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メルボルン大学編入の決断①:奨学金との戦い

--注意①--
個人ブログという性質上、今回の記事には一部、間違っている情報が含まれている可能性があります。ここに含まれている内容1つ1つを鵜呑みにすることなく、自分自身で大学のHPを参照したりプロの留学カウンセラーの方に相談するなどして、正確な情報を手にすることをおすすめします。
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--注意②--
今回の記事は思ったよりも長くなってしまったので2つの記事に分けて投稿しています。読者の皆さんが気になるところに合わせて、必要であれば余計な目次は飛ばしながら読み進めて頂けると幸いです。
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いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます!2022年度9月からメルボルンのトリニティカレッジに入学し、ファウンデーションコースを卒業後、2023年7月から12月まではSA州のアデレード大学に在籍していた、イブキです。一つご報告があるので共有させて下さい。半年間在籍していたアデレード大学をやめて、今年の2月から元いたメルボルン大学に進学することになりました。

私のことを良く知る方はご存じかもしれませんが、トリニティが終わった後もメルボルンに残ることは経済的に難しかったので、多額の奨学金を出してもらったアデレード大学で先学期から学位を継続していました。

アデレードを出る1月上旬に撮影した渡航前、最後の写真

ですが、アデレードで半年間授業を受けたり大学で働いたりする中で、専攻していたITよりも自分は経済学をはじめ社会科学系に興味があること、トリニティの時に出会った仲間たちが自分に刺激をくれたとても重要な存在であることなどを実感して、紆余曲折ありましたがやっとメルボルン大学の文学部(Bachelor of Arts)で学位を取りたいという決意が固まりました。


オーストラリア大学学部留学のコスト

これからの留学生の参考にもなるかなと思うので赤裸々にお話ししますが、オーストラリア(特にGroup of 8群)の大学は学費と生活費を合わせて文学部だと年間600万円、理工学や商学、デザイン系の学部だと730万円ほどがかかります。

自費で留学を行っている私は、親から出してもらえる額が年間200-300万円。足りない額は現地でのバイトかJASSO・日本政策金融金庫といった教育ローンを通じて賄うという決まりだったので、大目に見ても私の家庭から出せる額は年間500-600万円(そのうち半分は教育ローンをお借りする)という感じでした。

このような背景から、奨学金を頂けたこともあり費用の安いアデレードに拠点を移すことにしました。

シティにある寮から撮影したアデレードの夕日:オーストラリアの空が心を奪われるほどに綺麗なのは、これから移るメルボルンもアデレードも変わらない

アデレード大学はQS Top University Rankingでも世界89位、私の勉強したかったComputer Scienceの分野ではトップ100位を走る名門大学です。留学生に対してかなり寛容に奨学金を出しており、大幅に学費削減が狙えます。人口が少ない落ち着いた場所にキャンパスがあることが売りなので、生活費もメルボルンと比べ年間50万円ほど安くて済ませることができます。理系でかつオーストラリアに残って学位を続けたかった私にとって、アデレード大学に残ることはこれ以上にない理想的なオプションだったと言えると思います。

では何故、今回アデレードからメルボルン大学に籍を移すことになったのか。私がオーストラリア留学を決めた昨年の夏から振り返っていきます。

2021年8月:本格的な大学受験のはじまり

私が大学入学から長期に渡って留学に行こうかなと考えはじめたのは高校2年生の終わりあたり。国際バカロレアがある高校に通っていたので、Mock Exam(模試試験)が終わる高3の7月末あたりから本格的な受験対策を始めました。一般的に考えるとこれはとても遅い時期でのスタートです。当初はアメリカの大学に行きたいと考えていたので、TOEFLの他にエッセイやSATの勉強などの準備をする一方で財団の書類もそろえる必要があり心身ともにかなりの体力を要する期間でした。

2022年5月:オーストラリアへ舵を切る

大学留学にあたり、ここで1度目の危機が訪れます。アメリカの大学は通常、合否判定が出てから5月1日までにどの大学に通うのかを決めなければなりません。私の場合はアメリカの大学からいくつか合格をもらっていたのですが奨学金にも恵まれず円安の影響もあり米ドルでの学費が払える見込みがなかったので、海外の大学に行くことが難しくなっていました。

ですがここで、高校の恩師から「他にも目を向けてオーストラリア受験をしてみではどうか」とエージェントを紹介してもらったので、高校3年生の10月にメルボルン大学に念のため出願して合格をもらっていたことを思い出します。オーストラリアはじめ英国系の大学はファウンデーションと本科の合わせて1+3年の制度を取っているので、まず1年はオーストラリアに通い、その後は学費の安い国に移るという条件付きで親の納得も得て同年9月からメルボルン大学トリニティカレッジに進学することになります。

8か月間通ったメルボルン大学トリニティカレッジのキャンパス

2023年6月:奨学金が出たらオーストラリア

さらにここで2度目の危機が到来。いろいろ家庭の事情もあって「そろそろ国を変える準備が出来ただろう」と話す親とは裏腹に、トリニティカレッジで素晴らしい時間を過ごせた私は、メンターの助言なども踏まえファウンデーション終了後もオーストラリアに残りたいという考えを強く持つようになります。

当初は学費の安いマレーシアの大学に移ろうかなとも考えていたのですが、いろいろな人にも相談させてもらった結果、奨学金を得て年間500万円以下の出費で抑えられた場合はオーストラリアに残ることに決めます。話し合いの結果、自分のやりたい方向を選択して良いと親からも承諾を得たので、条件を満たしたアデレード大学のIT学部に進学することにします。

アデレードに来た初日に撮影した写真。曇天模様の空に、これからの生活に対する不安が重なって少し滅入っていたがトリニティの友達と時折、電話させてもらったりすることで乗り越えた

メルボルン大学から文学部(Bachelor of Arts)で奨学金をもらう選択肢もあったのですが、もしかしたら出る可能性があるだけで、やりたい学問も当時はCS(コンピュータ・サイエンス)学部に挑戦することにしか目が行っていなかったので切り捨てていました。

結果的にこの選択が後の自分を大いに悩ませることになります。

2023年12月:再びメルボルンへ

久しぶりにメルボルンに帰ってから撮ったキャンパスの写真

アデレードに来てから数か月で3度目の危機が到来。「やってみなければ分からない、やれば何とかなる」という楽観的な考え方で行ったこともないアデレードという土地でCSの勉強をし始めた私でしたが、以下の理由で元いたメルボルン大学のBachelor of Artsで学位を取りたいという考えを抱くようになります。

  1. 学びたい分野がCSからAnthropology(文化人類学)/ Geography(地理学)/ Asian Studies(アジア学)などへと移っていった

  2. トリニティカレッジにいた時に一緒に学んでいた友人の多くが、メルボルン大学に進学してからの半年間で大きく成長していることを実感した

1.に関していうと友人のAsian Studiesの授業に潜らせてもらったり、メールで教授と授業内容についてやり取りをさせてもらう中で今の学位よりも取りたい授業が多く出てきていることに気が付いたり…

2.に関していうとアデレードの1学期が終わった先の11月中旬にメルボルンを訪れたとき(11月28日付の記事参照)、カレッジの友達が日々忙しい勉強について苦労しながらも自分の学位について生き生きと語る姿を見たり…

悔しいですが、アデレードよりメルボルンに居た方が自分のポテンシャルを最大限に活かせるのではないかと思うように考えがシフトしていきました。


少し長くなってしまったので、今回はこの辺で。次回の『メルボルン大学編入の決断②:アデレード大学とは』の記事に続きます。

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