見出し画像

駆け抜けろ!オールステージ -CD7回受け取るまで終われま戦-

これは、推しバンドのツアーと推しによるCDお渡し会を全通した限界オタクの""""感情""""の吐露の記録である。ライブレポではないので注意されたい。

大半をそれぞれの公演が終わった後に勢いで書いているので、通して見ると同じようなことを何回も言っていたり、場所によってテンションが違ったりする。そして何よりクソほど長い。2万字以上ある。ロッキンのインタビューかよ。
それだけ狂っていたのだと思って、薄目で見て欲しい。

それから、万に一つも推し本人及び近しい人の目に触れたくない(書いている内容が限界すぎるため)ので、固有のバンド名やメンバー名は記載していない。見る人が見れば一発でバンド名もわたしの推しが誰かも分かるのだが、どうか知らないふりをしてください。


開戦の辞

2020年、推しバンドが来たる結成20周年に向けて「初期衝動」と「原点回帰」を掲げ、全国の小さなライブハウスを沢山回ろうとしていたツアーがあった。その矢先にコロナ禍で50公演中48公演が中止となってしまい、涙を呑んで当時持っていた十数枚ほどのチケットを払い戻したのはまだ記憶に新しい。
ところが今年、なんとそのツアーの「リベンジ」をすると発表されたのだ。以前と同じようにライブハウスでライブができる環境が戻ってきたこのタイミングで、主要都市のZeppを中心に回る、あの時と同じタイトルを冠したツアー。もちろん大興奮だったし、3年前の悲しさ悔しさやるせなさが救われてたいそう嬉しかった。さっそく何公演かチケットを申し込んで、楽しみにしていたのだが。

ツアー開始を約一ヶ月後に控えた9月上旬、残暑と呼ぶには暑すぎる気温の金曜日の夜。
その報せは、突然だった。

ツアーの各会場で、わたしの推しのメンバーが、CDのお渡し会をするという。

は???????????????

推しバンドでそんな接触イベント、未だかつてなさすぎる。
ライブ会場でCDを手売りするなんてことも、彼らは結成して割とすぐにメジャーデビューして一気に売れたから、高校生くらいの結成したての頃に何回かやっていたくらいじゃないのか。
原点回帰って、そこまで回帰するの!?

元々2020年にあるはずだったツアーでも、ライブ会場限定でCDを販売するということを企画していた。サブスクリプションで何でも聴ける時代に、ライブをして、そこでCDを売るということが、彼らなりにやりたかったことなのだろうと思う。だからそのリベンジである今回のツアーでも新譜を作ってそれを会場で販売することは、コンセプトに則っていて宜なるかなといったところだ。
でもあの時には、普通に物販でイベントスタッフが売っていた。唯一行われた渋谷公演で意気揚々と購入したので覚えている。
それを今回は、推しが、自ら、手渡すって?
しかも、メンバー5人のうち、ピンポイントで、わたしの推しが?

混乱に混乱を極めたオタクは全く事態を理解できず、取り敢えず辞書で「手渡し」の意味を引いた。
手から手へと渡すこと、自分で直接相手に渡すこと、と書いてあった。
手から、手へ???直接???????


そして気が付いた時には、追加のチケット購入確認メールがわたしのスマートフォンを揺らしていた。
それは沖縄・大阪・北海道・愛知・福岡・東京ツーデイズ、6箇所7公演のすべて——いわゆる「全通」である。

この限界オタク、推しを推して18年。
実に7回、その手からCDを受け取るまで終われない""戦い""が始まった。


第一回戦 10月7日 琉球の陣

そもそも初日の公演は初めから、ツアーが発表されたその瞬間から行くことを決めていたものである。
ツアーが発表されて、そのまま会場を確認しようとして目に飛び込んできた文字は、「沖縄・ミュージックタウン音市場」。
ミュージックタウン音市場とは、推しバンドの地元中の地元・沖縄県沖縄市、通称「コザ」のど真ん中に位置する総合音楽施設である。推しバンドが主催するフェスの会場になっていたり、レギュラーラジオを放送しているコミュニティラジオ局のスタジオがあったり、いろんな撮影で使っていたり、言うなればホームのような場所だ。
そして何といっても、三階建ての施設の最上階には、荘厳な推しバンドの「壁画」が飾られており、熱心な信徒にとっては必ず巡礼をすべき俺たちの神殿なのである。

「壁画」

カレンダーを確認すると、沖縄公演は10月の三連休の初日だった。これなら行ける!!と思い速攻で羽田-那覇の飛行機を予約した。ツアーが発表されてからこの間10分である。連休価格で飛行機の値段が通常時の倍くらいになっていたが、そんなことで我を止めることができると思うな。この世に推しバンドのライブを沖縄で見る以上に大事な金の使い方があるだろうか?いや、ない(反語)。
この時点ではお渡し会の話など微塵も存在しなかったので、のちに全通することになるとは知らない自分は、「そもそもこれは2020年にもっと沢山いろんな所に行く予定だったツアーのリベンジなのだから、本来その時に使うはずだった金を使っているに過ぎず、実質的な支出ではないのでは?」などと言いながら贅沢に三連休を丸々沖縄で過ごす予定を立てたのだった。

やってきた10月頭の沖縄は、蒸し蒸しした湿気も照りつける太陽も、完全にまだ夏だった。ジリジリと肌を焦がす紫外線を受け慌てて日焼け止めを塗り直し、流れる汗をバンドグッズのタオルで拭う。暑いとは思っていたけれど、想像以上である。
暑い暑いと呟きながら、那覇空港を出発してレンタカーで移動する。わたしは免許を取ってから片手で数えられる程しか実走したことのないペーパードライバーの極みなので、運転は同行のフォロワーに任せっきりである。せめてもの贖罪として車内DJとなり、推しバンドの曲をBluetoothで流しまくった。

そんなこんなでコザに辿り着き、昼食を食べて、ホテルにチェックインして、会場に向かい、グッズを買って、それでもなお、まだ飛行機に乗っているような浮遊感が消えなかった。……お渡し会って本当にやるのかな。本当に、推しが手渡しで?ちょっと未だに信じられない。

無限にそわそわしたまま開演を待つ。実はこの日、整理番号が人生最速だった。遺灰は沖縄の海に撒いてくれと言い残し、会場に入って推しの立ち位置側の最前、推しの立つであろうバミテの真っ正面を陣取った。ちょっとやり過ぎたかと思ったが、どうせ今日限りの命なら最期の時くらい思い切ってみてもいいだろう、なんて言い訳を自分に言い聞かせた。

そして、ライブが終わり、いよいよその時がやってくる。
ライブ本編ももちろん素晴らしかった。リベンジと銘打ったその宣言通り、今日は2020年のあの日の続きだった。どの曲のどの瞬間も胸がいっぱいでずっとうっすら涙が出ていたので、ドライアイの自分でも2時間全く目薬要らずであった。
だけど、だけど、だけど!!!!ライブの内容も咀嚼できないまま、お渡し会の会場へと促される。ライブフロアの出口には、レンタルショップの18禁コーナーを模したロゴの描かれた暖簾が掛かっていて、その先の通路に衝立で仕切られたブースがあった。いよいよ切って落とされる戦いの火蓋を前にして、18禁て!とユーモアを楽しむ余裕は最早存在しなかった。

冷静な他担のフォロワーは真っ直ぐブースへと進んでゆくが、ちょっと本当に待ってほしい。先程までスピーカー真ん前で聴いていた彼らのバカデカい楽器の音よりも、もっとうるさく心臓が鳴っている。呼吸の仕方が分からない、踏み出した足の感覚がない、ちゃんと目を開けているはずなのに前が見えない。
ハチャメチャになった五感が、それでも衝立の中から漏れてくる声を捉えた。だって間違えるわけがない、人生で誰より一番聞いているその人の声。本当に、この先に、居るのか。

暖簾を潜って、衝立の中へと進む。
推しが居た。
推しが、その手から、わたしの手へと、CDの入った袋を差し出している。

推しの顔を見た。まだ『推し』という言葉が人口に膾炙する以前から、18年間ずっと、寝ても覚めてもわたしの瞼の裏に存在しているその顔が、いま、目の前にある。
ああ、どうしよう、どうすればいいのだろう。言葉を発する余地があると思っていなかったからパニックになる。伝えたいことはたくさんある、貴方がいるからわたしは生きていられるし、わたしの人生ほとんど貴方で出来てるよ。けれどこの刹那で伝え切れる内容じゃあないし、こっちが勝手に支えにしているだけなのでそんな重い内容を推しに背負わせたくないし、そもそも店員と客の立場であるから、過度な会話は御法度だろうし、でも何も言わないっていうのも変だし……。
今まで受けたどんな試験の時よりも死に物狂いで脳を回転させて、それでも模範解答は分からなかった。差し出された袋を両手で掴んで、震えながら、好きです、と言った気がする。自分の声がどんな風だったか覚えていない。たぶんキモかったんだろうな。

推しは、ちょっと笑いながら、「ありがとうございます」と言った。
たった一言の定型文、だけど。
これは勝手なイメージだが、わたしは推しのことをいつも「全員に80点をくれる」存在だと思っている。ライブ中も、満遍なく会場全員の顔を見ているし、隅から隅まで平等に楽しんでもらおうという意図が感じられる。それは彼の、「""皆""に喜んでもらいたい」という信念の表出だと思うし、わたしは彼のそういうところが大好きなのだ。
それなのに!今、推しは、確実に、わたしという個人を見て、わたしという個人に声を掛けている。ほんの一瞬だけれど、それは紛れもなく事実で、果たしてこんなことが許されて良いのだろうか。
嬉しさと、緊張と、混乱と、感動と、そして名前も付けられない色んな思いが押し寄せてきて溺れそうな感覚の中、推しの存在だけが冴え渡っているようだった。

その後はどうやってブースを出たのか記憶が定かでないが、外で待ち構えていたフォロワーたちの顔を見た瞬間に、急に現実感が襲ってきたのだった。張り詰めていた気持ちが瓦解してその場に崩れ落ちる。その間も後生大事に袋を抱えた両腕がずっと謎の痺れに襲われていた。ひょっとして毒とか盛られてる?

それでも推しから受け取ったものをこの目で確認しようと思って、震える手で袋から中身を取り出して、そこであることに気づいた。
今回のお渡し会の対象商品は3種類あって、2020年に中止になったツアーで会場限定販売していた旧譜、今回のツアーで新たに会場限定販売する新譜、そして新旧両方のセットである。セットの方には各公演でデザインの違うステッカーが付いていて、わたしはそのステッカーをコンプリートしたかったのと、高いのを買った方がバンドの売り上げに貢献できるだろうと思って、全会場で新旧セットの事前購入をしていたのだ。
けれど貰った袋の中には、旧譜の方しか入っていなかった。バグりっぱなしの頭でよく判別できたものだと思うけど、よっぽどステッカーが欲しかったのだろう。あと普通に新譜も早く聴きたかったし。

まだ覚束ない足取りでなんとか話のできそうなスタッフを探して、事情を説明する。スタッフはてきぱきと各所に確認を取ってくれ、さらに現場リーダーみたいな人に交代した。その人もまたどこかと調整をしてくれていたようで、あちこちの扉を出入りして、しばらくしてわたしの元に戻ってくると、こう告げた。

「申し訳ありませんでした!交換させていただくので、もう一回どうぞ!」

もういっかいどうぞ?????????????

え、何を???????

いや、ち、違うんだ、わたしはただ新譜とステッカーが欲しくて、その場でスタッフとかから、本来購入していたはずの新旧セットの商品と交換してもらえればそれでよかったのだ。
何を???何をもう一回だって?????
理解が追いつかない中、言われるがままにもう一度フロアに戻り、列に並び、暖簾をくぐり、

そして、推しが居た。

ま  さ  か  の  2  連  戦

どういうこと????????
とにかく想定外すぎて2回目の方が記憶がない。何か言わなければ、と焦って、結局「大好きです」とだけ言ったと思う。2回目なので前回よりレベルアップさせねばと思い、無意識に「大」をつけたと推察される。
推しはまた「ありがとう」と笑った。世界じゅうの綺麗なものをありったけ詰め込んだような輝きを湛えたその目が揺れていた。

一応説明しておくと、このお渡し会は、事前購入したチケットを見せて引換券を受け取り、引換券を確認したスタッフが推しに対象の商品を渡し、そして推しがそれを手渡ししてくれるという構成だった。どうやらわたしが最初にもらった引換券が間違っていたようだが、他にも同様の事態が起こっていたらしく、終演後に公式からお詫びと再発防止対策のアナウンスがあった。バンドにとっても初めての試みだったから、ちゃんとPDCAサイクルを回してくれて安心である。

全てが終わって会場の外に出たあとも、ずっと推しの声が、目が、表情が、脳内を支配していた。ホテルに戻る前に沖縄そばを食べに行ったが、その時にフォロワーが撮った写真の中でわたしは絵に描いたように放心した顔をしていて、我ながら恥ずかしくなる。愚かなオタクをどうか笑ってくれ。


このあとは余談だが、オタクが沖縄ですることといえば一つしかなく、めちゃくちゃ聖地を巡礼しまくった。

一ヶ所で3曲分のMVを回収できるスーパーウルトラサンクチュアリ

とても充実した時間を過ごしたけれど、どうしてもふとした瞬間に、推しと対峙したあの光景がフラッシュバックして、雄大な海やら賑やかな街並みやらを目の前にしながら、煩悩の塊みたいな呻き声を上げてしまうのだった。

これ、あと6回あるらしい。
正気?????


第二回戦 10月14日 浪速の陣

大阪は大学時代を過ごした土地である。なので故郷に準ずる場所と言うこともでき、遠征といっても近所みたいなもんだ。先週の沖縄に比べたら時間的余裕もだいぶあるので、のんびりと向かうはずだった。

しかし、めちゃくちゃどうでもいい話だが、この日の朝なぜか突然鼻血が出た。お渡し会のことを想像してキーゼルバッハ部位が爆発してしまったのかもしれない。
出発時間が迫る中でなんとか血を止め、ひやひやしながら東京駅へ急ぐ。大阪に着いて安心していたらまたぶり返してしまったのだが、推しの前で鼻血を出すのは流石に限界すぎると思い、とにかくライブ中とその後に出ないことを祈りながらティッシュを握りしめて会場へと向かったのだった。

大阪っぽい写真が阪急三番街の看板しかなかった。なぜ?


この日の公演は大阪らしく、軽快なノリと元気なお客さんたちで構成された楽しいライブだった。無事に血を出すことなく本編を終えたところで、お渡し会の開戦直前である。
突然、バンドの公式インスタでライブ配信が始まった。
どうやら今日のお渡し会は参加者がかなり多く、推しが一人でやっているとガチで帰れなくなってしまいそうなため、メンバーのうちの誰かが手伝いに出てくるとのことで、誰が行くかを決めるくじ引きの様子を配信していた。にわかに他担の界隈がざわつき始めるが、わたしとしては自担は何をどうしても絶対にそこに""居る""ので、ひっくり返りそうな五臓六腑を抱えて待つのに必死で、正直あまりライブ配信を見ている精神的余裕がない。
沖縄の時はフロアを出てから少し通路を歩いた先に衝立で作られたブースがあったけれど、今回の会場はフロアの出口に掲げられた暖簾の奥にすぐテーブルが置いてあって、そこがお渡し会場だった。だから前回より心の準備をする時間も短くて、思っていたよりも速攻でその時がやってくる。

前にいたフォロワー(他担)はものすごくハキハキと今日のライブの感想などを伝えていた。すごい、やり手の営業の人みたいだと、状況把握能力が普段の何百分の一かになった脳でぼんやり感じる。
わたしはと言えば、一応こういうことを言おうと決めてきてはいたものの、本人を目の前にすると、沖縄の時よりも今回の方がいっそう余裕がなくなってしまった。恐らく初回はまだ事態を飲み込めておらず夢のような心地だったが、一度経験したことにより、推しが存在していることが確固たる現実なのだとこの上なく認識してしまったからだろう。

1週間前と同じように、推しがそこに居た。
推しはスタッフから受け取った袋の持ち手部分を丁寧に裏側に折り込んで、両手でこちらが受け取りやすい仕様にしてくれる。ほら、こういうちょっとした気遣いを、今までずっと、色んなところでしているんだろう。だから、そんな貴方が好きなんだ、こんなにも。
そう思ったら結局また泣きそうな声で「好きです」しか言えなかった。はち切れそうな気持ちの遣り場が分からなくて、どうしようもなく身体が震える。しかも今回は推しの顔もあまり見ることができず、悲しいかな、記憶に残っている色彩は差し出されたその袋の黒い色ばかりだ。
俯いたわたしの頭上から、推しの「ありがとうございます」という言葉が降ってくる。ライブを盛り上げる時に発するような、世界を真っ直ぐに眩い光で照らす声じゃなくて。もっと落ち着いた、でも暖かい、ふるさとの陽だまりみたいな声だった。ステージ上から""皆""へじゃなくて、今、ここで、わたしに、声を掛けてくれている。もうそれだけで思考回路が焼き切れそうだった。

逃げるようにして、受け取ったCDを抱えて会場の外に出る。そこは冷たい秋の雨が降っていて、傘を持たずに来てしまったわたしの頭を徐々に冷やしていった。
あーあ、もっとちゃんと推しの目を見て、自分の言葉で、気持ちを伝えたかったのに。焦ってしまって、思っていたこと何も言えなかったな。目の前にいたはずの推しの様子も全然記憶に残っていない。
いや、好きなのはそりゃあ事実だよ、大好きなんだもん。だからそれを直接言えるだけで、ほんとうに有難いんだけど。

推しは、一度経験して要領を掴んできたのもあるだろうし、やっぱり他人に対する思いやりも気遣いも抜群に持ち合わせているから、流れ作業といっても向き合うファンひとりひとりに真摯に対応してくれるのだろう。
勿論、変なことを言ったり長時間絡んだりして、迷惑を掛けたくはない。個人としての認知が欲しい訳でもない。寧ろこんな限界キモオタクなので認知されたくない。
けれど、他の人のお渡し会後のツイート(今はポストと言うべきか)などを見ていると、みんなちゃんと真っ直ぐに感謝や自分の思いなんかを伝えていて、推しと相対したその瞬間を大切に大切に心に刻んでいるようだった。だから、もっと覚悟を持って推しに向き合えなかった自分のことを省みて、何だかひどく情けない気持ちになった。

わたしはどうしてこのツアーの、お渡し会の全通をすることにしたのだったか。
推しからCDを受け取りたい。けれどそれ以上に、(わたしという個人ではなく""概念""として)貴方のためならお金も時間もどれだけかけるのも厭わないくらい、本当に本当に大好きな人間がこの世に存在しているのだということを行動を以って示したいと思ったからだ。
普段の言動から、どうにも自己肯定感があまり高くなさそうなところを感じる推しに、貴方がお渡し会に挑戦するというから、わたしはその為に日本全国を駆け回っているのだと、応援しているからと、そういう気持ちだけどうにか伝わってほしいのだ。

わたしにはあと5回機会があるけれど、逆に言えば、生きているうちにあと5回しかこんな機会はないかもしれない。それなのに。
不甲斐なさと自己嫌悪とを抱えて、雨降る一夜を明かした。

次の日。前述のように大阪は大学生活を送った場所なので、去る時はいつも楽しかった大学時代のことを追憶してしまう。この日は東京へ向けて流れゆく新幹線の車窓を眺めながら、卒業式で当時の学部長が語った式辞を思い出していた。
——何の役に立つの、と言われがちな学問でしょう。けれどそれが本領を発揮するのは、人生の岐路に立った時だと思います。生きていく上で様々な問題に直面した時、その問題について考え抜く手がかりを与えてくれるのが、みなさんがこの学部で学んだ事柄なのです、と。

ああ、そうか。
先生、きっと今がその時かもしれません。

今、これを思い出したのはそういうことなのだ。わたしの人生であるところの推しに、一体どうやって、思いを伝えるのが最善なのか。今世における弩級の問題に直面して、これまで学んだこと経験したこと身につけたこと、とにかく自分の持てる力の全てで考え抜いて考え抜いて、この問題に立ち向かうべきなのだ。

さあ、あとたった5回の機会。推しの前に立てる限り、絶対に後悔だけはしたくないと思った。


第三回戦 10月22日 蝦夷の陣

新千歳空港に降り立つと、そこはもう冬だった。屋外では風が肌を切り裂くように吹きつけてくる。
なんとも不思議だ、2週間前は夏にいたというのに。

沖縄との気温差、実に20℃以上

野生のエゾシカが前を走る電車に接触したとかで空港からのJR線が遅れ、しみじみと""北海道""を感じながら移動する。札幌に着いたら推しバンドの行きつけのラーメン屋で味噌ラーメンを食べた。その店には色々なアーティストのサインが飾られていると思いきや、よく見ると9割が推しバンドのサインである。推しバンド、ここのラーメン大好きすぎるだろ。
ともあれそれを食したわたしは胃の中身を推しと同じにすることで、来る対決に向けて気合を入れた。

さて、前回が腑抜けた結果に終わってしまい落ち込んだため、今回はあらかじめ推しに対面してどうするかを入念に考えている。推しはライブ後で疲れているだろうし早く帰りたいだろうし思考リソースを使わせたくないしあくまで渡すだけの会なので、様々なことを勘案した結果、以下の条件で一言だけ発することにした。

・聞いてすぐ理解できる、短くシンプルな内容
・向こうが定型文(ありがとうございます等)で返せる
 ※こちらとしては返事はなくとも良いのだが、推しは気を遣って言葉を発してくれるため

色々考えたけれど、あの場は会話をするものではないので、言うにしても受け取る際にちょっと添えるくらいのレベル感にするべきだ。それから例え事実であっても流石に「貴方がわたしの人生です」とか言うと重すぎる。「元気を貰ってます」くらいだったら丁度いいのでは、という意見を貰い、それだ!!!とアリストテレスの如く感嘆した。とりあえず、札幌はそんな感じで行こうと決める。
また、どうにも本人を目の前にするとワ……!とでかきも(ちいかわの逆)になってしまうため、大阪公演が終わってからの1週間、推しの写真を見ながら、きちんと目を見てしっかりと声に出す練習をした。

ちなみに札幌公演の同行フォロワーは皆ギターの人のオタクであり、大阪のようにヘルプのメンバーが出てくることになった場合、くじ引きの結果次第ではパーティ全員おしまいになってしまう可能性があり戦々恐々としていた。しかし今日は推し単独での登場との通知が事前になされ、その事態を回避する。まあ、自分ばかり動揺しているのも恥なので、突然の自担に戸惑うフォロワーを見たくないと言えば嘘になるのだが。
ギターの人はめちゃめちゃに雨男であり、そのせいかは分からないがこの日も開場間際になって相当な大粒の雨が降り始めた。大阪でも降ってたな……。
上着も傘も預けてきてしまったので、雨粒が服に染み込んで凍りつくかと思うくらい寒かった。しかしこのツアー、何が何でも全通しなければならないため体調を崩すわけにはいかない。幸いわたしは過去2回の""戦い""の記憶を呼び覚ませばいつでも心を烈火のごとく燃やすことができるので、そうして暖を取りながら開演を待ち、ライブへと臨んだ。

推しバンドは夏の申し子だから、ひとたびライブが始まれば外の寒さもすっかり吹っ飛んで、全身の血が沸き立つ。そして今日もまた決戦の時がやってくるのであった。
この日はフロアの後方に黒いカーテンで仕切られたブースが作られていた。周囲から医者の問診みたいだなと言われている。仮にそうだとしたらわたしの場合は心拍数とか血圧とかが異常な数値を叩き出すに違いない。
やはり自分の順番が近づいてくるこの時間は気が狂いそうになる。何とか深呼吸をして、言おうと思っている台詞を小声で何度も唱えながらカーテンの奥へと歩を進める。とにかく一杯一杯だったから、前にいたフォロワーが手渡される様子がどんなだったか覚えていないことに、これを書きながら気がつく始末だった。

そして、目の前に推しが居た。
いくら練習したとはいえ、写真よりも本物の方が数億倍輝いているので、思わず怯みそうになる。でも、ここで逃げてしまったら先週の二の舞なのだ。行け、今決戦だ、熱くなれ!

——覚悟を決めた甲斐あって、ちゃんと目を見て伝えたいことを言えた、と思う。たぶん声はまだ震えていたけれど。
推しもわたしの目を見てくれる。こんなにバッチリ視線が合うことは、ライブ中だってあんまりない。こちらは推しのことを四六時中見ているけれど、何度も言うように推しは会場のみんなを見ているから。
もうあと幾つもないこの瞬間を、心身に刻んで忘れないようにしよう。たくさん歌った後でそれでも発してくれる、少しかさついた声の「ありがとうございます」も、歩んできた日々を刻んで柔らかい表情を作る目尻の皺も、いつだって夏を運んでくるその指先も。

ひとまず目標を達成して、やり切った思いに突き動かされながらブースの出口へ一歩踏み出した視界の中で、薄暗い空間の中にいても不思議なほどに光を宿す推しの大きな瞳が、まだこちらを見ているような気がした。名残惜しくてわたしがそう錯覚したのだろうと思ったのだけど。
斯くして推しは、「また来てください」と言った。

恐らくその言葉が自分の脳に伝達されて意味を認識するまでに、時間がかかったのだろう。
ブースを出て、見守ってくれていたフォロワーにちゃんと言えましたよ!と成果を報告し、カウンターでドリンクを引き換え一口飲んで、コインロッカーの荷物を取り出しに行こうとしたところで、

ちょっと待って。
最後、「また来てください」って言われなかった?

………………。

もしかして、毎回来ていることがバレている?

思い至った瞬間、雷に打たれたように全身に衝撃が走り抜けて、そののちに腰が抜けた。知ってます?人間ってマジで腰、抜けるらしい。
…………また……?来て……?いやいやいやいやそんな訳ないって、だってまだ3公演目だよ、そんな、全通とかさ、分からないでしょ!?
とは言うもののその3公演、大阪はまだしも残りの2箇所は沖縄と北海道である。3回とも来る奴はだいぶ""やっている""と思われても不思議ではない。無論あと4回行くので、実際に""やっている""のだが。
というかこのツアー以前にも、それなりの数の現場に行って、スタンディングなら毎回推しの立ち位置側に陣取るし毎回どこにいても推しばかり見ているので、今までの積み重ねという前科はあるといえばあるけれど、でも、でも、それとこれとは別の話というか……!!!

もし、もしも、仮に、万が一、そうだとしたらどうしよう。
再三申していることだが、決して!断じて!認知が欲しくてやっている訳ではないのだ。
貴方のことが好きで、心から応援しているという意思を伝えたい反面、いつもこんなキモオタクが好きになって申し訳ないという気持ちも抱えている。
推しだって、例えば小さい子どもとか、親子で聞いてますみたいな人とか、ホールツアーでコラボした地元の学生さんとか、バンドやってる男の子とか、そういう人たちに好かれた方が嬉しいんじゃないだろうかと思ってしまう。こんな、十歳やそこらで推しに""出逢って""から人生が狂い、思想を拗らせてしまった限界オタクなんかじゃなくて。
だから、推しの意識の中に極々僅かでも自分というものがあるかもしれないことが居た堪れない。叶うなら、正体を知られずにひたすら支援だけをし続けるあしながおじさんのようなオタクになりたい。

でも。
この世で一番推している人間に、何をどうしたって貴方を大好きでいる者が存在しているのだと、もしも、理解してもらえるのならば。
わたしが推しを推してきたこの人生の意味が確かにあるということで、それは今まで過ごしてきた年月が、宝物みたいに光り輝くほどの事実なのである。

自分の中で相反する二つの気持ちが交互に浮かんではぶつかり合う。完全に盾と矛とをひさぐ者と化してしまった。会場を離れて、夕食に北海道が誇る驚異的に美味しい海鮮をたらふく食べても、あの去り際の推しの一言は永遠に頭の中から消えてくれない。
もう自分の意思も感情も何も分からなくなって自律神経がエラーを起こし、最終的に膝を抱えて泣いた。深夜のすすきので漏らした限界オタクの嗚咽を、北国の冷たく澄んだ空が静かに吸い込んでゆくのだった。

ちょっとまだ受け止めきれない。
どうしよう、もう5日後には次の戦いがあるというのに!


第四回戦 10月27日 尾張の陣

全七回のうち、ちょうど折り返し地点の四回目。
決戦の舞台も日本のほぼ真ん中、愛知県名古屋市である。
……結局、北海道から戻ってきてからこの日まで、前回の対戦内容を片時も忘れられなかった。

実はこの時期、仕事が爆裂繁忙期であった。
本当はまるっと4連休にしてしまいたかったがそうもいかないので、金曜日のこの日は午前中仕事をして、午後から名古屋へ。名古屋で2泊して福岡に移動し、そこで日曜の夜に戦いを終えた後、月曜の朝イチの飛行機で東京に戻り羽田から出勤する予定である。バカのスケジュール。
気もそぞろなまま金曜の午前中を過ごし、山盛りの書類に背を向けて東京駅へ。仕事の書類も推しが手渡してくれるならいいのにな〜などというキショい望みを抱えたオタクを乗せて、新幹線のぞみ号は瞬く間に名古屋駅に到着した。

バンド名がバレてしまうが(今更)、載せられる当日の写真がこれしかなかった

名古屋は、2020年2月、当時のツアーが中止になったまさにその場所である。東京で2公演を終えて、次なるライブのためメンバーは愛知に移動して、その数日間で世間が俄かにきな臭くなって。そして、名古屋公演当日、急遽その中止が発表されたのだった。その時はまだ、皆少し経てば収まるだろうと思っていたし、振替公演もされる予定だったのだが、周知の通り例のウイルスは日本全国に大打撃をもたらし、名古屋で時が止まったそのツアーが再開されることはなかった。3年後、リベンジのこの日まで。
そういった経緯もあって、この地で見るライブはメンバーもより気合が入っていたようだったし、見ているこちらも失われた時間を取り戻すように熱狂するステージだった。

ライブの間は何も考えず純粋にライブだけを楽しめるのだが、終わった瞬間にこの後待ち受けている戦いのことを思い出し、急に真顔になってしまう。会場では待ち時間に過去の音声コンテンツなどを流して退屈しないようにしてくれているのだが、わたしは緊張で爆発しそうでちゃんと聞けた試しがない。瞳孔が開きっぱなしなので、フォロワーが「これ何本に見えますか?」と示した人差し指が、推しバンドのマイクの数と同じ3本に見えていた。

そんな状態ながら、とにかく自分が言うべき言葉を反芻する。一応今回も、一言だけ、応援していますみたいなことを言おうと思っていた。
わたしがめちゃめちゃ豪傑な女ならいっそ開き直って、元気よく「また来ました!!!!」と言えるのかもしれないが、あいにくこちらは陰の者である。もしかしたら札幌での推しは全然そんなつもりなく言ったかもしれないし……と不安に苛まれ、ギリギリまでそれを言うべきか悩んでいた。
でも札幌の時は言われたことを理解しきれず返事ができないままだったし、ライブでとある曲の客が歌うコーラス部分をイヤモニを外してしっかり声を聞いてくれている姿なんかを見ていたら、うわーーーーッッ好きだ!!!!!と限界オタク感情を取り戻し、やっぱり言おうかな、という方向に傾く。

大阪と同様に、お渡しブースはフロア出口のすぐ横に作られていた。徐々に近づいてくるその場所への距離、比例してぐるぐると回転数の上がる脳内。どれだけ悩んだところで正解なんて分からないのだから、もう当たって砕けるしかないのだけど。

息を吸って、拳を握りしめて、推しの眼前。
その姿を視界の正面に捉えることはできたけれど、いざ言葉を紡ごうとしたとき、どうしても喉の辺りで引っかかる意識。
畢竟、発した言葉には、「すみません……また来ました」と、冒頭に謝罪がついてしまった。語尾が力無く地面に落ちてゆくのが分かる。我ながらひどく恐縮して見えただろう。

先程も書いたが、わたしは自分なんかが推しのことを好きなのが申し訳ないと思うことがある。だからステージから見えるたくさんのファンの中の、風景の中の一人でありたくて、わたしという個人の存在を認識されるのが恐い。それに、わたしはバンドのメンバーとしての彼のことを推しているが、それは一人の生きている人間を、偶像として、コンテンツとして捉えているということだ。いざ本人に真正面から向き合うとなると、それに対しての後ろめたさとか畏れ多さとかが湧き上がってくるのである。
全通だって、そこまでするなんてと引かれるかもしれないと思っていたから、自分からは言い出せなかった。きっと推しはファンに対してそんなことを思うような人間じゃないと本当は分かってはいるけれど、でも捻じ曲がった陰のオタクの自意識はそれを許してくれない。その結果が、すみませんという謝罪だった。

わたしの一言を聞いた推しは、ほんの一瞬だけ驚いたような表情を浮かべて、そして、すぐ弾けたように笑いながら「いいんだよ!」と言った。
何度も何度も何度も聞いてきて、その度に好きだなあと毎回飽きもせず思う、無邪気な少年みたいに楽しそうな笑い声が、自分に対して届いている。
束の間見えたのは、謝罪される謂れなど全く思い至らないとでも言うような意外そうな顔だった。そして、わたしがあんなに思い悩んでいたことすら気にならなくなるくらい、明るい笑顔で、許容と肯定の言葉を。他の誰でもない、本人が。

——いいのか、わたしが、貴方を好きでいてもいいのか。
その様子は、鬱屈とした心情を燦々と照らして消し飛ばす太陽のようだと思った。そうだ、いつだって推しはわたしにとって太陽なんだ。

その光に焼かれそうになりながら、慌てて、応援してます、と付け加えてブースを去る。
推しの隣にいたマネージャーにまで「何回でも来てください」と言われ、心の中で「行くけど!!あと3回!!全部!!!!」と叫んで(直接言う勇気はない)、受け取ったCDの袋を握りしめながら走り抜けた。

ここ数日、思考がひたすら迷走して訳が分からなくなっていたが、わたしは推しのことを長年研究してきたのではなかったか。
その見解によれば、彼はいつだって人前に出る時はバンドのパブリックイメージを背負って、そのメンバーの一人として自分の立場を、取るべき言動を考えている人間だと思われる。
推しは自他共に昔から「変わらない」と評されがちだが、それは彼がこのバンドを結成してから20年以上ずっと、いつだって""その立場""の人間として振る舞ってきたことの証左だ。わたしはずっとそれを見てきたのだからよくよく知っていて、そこに彼の芯の通った意識を感じて、だからそれも推せる一因で。

きっと推しは、コンテンツとして消費しているだとか、そんなこと全部受け入れた上で、それでもこのバンドのメンバーとして、ファンの前に立っている。だからお渡し会のために全通する限界オタクの存在も、こんな面倒くさい感情の発露も、笑い飛ばして許してくれるのだろう。
そうなんだよな、わたしの見てきた推しは、あそこでああ言ってくれる人なんだよな。どうして思い至らなかったのか。

次の日、名古屋で丸一日時間があったので何処かに遊びに行こうかとも思ったが、疲れていたのと胸がいっぱいすぎて数分に一回推しのことを沈思黙考しては動けなくなってしまうので、大半をホテルの部屋で過ごす羽目になった。
薄暗い部屋の中で、もう翌日に迫った次の戦いに思いを巡らせては叫び出したくなる衝動をなんとか抑えて、夜が明けるのを待ったのだった。


第五回戦 10月29日 筑前の陣

中部国際空港から博多空港へ。あっという間に着いて驚いたが、毎週遠征しているので感覚が麻痺しているだけかもしれない。
福岡は壱岐遠征の時に前乗りした以来だ。空港と市街地がめちゃくちゃ近いという遠征民に優しい土地なので日帰りもワンチャンあるかと思われたが、お渡し会後の錯乱した精神状態で会場から空港まで急いで移動して飛行機に乗るという行為ができる自信がないので諦めた。

天神で昼食に博多ラーメンをチャージしたら、特にやることもないので早々に会場へ向かう。これはオタク遠征あるあるかどうか分からないが、わたしの場合はあくまで遠征であり旅行ではないので、時間的余裕がない時は観光したりお土産を買ったりということは一切なく、ライブに行って帰るだけみたいなこともままあるのだ。

商業施設の中にあるので時間が潰せて有難い

わたしの居住地が東京なので、九州の現場に来ることは残念ながらあまりない。この日は会う機会が少ない人たちにまでバキバキにキマった言動のキモオタクの姿を晒してしまいたいへん申し訳ないと思っている。
しかし改めて考えてみてほしいのだが、20年近くずっと大好きな人間と急にタイマンを張るとなったら、そりゃ情緒がおかしくなるというものである。お前はもう5回目だろと言われるかもしれないが、何度やったって推しの輝きは褪せることはないし、数を重ねるたびに好きだと思う気持ちは増幅しているので、未だにその瞬間を想像するだけで右脳も左脳も前後に揺れて何も考えられなくなるのだ。

九州の人々は元気が良いのだろう、この日のライブはとてもよく観客の声が聞こえた。メンバーたちも、みんなの歓声を聞くことだったり一緒に歌うことだったり、そういったことがようやくできるようになって、リベンジであるこのツアーの意味を噛み締めて嬉しそうだった。

かくいうわたしも叫んで踊って大暴れして、ライブが終わってふと我に返る。ああ、今日もやってきてしまった。
先刻まで溌剌と楽曲に合いの手を入れていたのだが、今は葛折りで形成された待機列を折り返すたびに死にそうな呻き声を漏らす。この日もフロアの出口のすぐ横にブースがあって、暖簾の隙間から覗く推しの姿に、そこに居るのだと実感して汗が背中を伝う。何度目だろうと慣れるわけがない。

引換券をスタッフに渡したら、覚悟を決めて一歩前へ進む。短く切り揃えた黒い前髪、その下で推しの目がくるりとこちらを向いた。日本人の黒目の大きさはほとんど差がないというけれど、推しに関しては当てはまらないんじゃないだろうかといつも思っている。何度見ても新鮮に驚くほど、間近で見るその瞳は吸い込まれそうなほど大きくて、普段はそこに映る景色はどんなものだろうと思いを馳せているのだが、しかし正に今は、自分が映っているのだ。

名古屋で赦されたので、この日はもう特に飾らずそのまま「好き」を伝えようと思っていた。ツアーの最初の頃、とにかく必死な状態で無意識に出てきた言葉と同じだが、結局どうやったって帰結するのはそこなのである。
だからここ2日ずっと煮詰めていた感情さえ一言に込めて、CDを受け取りながら、今日も好きです、というようなことを言った。
……後から冷静になって考えれば、別に推しはわたしが名古屋公演からこっち抱いていた思いなんて知り得ないから、いきなり「今日も」とか言われても意味が分からないだろう。
けれどこの時の彼は、わたしの言葉を受けて、おおっ、と軽く相槌のような声を発したのち、また楽しそうに呵々大笑して「明日もよろしく!」と言ったのである。

疲れているのに、返事なんてしなくたっていいのに、わたしの言葉に合わせて返してくれた。その事実が心臓を鷲掴みにする。
頭の回転が速いところも、その場で上手いこと言えるところも、ちゃんとこっちを見て聞いて向き合ってくれるところも、やっぱり大好きなのだ。今日も明日も明後日もその次の日も、たぶんこれからもずっと。

この頃になると推しもこなれてきたのか、そして元来、他人に対してとても思いやりのある人間であるから、あの場でもいろいろな反応をするようになって、参加者から様々な言葉を掛けられているようだった。あの空間では自分のことで精一杯すぎて周囲が見えていないので、後から見聞きした限りだけれど。
でもわたしがやるべきことは、最初に決意した時から変わらない。貴方が心から大好きで、本当に応援しているファンのうちのひとりで、だからここにいるのだと、それをただ示すだけだ。

「よろしく」とは、人に何かを頼む時などに添える語である。今日のあの推しの一言は、大袈裟だけれど、ファンが推しのことを、明日という未来においても好きでいることへの信頼なのではないかと思った。ああいった場だから明るく振る舞ってくれているのかもしれないが、自己をネガティブだと評価する推しが、自分から、そういったニュアンスの言葉を発してくれたのだ。わたしがこの5回、いや実際はもっと前からずっと、色んなところで、どうにかして届けたいと願い続けていた気持ちは、推しに伝わっているのだろうか。ほんの少しでも伝わっていたらいいなあ。

ホテルへ向かう道すがら、推しの言葉を回想する。秋の夜長は北海道ほどではないにしろ冷え込むが、名古屋での明るい赦しも、今日の福岡での未来への信頼も、たった一言だったけど、思い返せば本当に本当に嬉しくて、胸中はいつまでも熱を帯びていた。
もうあと数時間には起床して東京へ戻り仕事という現実と向き合わなければならない。でも世界で一番推している人間に、明日もよろしく、と言われたからには、明日からも推しを好きな気持ちを抱いて日常を乗り越えていかなければならないのだ。

やってきた月曜日、週末に置いて出た仕事を処理して3日ぶりに帰宅して、一ヶ月近く出しっぱなしだった遠征用のキャリーケースを片付ける。残るはあと2回、最終決戦の地は東京だ。全力で迎え撃つのみである。


第六回戦 11月2日 江戸の陣・一夜目

東奔西走の末に迎えたホーム戦。しかしこの日は平日、職場で大きい行事があってどうしても休むことができなかった。しかも終わる時間が不確定で、運が良ければギリギリ開演に滑り込めるが、高確率で間に合わないと思われた。
仮病なんかで無理矢理休めなくはないけれど、そもそもここ数週間で小刻みに休んでしまっているし(札幌、名古屋、福岡に行ったため)、流石にこの日に穴を開けるとちょっと職場での立場が揺らいでしまう。推しを推すには金が必要だから、仕事を失うわけにはいかないのだ。

何か偉い人がたくさん来ていた気がするけれど、それよりもわたしには会いに行かねばならぬ人がいる。奇跡的にその行事が予想よりも早く終わり、積み残した仕事を全て連休明けの自分へ覆い被せて、大急ぎで事務室を飛び出した。

職場から現場直行RTA(Any% Glitchless)、スーツの下にTシャツを着てくるセットアップで着替えを最速で済ませ、その時点で一番効率の良い乗り換えのチャートを組み、東京都心の駅の人混みを数フレームの猶予で躱し全速力で駆け抜け、ZeppDiverCityに辿り着いたらタイマーストップ。自己ベストのタイムを叩き出し、諦めていた開演時間に間に合った。

初日の沖縄から全公演をこの目で見て体感してきたので、やはり回数を重ねるごとにライブの仕上がりが洗練されてゆくのが分かる。それから、東京は全国から猛者が集結しやすいので、この日は客の盛り上がりも抜群だった。仕事中ヒールで走り回って、さらに会場まで全力疾走したためにぶっ壊れそうだった足の痛みも忘れるほど、無我夢中になるライブであった。

そしてライブを見ていると改めて、もしかして自分、推しのことがめちゃくちゃ好きなのでは?という感情が湧き上がってくる。この文章をここまで書いていて今更すぎないかと言われるだろうが、歌声もパフォーマンスも表情もMCも、その言動の端々から感じる気配りも臨機応変な思考と対応も、何度ライブに参加してもその度に純粋に新鮮に、ああ大好きだ、と思ってしまう。
なのでラスト2回とはいえ、今から本当に先程まで見ていたあの推しと直接対面してCDを受け取るのだという事実は、交感神経を否が応にも優位にさせる。きっと、この国でいちばん偉い人の前に立つよりも、推しの前に立つ方が緊張するだろう。

この日のお渡し会のブースはなぜかものすごく暗い空間に設営されていた。下手すると推しの顔もよく見えないくらいだったらしいが、わたしは何度やってもこの瞬間は推しのことしか意識の範疇にないので、後から人に言われてそう言えば暗かったかも、くらいの感覚だった。わたしからすれば推しはいつだって自分の視界の光源だし、その瞳は今日もめくるめく輝きだったことしか覚えていない。

疲労と緊張が合わさって小刻みに震え続ける足をなんとか律して、その光の元へ歩み出る。
セミファイナル、そういえば大事なことを言っていなかった、と思って、CDを受け取りながら「ライブ最高でした」と一言告げた。普段なら、安易に「最高」という言葉を使いたくなくて、何がどう良かったのか、自分はどこに感銘を受けてそう思ったのか、などということを考えて言語化するのだけれど、それは後からファンレターなり何なりで伝えればよくて、とにかくあの場において短く分かりやすくシンプルに伝えるには「最高」というのが一番だろうと思ったのだ。

そして、推しが「ありがとうございます」と定型文で返してくれたことに安心する。この日はお渡し会の参加人数が相当多く、もう一人のボーカルのメンバーのお渡しレーンもできていた。それでも順番を待つ列の長さは過去最長であったように思う。自分がちゃっかり参加しておいて何だが、次の日もライブがあるのだし、推しに余計な労力を使わせたくはない。
勿論、その目はしっかりこちらを見据えてくれて、表情は誰もが魅力的に感じるくらい柔和な笑顔である。人数が多くたって、決して適当に対応しているなんてことはないのだ。
たくさんの人に愛されている貴方が好きで、それなのに目の前のわたし一人に丁寧に向き合ってくれる貴方が好きだ。わたしの言葉を推しが聞いて、推しがわたしに声を掛けてくれて、推しと一対一でこの場に居る。その事実だけで天にも昇る気持ちになれるから、オタクをやっていて良かったなと思う。

一人あたりに時間をかけられないので、とにかく早く立ち去らねばと思い体を出口に向けながら、言い逃げしようと思って「大好きです」と発したわたしの方に、推しは顔を向けて、そう、こちらを向いたのだ、幻覚かと思っていたけどわたしの次に並んでいたフォロワー(他担)が、見てましたよと客観的判断を下していたので、たぶん、見ていたのだろう。そして頷きながら「押忍」と短く一言、返してくれた。

だから返事しなくていいのに!と思いながらふらふらと小走りでブースを離れ、階段を駆け上り、そのまま会場の外へ出て、ダイバーシティのガンダムの側の芝生に崩れ落ちた。
こ、こここ、こっちめっちゃ見てくるじゃん!!!!!あと「押忍」って何!?!?!?!?
受け取った後、6回目にして未だに初回と同じような反応をしてしまう。ライブ中の自分は推しのことをマジでめちゃくちゃ見ているが、逆に推しがこちらをマジでめちゃくちゃ見てくるのは耐性がないので一発で限界になる。心臓が痛い。脳に今まで届いたことのない信号とかが届いているようで、目の奥がチカチカとして視界が歪んでいた。

「押忍」は推しがよくSNSなんかで使っている気合い入れの一言だ。恐らくだが、咄嗟に何か言おうとしてくれたのではないかと思う。とにかく他人に気遣いをする人だけれど、その気遣いの対象に自分が入っている事実に震撼する。うわあああ、そんなことあるのか!?
でも、わたしの言葉を聞いて頷いてくれたのは、わたしが貴方のファンであると分かってくれているような、ああいや、自惚れすぎかな。でも、でも、やっぱり、嬉しかったのだ。

労働で疲れた身体に推しの存在が染み渡る。クタクタになりながら頑張れるのも、地味な毎日だって糧にして乗り越えられるのも、推しバンドがいて、推しバンドのライブがあって、推しがいるからだ。
何をどうしたって、大好きである。

明日でツアーもお渡し会も終わってしまう。泣いても笑ってもこれで最後だから、もうあとは悔いのないように、全力で立ち向かうだけだ。


第七回戦 11月3日 江戸の陣・二夜目

ツアーファイナル、正真正銘の最終決戦。
この日言うことは、最初の沖縄公演が終わった時点で決めていた。
今回のお渡し会の企画以前に実は一度だけ、推しと接触する機会があって、そこで言った言葉がある。それもやっぱり「好き」に、まあちょっと大袈裟な修飾をつけたようなものなのだけど、わたしにとっては大袈裟なんかじゃなく紛れもない事実で、本当に心からそう思っていた。もちろん今も。
推しはその時のことを覚えてはいないだろう。それを期待しているわけではなくて、ただ、わたしが自分の中の区切りというか、一つの記念碑的なものとして、その言葉を使いたいと思ったのだった。

数年前にその言葉を伝えた時の推しは、ちょっと驚いたように、「そんなに?」と言って笑ってくれた。オタクとしては、そんなにだよ!!!!!と思いつつ、その反応がとても彼らしいと思ったものだけど。
でも今日は、とにかく伝えられればそれでいい。

りんかい線に揺られ、ダイバーシティへ向かう。なくなってしまったZepp Tokyoも含めると、ライブを見にこのエリアに来るのももう何回目か分からない。
就職をきっかけに東京に住み始めて幾年か経ち、学生時代では考えられないくらい色々なところに色々なバンドのライブを見に行くようになったけれど、そもそもバンドというものもライブというものも、好きになったのは推しバンドのおかげだ。推している時間が長い分、やっぱりどうしたってわたしの人生を形作っているのだと改めて思いながら、地下への階段を下る。薄暗くって汗と煙草の臭いがして、それでも世界一わくわくする空間へ。

チケットはソールドアウト、満員御礼のフロア。ファイナルだけあって、本当に集大成だった。きっとメンバーが込めた気持ちも、それに応える客の熱さも随一で、曲が演奏されるたびにボルテージが上がっていく。この場の全てが一体となって、今まさにここでしか味わえない生の喜びが全身を駆け巡っていた。
感染対策で声が出せなかった曲でコールアンドレスポンスができるようになって、皆の声が聞けて嬉しそうな表情をする推しに向かって全力で叫んだとき、泣くような曲じゃない、明るく楽しく盛り上がる曲なのに、思わず涙が出てしまった。
わたしはずっとこれをやりたかったんだよな。リベンジしてくれてありがとう。3年前の悲しい気持ちも、ここ数年間の抑圧された環境の苦しさも、ぶっ飛ばしてくれてありがとう。

そして、そんな感無量のライブを体感した後に、こちらも最後の戦いが始まるのである。鼓動は高鳴ったままだし汗も引かないが、ライブの高揚を引き摺っているのか武者震いの類なのか分からない。

前日と同様に、この日ももう一人、別のメンバーと分担してのお渡しだった。みんなも良い思い出を作れますようにと祈りながら別レーンに並ぶオタクを見送って、そしてラストバトルに備えて自分と向き合った。
並んでいる間に、過去6回の戦いが脳内を駆け巡る。現実味の無かった沖縄、悔恨の大阪、大混乱の札幌、赦された名古屋、信頼の福岡、そして優しく嬉しい東京の記憶。胸の奥が詰まってとにかく泣きそうだった。原因ははっきりとしないけれど、人は感情がぐちゃぐちゃになると涙が出てくるらしい。
でも推しの前で泣くと推しに迷惑が掛かるから、泣かないようにしなければ。どう足掻いてもこれが最後なのだから、ちゃんと推しのことを見て、その存在すべてを心に留めたい。そしてしっかりと、自分の言葉を発したい。

長い長い列を進んで、とうとう自分の順番がやってきた。いざ、乾坤一擲の大勝負。
最後まで夢みたいだったけれど、そこに推しが居る。18年間ずっと見てきた姿も、ずっと聞いてきた声も、確かにここに実在する。先程までステージの上できらきらと、あまねく世界を照らしていた人間が、今は自分ひとりの目の前に。

心拍数は上がるし手足は震える。けれど、もうやるべきことも言うことも決まっている。今までの経験を糧にするように、両手を握りしめた。
大きく息を吸って、涙は堪えた。差し出された袋を受け取る。正面から推しの目を見て、思いっきり、「好き」の言葉と、感謝を。
よし、言えた!

推しの真意は分からない。
でも、これは本当に痛いオタクの思い込みかもしれないけれど。
数年前と同じ言葉を伝えたら——以前のことは覚えていないだろうから、始めてその言葉を聞いたものとして——推しは、「わあ、」と感嘆したような声を発した。そして優しげで、どこか嬉しそうな、そんな表情をしていたように見えたのだ。
だから今日は、まっすぐに、受け止めてくれただろうか。わたしは貴方に、どうかこの気持ちだけ伝わればいいと思って、沖縄でも大阪でも北海道でも愛知でも福岡でも、そして東京で昨日も今日も、ここに居るのだ。

瞼の裏に焼き付くほど眩しい笑顔で、どんな景色より美しく輝く瞳で、心まで溶かしそうな温かい声で、この世で一番推している人の「ありがとうございます」が、わたしに直に届く。こんなこと、もうきっとこれっきりだろう。
この7回の記憶を隅から隅まで大切にしよう。死ぬ間際だってきっと思い出す。わたしの人生のぜんぶがここに詰まっているのだ。

ブースを去って、地上へ出て、ああやり切ったという達成感と、これで終わりだという寂寥と、ここまでの各地での思い出と、そして推しが本当に本当に本当に本当に大好きだなあという気持ちが一気に溢れて、堪えていた涙が解放されてしまった。かなりの大声で泣いてしまったので周囲の人に何事かと思われたかもしれないが、とにかく爆発した感情の出口が涙腺と嗚咽以外になかった。

でも、完走できた。
3年前に幻と消えたツアー。そのリベンジで、7公演を全て回って、推しバンドの渾身のライブを全て体感して。
そして7回、推しからCDを受け取った。伝わったかどうかは分からないけれど、貴方が大好きで応援しているから、全公演参加したんだよって、行動で示せたならそれだけでいいと思った。

ここ数日は11月だというのに季節外れに暑くて、きっと彼らが東京を夏にしてしまったのだろう。夜でも半袖で十分だった。ライブに参戦した格好のまま、夜道を惚けた顔をして歩いてゆく。
全国各地で限界になるわたしを介護してくれたフォロワーたちが、「きっと伝わってますよ」と言ってくれたのが嬉しくてまたちょっと泣いた。

このツアーを、今日という日を終わらせたくなくて、結局そのままアフターでオールした。
帰り道に見上げた東京の空は狭かったけれど、そこを染める朝焼けは、かつてないほど晴れやかだった。

11月4日午前6時



終戦の辞

フォロワー「戦績どうでした?」
わたし「……六敗一引き分けですかね」
フォロワー「というか推しに勝てると思ってたんですか?」
わたし「…………」

無論、勝てるわけがない。もう20年近く心を奪われてやられっぱなしなのだから。今回だって各公演全箇所で、やっぱりどうしようもなく推しのことが好きなのだと実感するばかりであった。
でもこれは自分との戦いでもあって、そういう意味では、全通を達成できたしひとまず伝えたいと思っていたことは伝えられたのではないかと思うし、上々の結果だろう。

長年推しバンドを追いかけているけれど、全通は初めてだった。
参加本数自体を考えれば、もっと期間も長く公演数の多いツアーもあるのでそちらの方が多いけれど、短いスパンで集中して、Zeppのある主要都市だけといえど全国を飛び回ったのはなかなかない経験だった。やればできるもんですね。
一つのツアーを全通することで、オタクとして実績を得て成長できたように思う。真人間としてはむしろ退化しているのかもしれないが。


推しバンドが、3本のマイクと3つの楽器だけを武器として広い世界に立ち向かおうとしていたあの頃の初期衝動を感じさせるツアー。
彼らが原点へ回帰するためのその道程は、推しバンドこそがわたしの原点であると認識するものでもあった。

そして、全力でライブをした後に、疲れているだろうにたくさんのファンの一人一人と丁寧に向き合って、笑顔でCDを手渡しする。そんな挑戦をやり遂げた貴方へ、最大級の感謝と敬意と、それから——なんて、もう、ここで改めて書く必要はないか。


この世にはどうやら7つ集めると願いが叶うものがあるらしい。
今、わたしの手元には、全国各地で推しから手渡されて集めたCDセットが7つあるけれど、もしかしてこれのことなんじゃないだろうか。

願わくば、どうか推しバンドと推しのことを、これからもずっと大好きでいさせてくれますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?