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限界オタクの玄界灘遠征記

遠征(えん-せい)
①遠方の地に征伐に行くこと。
②遠方の地まで探検、調査、試合などに行くこと。
(日本国語大辞典より引用)
現代ではもっぱら②の意味から転じて、居住地から遠くの土地で開催されるイベントやライブに行くことを指すのは周知の通りである。

さて、わたしの推しバンドは生まれも育ちも現住地も沖縄県だ。なかでも地元である沖縄市、いわゆるコザのエリアはもはや街全体が聖地といっても過言ではない。だからその地が我々にとってのイェルサレムであり、熱心な信者は定期的な巡礼を欠かさない。
つまりこの手のものにおいて沖縄という本州から遠く海を隔てた島がスタンダードとなっているために、その前提を持つオタクは並大抵の遠征に対しては「陸が繋がってるから余裕でしょ」というバイアスにより、よく分からん場所でライブがあってもチケットを申し込んでしまう傾向があるのであった。

近年の推しバンドは、毎年秋から冬の時期にかけてホールツアーをやっている。大きな箱がある程度限られているライブハウスと違って、ホールならどの街にも大体1000人以上は収容できるような、市民会館などの何かしらの施設があるような気がする。彼らは公演場所の選定をイベンターに任せているというが、その都道府県の中心部だけでなくいろいろなところに行きたいというメンバーの思いもあり、ホールツアーとなると何故そこで、というような土地でライブを開催することが割とあるのだ。

そんな具合なので、ひとつのツアーで何公演も参加するオタクは、最寄り駅から徒歩30分とか、終演後に全力で走らないと帰りの最終電車に間に合わないとか、そんな会場でのライブにも参加してきた。だから、去年の秋からつい最近まで開催されていた長い長いホールツアーが発表された時も、馴染みのない地名が並ぶツアースケジュールを眺めながら、まあ今回も何とかなるだろうと思っていた。
さあどこに行こうかと考えていたら、あるメンバーの誕生日の前日に、長崎県で公演があるのが目に留まった。前日ということはライブを見てそのままのテンションで夜を明かして誕生日を祝えるので、遠征とはいえ行けるなら是非行きたいところだろう。

会場は「壱岐の島ホール」という場所だった。不勉強ながら長崎で壱岐という地名を聞いたことがなく、どのあたりだろうと調べてみたところ

ここである。

陸、繋がって無ぇ〜〜〜〜〜
いや、「島」と付くけど別に島じゃない地名もあるから、まさか本当に島だとは思わなかった。会場ホームページに載ってるアクセス方法、「海から」と「空から」しかないし、行き方を検討している段階で、最寄り駅じゃなく「最寄り船着場」 とかいう単語が出てくる。
まあ島なのは沖縄も一緒だしな、と思うものの、沖縄は羽田から飛行機一本で行けるのに対しこちらは福岡か長崎で乗り換えが必要なのでより手間がかかる。しかも終演後には帰りの便がないので、強制的に島に閉じ込められて次の日が誕生日のメンバーを祝うことになるのだ。何の宗教?

とはいえ仮にもお茶の間バンドのツアーの公演で完全無欠の離島、話のネタとして面白過ぎるだろ。これは行くしかない。
というわけで、限界オタクの玄界灘への大遠征が幕を開けたのである。

海から行くことにしたので、まず飛行機で福岡へ、そこで一泊して朝イチの高速船(ジェットフォイル)で壱岐島へ、島で泊まるホテルとレンタカーも予約して……と手配するべきものが多く、何なら沖縄に行く時より準備することがあってウケた。
この玄界灘遠征を共にするフォロワーたちと深夜から早朝にまで及ぶ計画会議をしていた際、ジェットフォイルの運賃っていくらするんだろうと調べてみたら往復で一万円を超えるくらいして、思わず「たっっっっっけ」と唸って目が覚めたことを覚えている。
都内在住のくせして今は亡きZepp Tokyoが遠いなどと文句を垂れていた自分を省みるとともに、果たしてこの公演はどれだけ集客できるのだろうかと少し不安になる。遠征オタクだけじゃなく地元の人たちもたくさん来てくれて、一緒に楽しめる公演になるといいけどなあ、などと考えながら準備を進めていった。



そうして迎えた12月、寒空の下いざ福岡行きの飛行機に乗り込んだわたしは、会場に行くまでが大冒険だがライブ自体はいつもと変わらぬホールツアーの公演だと思っていたのだ。
様子がおかしいことに気がついたのは、博多で水炊きを堪能していたその日の夜である。推しのツイート通知が来たのでいつものように光の速さで確認したところ、そこにはフェリーで港に到着したメンバーたち一行を、島の住民が大集結してバンド名入りの幟を掲げ、爆音で曲を流しながらダンスを踊って出迎えている動画が載っていた。

……なんだこれは。行幸啓もかくやというレベルの歓迎じゃん。ちょっと待て、これ、単発のイベントとかじゃなくて全国ツアーのうちの一公演だよね!?

そしてTwitterをよく見ると、その週末は島全域でさまざまな歓迎の催しが開かれているというのだ。説明するより当時のツイートを見てもらったほうが早い。
(先に言っておくと、ここに書かれている内容は、この後マジで全部起こる。時間が無い人は、この記事を最後まで読まずとも、これが全部起こったんだな、とだけ思ってもらえれば良い。)


正月じゃん。
餅つきとか餅撒きとか完全に正月じゃん。推しバンド、訪れた先に夏をもたらすことはあっても正月をもたらしたことは未だ嘗てなかったのでは。
一緒に島に向かうフォロワーたちとはいろんな現場で一緒になっているのだが、流石に今まで「じゃあ明日どうします?」「物販行った後に餅つきしますか」などという会話をしたことはない。我々は明日、一体何処に行くのだろうか?
戸惑いと困惑と無限の面白さを抱えたまま、福岡での夜は更けていった。


次の日、午前8時、博多発のジェットフォイルである。さすがに朝早いこの時間、昨日のような歓迎隊はまだ居ないだろうな、と考えながらカモメと共に海を駆けてゆく。昨日もなんだかんだでオタクの由無し事を話していたら夜更かしをしてしまったので(我々にしては早く寝た方だが)、ついうとうとと波枕、気付くともう目的地は目の前だった。着岸体勢に入ったとき、ふと窓の外を見ると

この光景である


居た。

船を降りるともう既にスピーカーから推しバンドの曲が流れており、思わず体が踊り出す。ウチナーじゃないのに魂に刻まれているカチャーシーを踊る我々と、一緒になって踊ってくれる島の「歓迎隊」の人たち。しかも掲げていたバンド名入りの幟を持たせてくれて、記念写真も撮影してもらった。朝イチなのに既にノリが良すぎる。
ちなみにこの港だけなのかと思っていたら、どうやら島にある全ての港と空港で、全ての船と飛行機の便の到着に合わせて同様のことを行ってくれているらしい。つまりどこからどんな手段でこの島に来ても、逃さず歓迎されるというわけだ。
この時点で、何故そこまでしてくれるのか!?メンバー御一行ならまだしもこちとらしがない遠征のオタクだが!?と恐縮してしまう。だが壱岐島の""歓迎""は、こんなものでは終わらなかった。


ライブまでは時間があるので、島を観光しようとレンタカーを借りた。カーオーディオを点けた瞬間に流れ始める推しバンドの曲。この中の誰かのiPod繋いでんのか??と思うくらい、マイナーなアルバム曲から最新のコラボ曲まで網羅したプレイリスト。島内FMで曲流しっぱなしのチャンネルがあるということは理解していたが、こんなに隅から隅まで流してくれるとは。しかも借りた車のラジオのチャンネルが既にそこにセットされているという手腕。もはや畏怖の念を抱かざるを得ない。

そんなレンタカーに乗って、バンドメンバーも前日に訪れていた壱岐の観光地などを巡る。ライブのポスターを貼りまくってくれているお土産物屋がある商店街に差し掛かったら、その商店街に設置されているスピーカー、普段は街頭放送が流れているようなそれから、これまたエンドレスに彼らの曲が流れていた。
冒頭で記述したように、推しバンドは沖縄市コザの出身だが、その地で主催しているフェスがある。以前その時に訪れたコザは、商店街にバンドロゴのフラッグが掲げられていたのだが、自治体が後援に入っているそのイベントの時ですら街頭のスピーカーで曲を流しまくるということはなかった。
我々は「コザでもこうはならんやろ」「実質今日がテレビズナイト(※主催フェスの名称)なのでは?」とずっと理解が追いつかないままである。もしかしたら世界が終わる時に限界オタクが見ている夢なのかもしれないと思い始めてきた。

ホテルに荷物を預けに行ったらロビーではずっとオルゴールバージョンの曲が流れているし、極め付きはバンド随一のヒット曲が時報となって島内全域に響き渡る。そんなことある?時報が推しの曲になるって、自分が村長のどうぶつの森でしか有り得なくない?
あまりにどこに行っても推しバンドの曲が存在しているので、しまいにはカーオーディオから本日3回目となる曲が流れて思わず悲鳴が上がっていたし(このあとライブで4回目を聞くのだが!)、むしろ普通に有線がかかっているスーパーに入って「この店はあの人たちの曲流れてない!」と逆に安心するという異様な事態となっていた。
目に入れても痛くないほどの推したちだと思っていたけれど、これほど特殊な状況下で、ありとあらゆる手段で曲が流れまくる環境にいると、気が狂いそうになるのだという学びを得た。……その人たちのライブを見に来たはずなのにこんなことになってしまい、「何しに来たんだっけ?」と50回くらい言った気がする。


目的を見失いながらも、開演時間が近づいたので会場となるホールへ到着する。いくつかテントが立っていて、その周りに人が集まっていた。何だろうと近づいてみると

マジで餅つきしてるじゃん。
バンド名にちなみオレンジ色に着色された餅を、大人と共に子どもたちもきゃいきゃい言いながらついている。
告知を見た時は、ライブ会場で餅つきすることある!?と動揺した。だって今まで、例えば結成15周年記念47都道府県ツアー、そのセミファイナルの武道館公演とか、コロナ禍でライブが全くない期間を経て一年二か月ぶりにようやく再会できたファンクラブツアーとか、どれだけおめでたい現場でも流石に餅をついたことはなかったのだから。
だがしかし、実際にその光景を目にすると、推しバンドの公演を舞台に町内の人々が集って盛り上がっている様子になんだか嬉しくなって、わたしも権力があったらいつか自分で、推しバンドの現場で餅つきを開催したいと思ったのである。

そして、つくだけでなく餅が撒かれるイベントもあった。

宙を舞うオレンジ色の餅

次々と撒かれる餅を目指して群衆が手を伸ばし、何なら叫び声まで上げながら掴み取る。
このあとライブ本編ではパンティーが宙を舞うのだが、それに負けず劣らずの熱気、というかまだこの時点ではライブ中の声出しができなかったので、むしろライブより盛り上がっている風に見える。
何しに来たんだっけ、の発言回数がまた増えてしまった。

戦利品


お分かりだろうか、この時点でめちゃくちゃ長文になってしまったが、まだライブが始まってすらいないのだ!!
もはや本番が始まる前にヘロヘロになってしまった我々は、開場前の一番わくわくする時間帯にも関わらず、ホールの地下駐車場に駐めたレンタカーの中でしばし仮眠をとった。この島の情報量に完全に疲れており、脳をリセットしたかったのだ。
いつもは大概テンションのおかしいオタクの自覚はあるが、この時は「このままでは島に負けてしまうのではないか?」という不安すら抱いており、いざチケットを切ってエントランスを潜ったら、ホールに入る前に同行者たちと円陣を組んで「絶対勝つぞ!!!!」と気合を入れて臨んだのであった。

円陣の仕方は推しバンド(一本締めの掛け声をする)を踏襲している



ここに来て、ようやくライブの話をするのだが、わたしは何故か推しの立ち位置側の最前列の席を引いており、ホールのステージの高さも低めだったので、マジのマジに目の前に推しがいて、脳内パニックにつき周囲の様子を感じる余裕がまっっっっっったく無かった。
けれど後方にいたフォロワーに聞いた話では、地元の島の人たちが本当にライブを楽しんでいた様子が伝わってきたという。島の時報にもなった大ヒット曲を歌い出した時は、歓声と拍手が沸き起こっていたし、ライブというもの自体に初めて参加するという人もいる中で、あまり知られていない新曲でも周囲の遠征ガチ勢の動きを見ながら一緒になってノッてくれていたり、とにかく全力で楽しもうとそれぞれの曲で新鮮に反応してくれたりしていたそうだ。
自分でそれらを感じられなかったのは少し残念だが、行く前に願っていたような、ファンも地元の人たちも一緒になって盛り上がる公演になっていたのではないかと思う。ましてや、ここまで住民全体で来島を盛り上げてくれた人たちである。思い出に残るような、心から楽しいと思える時間を過ごしてくれていたのなら、ただの一ファンとしてもそれ以上に嬉しいことはない。

ちなみに推しバンドはホールツアーの際にはいつも、訪れる街の学生たちと吹奏楽の演奏やダンスでコラボレーションする企画をしている。壱岐公演でもそれは行われていて、島にある唯二つの高校の吹奏楽部が合同で出演しているのを見て、この地域の学校事情に思いを馳せるなどした。
また、ダンスチームとのコラボでは、出演していたのは高校生たちだったけれど、そのダンススクールには小さな子どもたちも所属しているそうだ。このライブにまつわる一連の様子は、島内のケーブルテレビで放送されていたらしいのだが、後日その番組がYouTubeで期間限定公開されていたので我々も見ることができた。その中で、小さな子たちがステージに立つお姉さんたちを見て、いつか自分もああいう舞台に立ちたいと夢を語っていたことに感銘を受けた。
彼らが全国各所でやっているコラボ企画ではあるが、この場所でも存分に意義を発揮していたようで、その舞台を見ていたわたしとしてもやはりとても印象深かった。


閑話休題、そんなこんなでライブが終わりホールを出たら、また外では餅つきをやっていた。歓迎隊の人に誘われたので自分もつかせてもらったのだが、この時のわたしは何を隠そう推しを間近で約2時間浴びた後である。目も合ったし流れる汗も間近にあったし表情を形づくる皺のひとつひとつまで見えたしマイクを通さない地声すら聞こえてきたし自分と推しを隔てるものが本当に何もない、そんな時間を過ごした後だ。迸る感情を杵に込め、発狂しながら餅をついた。人生後にも先にも、こんな経験はきっとこの時しかないだろう。
ついた餅はぜんざいとなって来場者に配られていた。古来より稲作信仰がある日本では、神聖な米にさらに一手間加えた餅は神が宿る食べ物だという。わたしの神であるところの推しへの感情を練り込んだ限界オタク餅を全く関係ない島の誰かに食べさせてしまったかもしれず、なんだか申し訳ないが、しかし推しが神であることは揺るがないし、何せこの島は古事記に語られる天と地を繋ぐ天比登都柱あめのひとつばしらである。どうかその人が霊験あらたかな年を迎えていることを願ってやまない。


さて、この後のことはもう手短に書いておこう。
せっかくだから奮発していいとこ泊まっちゃお!みたいなノリで手配したホテルにどうやらメンバーも泊まっているっぽいことが発覚して急にメタルギアソリッドが始まったり(オフの場面で会いたくないので)、日付を跨いだらそもそもその為に来たんだったなと、島のケーキ屋さんで買ったケーキでメンバーの誕生日をお祝いしたり、朝起きたらまだ薄暗い島全体に厳かに響き渡る彼らの曲の時報に、昨日の出来事をすべて""思い出し""て恐れ慄いたり、翌日の観光はメンバーが訪れた時の写真から立ち位置レベルで場所を特定するオタクGeoGuessrをやったり、海辺でフォロワーが持ってきていた三線を試しに弾かせてもらったりした。

存分に楽しんだあと、いざ島を後にするときも、歓迎隊の人々はバンドの曲を流し、幟を振り、昨日のライブ会場で設置されていた、メンバーのサインとお客さんの寄せ書きが入ったメッセージボードを掲げて見送ってくれた。もちろん見送りも全ての場所で全ての時間だ。メンバー御一向が帰った後も、暗くなってもその日の最後の最後まで。

夕方のジェットフォイル便。メンバーたちが帰った後であるのに、我々まで見送ってくれた



一体なぜ、壱岐島の人々はここまでしてくれたのだろうか。計画も根回しも準備も現場対応も、相当に大変だったことは想像に難くない。調べたところによると今回だけでなく、例えばB'zやHYが公演に訪れた時にも、こんなふうに様々な催しをして歓迎してくれたらしい。毎回こんな熱量でもってアーティストとそのファンを迎えてくれているのだ。

この2日間、壱岐島の色々なところを巡ってみて考えたことがある。
島を囲む海から直送であろう海産物の味は期待を裏切らないものだったし、黄金花咲く米どころというだけあって、炊いたご飯が驚くほど美味しかった。そして東京で暮らしていたら今日日なかなか見ることのない雄大な水平線と、陽の光を反射してきらめく白波、その景色の美しさは誰が見ても感銘を受けるものだろう。

記憶に残る壱岐の風景

そんなふうに、美味しい食事と綺麗な景観で、いいところだなあ、と感じた。

けれどその感想は、わたしが所詮観光で訪れたに過ぎないからであって、改めて率直に感じたことは、もしわたしがこの島で生まれて育って青春時代を過ごしたとしたら、島のことは好きだけどきっとどこか物足りない毎日を過ごしていたのではないだろうか、ということだ。
例えばちょっと福岡に行くにも、わたしたちが思わず高いと唸ったその代金を毎回払わなければならないわけだし、島の中で通える高校はふたつしかないし、仕事だって都会に比べたら選択肢はずっと限られてくるだろう。日本全国、どこにも大なり小なり似たような問題はあるとはいえ、物理的に外界と隔てられている島の中では、それらは一層窮屈に感じる要因になりそうだ。

思うに、そんななかで、テレビで見たことがある、曲を聞いたことがあるような人たちが島に来るということは、冗談じゃなくお祭りみたいなことなんだろう。
刺激が欲しけりゃバカになれ、とは推しの言である。ひとつの目的に向かって、とことん馬鹿になるほど打ち込んで、大人も子供も一丸となって全力で何かをするのはきっと楽しいに違いない。そして、その経験を通してなら、地元と地元の人々をもっと好きになれるような気がするのだ。だからそのきっかけとして、バンドのライブが位置付けられていたんじゃないだろうか。つまり学校生活における学祭みたいなものである。でも、きっかけが何であれ、そんな経験ができるのはかけがえのないことだと思う。
現実的なことを言うと、ライブで県外から人を誘致すれば、終演後に帰れないから絶対に島に泊まることになるし、そうすれば観光業も賑わうだろう。そういった経済活性化の意味でも一役買っているのかもしれない。

……なんて、部外者の勝手な考察はともかくとして、壱岐島の思惑がどうであれ、歓迎された当人である推しバンドのメンバーたちは、壱岐での出来事にたいそう感動したことを当日のMCだったり後々にラジオだったりで話していた。どの場所でも世話になっているイベンターだったり知り合いだったりがいて、色々と良くしてもらっているだろうけれど、流石に島まるごとで歓迎してもらうというここまでの規模のことは今まで無かっただろうから。
そしてこの日から約4ヶ月後、東京で行われたツアーファイナル公演のなかで、彼らが「一番印象に残っているところ」と壱岐を挙げていたことからも、その思いがよっぽど強かったことが伺える。

言わずもがな我々遠征民もこれ以上にないほど楽しませてもらった。今回のツアーは長かったから、わたしはライブハウス公演とホール公演を合わせたら全部で16公演に参加したし、遠征も色んなところに行ったのだが、やはり圧倒的に壱岐公演が""強""かった。最前で推しを見たことも理由のひとつとしてはあるけれど、やっぱりあらゆる手段で盛り上げてくれた壱岐島の歓迎隊のおかげだ。とにかく感謝の念に耐えない。
島にいる間じゅうとんでもない濃度で推しバンドの情報を摂取し続けたせいで一時は気が狂いそうになったが、今思い返してみればそんな夢なのか何なのか分からなくなる経験、長年オタクをしてきて初めてだ。だからそれも含めて最高の思い出だし、本土に帰ってきてからも事あるごとにこの壱岐島で過ごした日の話をしてしまうのだ。もちろん、この記事もその一つである。


推しバンドのライブが無ければきっと日本にそんな名前の場所があるとすら知らなかったわたしに、壱岐島は一生忘れないものとして刻み込まれてしまった。人生の解像度が上がるようなこんな経験、もうこの歳でそうそうあったもんじゃない。
そのきっかけをくれた推しバンドは、何はなくても今後とも末永く推すけれど、沖縄に向かうこの足を少しだけ北北東にずらして、また壱岐島を訪れたいと思う。
春一番の強風が吹き荒ぶかのような日々の生活に疲れたとき、それを乗り越える力をくれる、壱番星みたいに輝く思い出を作りに行きたいのだ。




※文中にある写真の一部は、遠征を共にしたフォロワーが良いカメラで撮ってくれた写真を使わせていただいている。ありがとうございました。

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