんいるだろうし、推し自身だってあのステージに手応えを感じていたんだろう。それならば、彼の「やりたいこと」は、「皆がやってほしいこと」に近似するだろうし、だから、彼が選んだ回答は紛れもなく。

どうしよう!今回は短いツアーで、神名阪それぞれ一日のみの全3公演だった。初日の名古屋公演は、推しバンドのインディーズデビュー記念日である。それは弊社的に絶対休めない仕事の前日であり、当日ではないが準備などのことを考えると休みを取るのは顰蹙を買いそうだったので、わたしは断腸の思いで名古屋の参戦を諦めていたのだ。元から休日の大阪と仕事帰りでも行ける神奈川もあるし、今回は仕方ない、と。

が、もうそんなことを言っている場合ではなくなった。
ちぎれた腸を引きずってでも、この目でそれ⚫︎ ⚫︎をすべて見届けなければならない。
丁度ツアー初日に配信リリースされる新曲のタイトルと同様の状態と化しながら、無理やり時間休を取って名古屋へ行く手筈を整えた。100パーセント仕事を休んでいる場合ではないが、1000パーセントで仕事をしている場合ではなかった。
こうして、限界オタクは再びツアー全通と相成ったのである。

艱難辛苦の末に辿り着いたので、会場が名の通り輝いて見える

初日、案の定仕事ではハチャメチャが押し寄せてきていたが、逃げるように抜け出して、気持ちだけはリニアのように走りながら新幹線で名古屋へ。冬場のライブハウス特有の限界薄着チャレンジによる寒さとこれから一体何が始まるのだという慄きで震えながら開演を待ち、そして運命の時を迎えた。
始まったそれはファンクラブ限定のツアーであるから、選曲はマイナーな曲がてんこ盛りであったのだが、こちらもそこは歴の入ったオタクなので、「2004年にリリースされたシングルの3曲目のカップリング曲」とかのイントロ一音で会場が爆沸きするという様相だった。

4つの曲の演奏が終わり、暗転して——初日は比較的前の方にいたので、もう分かってしまった。ローディーから推しが受け取ったそれはアコースティックギターの厚みではない。
……嘘、ちょっと待って、まだ5曲目じゃん、いや覚悟はしていたしそれを見るために来たんだけど、でもやっぱり心の準備が!!!

焦るオタクをよそに途端に照明がついて、その姿がはっきりとステージ上に映し出される。そして、呼吸の仕方を忘れた。不随意筋すら止まりそうになるほど、身体中のすべてが""その事実""を受け止めるだけにしか働かない。
スポットライトに照らされて確かに推しがその身に携えている楽器。推しの右手が弦をはじいて、この耳に電気を纏った音が届いて、どうしよう、本当に、また、エレキギターを弾いている!

しかし、爆発しそうなほど熱くなった血液が指先まで巡るころ、あれ、と思った。以前推しが弾いたエレキギターは、ギターの人から昔に譲り受けたというものだ。ナチュラルウッドのストラトキャスター型のモデル。でも今日持っているのはそれではないことに気がついた。目を引く赤色のボディ、小ぶりなそれを囲むように黒いフレームが付いている変わった形。フェンダーでもギブソンでもなく、冷静と対極にある頭ではぱっと見でメーカーが特定できない。後刻、推しバンドのギターの人のオタクに確認しても、そのギターは見たことがないし、彼が使いそうなものでもない、と言っていた。

一体なぜ、どうやって、推しがそのエレキギターを手にしたのかは分からない。何か理由があってそれを選んだのかも、単にまた誰かに貰っただけなのかも。
ただ、照明を受けて映えるその赤い色が、推しによく似合っていたことだけは覚えている。彼がエレキギターを弾きたいと思って、そうして手にしたそれは、彼をこの世界の主人公にするに相応しい装備品のように見えた。

セットリストの一つ前は、ギターの人の「パティシエになりたいな」という、将来の夢を独白する子供のような謎の台詞から始まる曲だった(知らない人に説明しにくいが、本当にそういう曲がある)。それを模して推しは、「エレキギターを弾きたいな!」と一言放って、そうして演奏を始める。「僕の夢だったんです」なんて冗談めかして語って、夢を、わたしの夢でもあったそれを、現実にする時間を。
演奏されたのは彼らの5枚目のアルバムの1曲目を飾る曲。アルバムの幕開けに相応しく、テンションを一気に最高潮まで持っていけるような、アグレッシブで騒がしくそれでいて踊れる曲である。
どうしてその曲が選ばれたのか、今はまだ考えられる余裕がない。周囲の人々はサビで盛り上がって飛び跳ねているが、わたしは眼前に広がる景色や奏でられる音や、推しがエレキギターを弾いているこの時間と空間を受け止めるのにとにかく精一杯で、とてもじゃないが微動だにできなかった。きっとはたから見たらキモオタ極まっていただろうが、推しがあの時と違うギターであの時と違う曲を演奏して、また新たな一歩を刻んでいるのだという感慨で、痛む心臓を押さえて立ち尽くしていたのだった。

ぴかぴかと乱反射するような残響を置いて、その曲は終わった。
しかしライブはその後も続く。次々と聴きたかった新曲、ここでしか喋らないメンバーのMC、休む暇もなくフロアを熱々にするセットリストが襲いかかってくるが、序盤も序盤で推しのターンが来てしまったので、わたしはいきなり口に詰め込まれた感情を咀嚼できないまま、胸焼けを起こしそうになっていた。

次の日の仕事には朝から絶対に出勤しなければならなかったので、終演後慌ただしく新幹線に駆け込んで東京に戻る。まだ痺れているような指先でスマートフォンを操作して、今日推しがエレキギターを弾いていた曲を再生しながら。でも、何度聞いても、本当に先程この曲が演奏されたのか、幻を見ていたかのように記憶が曖昧だった。
エレキギターを演奏することは予見していたし、そのために無理して名古屋まで来たし、目に焼き付けようと思っていたのに、やっぱり駄目だった。ここまでの記述で具体的な推しのステージ上の描写がないのはそういうことである。耐性をつけようと思って、前回推しがエレキギターを弾いた時のBlu-rayの映像を、しんどすぎて買ってからまだ1回しか再生していなかったそれを、ここ一週間で3回も見てきたのに!

次こそ推しの表情や弾き方をちゃんと見ておかねばならないと決意を新たに固めながら、とりあえずはガッスガスの喉とバキバキの身体に鞭を打って仕事を乗り切るのだった。


気を取り直して2公演目、大阪公演。

去年開業したばかりの真新しいライブハウス

この日は後方を温める整理番号だったので、初日よりは幾分か落ち着いて見られるだろうかと思っていた。しかし、推しも緊張するから早く終わらせたいのだろうけど、やっぱり5曲目は早すぎだと思う。ライブが始まって息つく暇もないまま、あっという間にその曲の前だ。ひとつ前の曲が終わった時点で、俄かに心拍数が急上昇してしまうのである。

今日も推しは、赤いそのエレキギターを持って音を鳴らす。
そして名古屋でもやっていたけれど、足元に置いてあったエフェクターをさも本職のギタリストのように操作してみせた。実際はそのエフェクターにはシールドが繋がっていなくてただの飾りとして置いているだけのものだったから、ボタンを押したり捻ったりしたところで音色が変わることはないのだが、推しはそのことをメンバーに突っ込まれて「だって格好いいじゃん!これがやりたかったんです!」と、悪戯っぽく笑う。
普通に弾いたってわたしからしたら世界一格好いいのだが、本人的には真正面から弾くことへの照れ隠しだったのかもしれない。でもそうしてちょっとふざけを入れてくるところがどこまでも推しらしいと思う。それに、18年前には弾く振りだったその楽器を、今は実際に演奏しているのだ。きっといつか、エフェクターだって使えるようになるんじゃないかと、またそんな夢すら抱いてしまうのだった。

この日は後方で見たことにより視界を広く取れたので、バンド全体の様子が分かる(それでもどうしても推しばかり見てしまうのだけど)。これは以前に推しがエレキギターを弾いた時も同様だったが、推しが動けない分まで、いつもよりもいっそうステージを広く、自らの身体を大きく使うように盛り上げてくれる2人のボーカルとか、どんな状況でも迷いなくきっちりと音を刻んでくれるベースとか、推しの後方で楽しそうに一緒に音を奏でるギターとか——その曲の間、推しはエレキギターをかき鳴らすギターボーカルだったし、推しバンドは確かにツインギターとして存在していたと思う。
自由奔放に歌うように鳴るリードギターを追いかけるように、まっすぐに丁寧に鳴らされる推しの弾く音。ちゃんと耳で聞いてふたつの音色の分担が分かるし、同じタイミングで振り下ろされる右腕も、ギターの人よりほんの少しだけ推しの方が遅い左手の指の動きも、本当に推しが、このバンドの中でエレキギターを弾いているのだと、五感の全てに突き刺さるほどに教えてくれるようだった。

わたしはギターの人のオタクと「人」の字を作るように支え合いながらステージを見て、そうして演奏が終わった後に推しがフレットを押さえて音を止める仕草でさえ全身に衝撃がきて、断末魔の叫びを上げながら顔を覆ってしまった。だいぶ汚い悲鳴だったので、あまり遠くまで聞こえていないことを祈るばかりである。

またもや満身創痍になりながらライブを見終えたが、この日のわたしは大阪に宿をとっていなかった。というのも諸事情で推しバンドの過去のインタビュー記事などを持ち寄ってオールで読む会を開催することになっていたからだ。ライブ後の完全におしまいになったテンションのまま、適当にカラオケに入って眠らない夜を過ごした。
そんなこんなで持ち寄った資料の中に、今回推しがエレキギターで演奏した曲に関する記述があった。『Beat it』というその曲は、前述の通り彼らのメジャー5枚目のアルバムの初めに収められている。このとき見つけたのは、推しバンドのリーダーが、アルバム制作当時のことを語っている記事だった。
(固有名詞を出していないため分かりにくいが、推しバンドにおいてはギターの人=リーダー=大半の楽曲のメインコンポーザー、である。)
その時期のインタビューを見るとどの媒体でも、彼はアルバム制作にあたって、モチベーションが上がらなくてなかなか曲が作れなかった、と回顧している。息をするように音楽を作っているイメージのある彼が、明確に「作れなかった」と公言したのは、後にも先にもこの時だけだったように記憶しているけれど、そんな状況を打開するために生まれた曲が『Beat it』だったようである。
とにかく勢いで、やりたいようにやってみよう、として作った曲で、それがなければ5枚目のアルバムは出来ていないかも、とまで言われていた。

2年前に推しが初めてエレキギターを披露した曲は、昔のライブで弾く振りをしていたという文脈があったけれど、今回は全く新しく別の曲を選んで演奏した。おそらくはバンドの曲のうち、ギターを2本にしても違和感がなくて、しかも推しにとって弾きやすい、コード進行もシンプルでそれほど難しくない曲、そういう基準だったんだろうと思う。制作当時のことも、彼らはもしかしたらもう覚えていないかもしれない。
——でも、他にもたくさん候補がありそうな中で、推しの「やりたいこと」を体現するための曲として、現状を打破するために「やりたいようにやろう」として作られたそれが選ばれたのは、偶然だとしてもなんだか意味があるような気がした。

そんなことを考えながら夜は明けて、始発の新幹線で東京に戻ったが、仕事とライブの反復横跳びを2往復した後に徹夜したので家に帰って普通に気絶した。気がついた時には、もう最終日、神奈川県は川崎公演が目前に迫っているのだった。


その日も本当は丸一日仕事を休みたかったが休めなかったため(こんなんばっかりだな)、なかば強引に時間休をもぎ取って東京駅まで走り京浜東北線に乗り込む。職場からでも行きやすい有難い会場である。

いつもお世話になっております


海が近いため吹き荒ぶ強風に耐えながら入場を待つ。余談だがこのあとしっかり風邪を引いた。ライブではうちなんちゅによって、冬に勝て、みたいな曲が歌われていたのだが、内地人は完全に冬に負けていた。

ともあれ、あっという間にやってきたツアーファイナル。この演奏が見られるのも今日で最後だと思っていたからか、3回目にして、ようやく、ちゃんと、ステージ上でエレキギターを弾く推しの様子をしっかりと見ることができた、かもしれない。
4曲目の演奏が終わり暗転した空間で、祈るように深呼吸をした。推しが鳴らすエレキギターの音と共にステージが明るくなって、客席から起こる歓声に自分の声も混ぜてゆく。2022年、推しが前回エレキギターを演奏した時は、まだ感染対策のための決まりがあって声が出せなかったから、今回はエレキギターを弾いてくれてありがとう、この時間が楽しいぞ、という気持ちを歓声に込めて届けたいと思っていた。でも自分の口から出たそれはどうにも泣きそうな悲鳴に近いもので、例え七度の直接対決の経験をもってしても、長年染み付いた推しへの抱えきれない感情は如何ともし難いのだなあと実感する。

この日も同じように推しは、「エレキギターを弾きたいな!」と""やりたいこと""を宣言したのち、指先でそれを現実にする。
わたしはやっぱり、これを見たかったんだよな。
十数年間ずっと願っていたことが叶ったあのたった数分間を、きっと一生忘れられなくて、だからまた新たな体験でその続きを描いてほしかった。やってほしいと書いたら本当にやってくれるなんて、そんな夢みたいなことがあるのだろうか。けれど四方八方から圧迫されるライブハウスのこの空間、目の前のステージに確かに実在する推し、名古屋でも大阪でもそして今でも全身を揺さぶるほどの音量で届く弦楽器のその音色、ぜんぶ夢じゃない。

まるで虹のようにその弦をひからせて、彼の弾くエレキギターは彼の手にあった。眩しい照明の中で赤いギターを鳴らす推しの姿も、茜色の日に照らされてきらきらと輝くかのごとく見えた。
推しは、前を向くといつものようにニコニコの、世界をあまねく明るくするような表情、でも手元に視線を落とす時は少し緊張した面持ちになって。自らの手で一つ一つコードを鳴らしたら、それが大きな音となって響くのを楽しむように、また思わず笑みを含んだような顔になる。真剣さと愉快さの狭間を行き来するその時間は、わたしが大好きな推しの在り方そのものを物語っているようで、だから2年前のあの日も、今この瞬間でも、その姿を見て胸の奥まで夏の陽射しに焼かれるように熱くなるのだ。

3日とも参戦するためにかなり無理をしたけれど、本当に来て良かったと思った。全てをここで言及するととっ散らかってしまうので推しのエレキギターのことだけをピックアップしているけれど、もちろん、ライブの全てにおいて彼らのやりたいこと、ファンがやって欲しかったこと、実験的な試みをたくさん詰め込んで、それでも隅々まで退屈な時間が一寸もない、そんな公演だった。
充実感のある余韻に満たされて、次の日も仕事があるにも関わらず家に帰ってもなかなか眠れず、更には推しが公演後にSNSにアップした自らのエレキギターを弾く写真によって、完全に目が冴えてしまったのだった。


ツアーの全日程が終わったのちに推しがラジオで語っていたのだが、彼が今回のツアーにおいて「やりたいこと」としてエレキギターを挙げたのは、やはりというべきか、また弾いてほしいという声がたくさんあったからだという。恐らくそうだろうなと思ってはいたけれど、やっぱり彼のやりたいことは、自分から何かをというよりも、「皆に喜んでもらえること」なのである。
あの赤いギター自体はスタッフの息子が使っていたのを貸してもらったものらしい。推しは、音の良し悪しも自分は分からないし、何でも良かったのだと言っていた。わたしは偶然とはいえあの赤と黒のグラフィカルなデザインが推しにとっても似合っていたから嬉しかったのだけど、彼自身はそんなふうにギターの機材とか音色がどうこうとかは置いておいて、「自分がエレキギターを弾くこと」によって皆に盛り上がってもらいたい、という意識が最優先にあったのだろう。

推しバンドのリーダー、すなわちそのバンドのギタリストは、ギターのことを「何をやっても許される」楽器だと言っていた。だから「やりたいこと」を正解にできる、自己表現には便利な楽器だと。
翻って推しにとっては、エレキギターは正義の楽器なんじゃないかと思う。
推しがかつて発した「喜んでもらえることが正義」という一言が、わたしはずっと忘れられないのだ。それは自分のエゴよりも周囲の人の喜びを自らの原動力としている彼の生き方をよく表していると思うし、今までもこれからも彼の行動の理由を説明するための一つの重要な概念であるだろう(もちろん、それだけで測れないこともあるだろうが)。
だから「皆がやってほしいこと」をやることで皆に喜んでもらえるなら、それが「自分のやりたいこと」になる推しにとって、「やりたいこと」を肯定してくれるその楽器はまさに、彼の正義を体現するものであるように思う。あの赤いギターを携えた推しが、陽の光に照らされるこの世界の主人公に見えていたのは限界オタクの幻覚だが、でも間違いなく、推しという人間のナラティブが、彼がエレキギターを弾くその光景には存在するのだと主張したい。

エレキギターを弾く推しは、やっぱりいつどこで何度見たって、世界で一番格好いい。その姿だけでなく、そこに至る背景も込められた思いも全部ひっくるめて、それを見られることによって、推しバンドを、推しを推していて良かったと心から喜ばしく感じるのだ。
わたしは推しの""正義""のための礎になれるなら、これからも様々なことを「やってほしい」と言い続けていきたいと思う。まあ一番は健やかに幸せに生きて、ずっと楽しみながら音楽を続けていってほしいけれど。

いつだってわたしの夢を叶えてくれることへの感謝と、そこに垣間見える彼の生き様に心からの敬意を表して。
どうかまた、あかねさす推しのエレキギターを見ることが叶いますように。何度だって、何曲分だって、またやってほしいと思うから。

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