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自分はまだやれるという感触

人によってスキルは違うし、当然感じ方も考え方も違う。
そうすると、他人から見た当人の人物像と自分自身が思い浮かぶ人物像にズレが起こり始める。

僕は、かなり内省型の人間であることから、自分についての反省を人一倍行う傾向がある。ASDの症状の一つでもある。
僕はこの特徴は、自分にとってプラスだと捉えている。
反省をしない人間は、成長をする機会を多分に取りこぼしているからだ。
性格上、いやでも反省をしてしまうこの性格は、疲れるけど成長やシチュエーションという観点からはかなり有効に働いていると思っている。

シチュエーションという観点と述べたが、どういうことかを深掘りしてみる。
成長するための一番の近道は、何事も自分ごとと捉えることであると考えている。
するとなると、反省すべき点が見えた時、自分ならどうするかということを考えて、脳内でシュミレーションすることで自分がその場面に出会した時に対処する方法に迷いが出ない。
つまり、普段から自分が行うことをシュミレーションしておいたり、自分が失敗した部分についての別の観点でのシュミレーションを行うことであらゆるシチュエーションに備えていけるようになる。
ただし、これには欠点もあり、自分が経験がしない場面のシュミレーションはできないという点だ(ただ、普通の人だと誰もそんな高等技術できるわけないのだが)。

ではどうするか。
シュミレーションを行うとしたら、「自分が失敗した瞬間」と「他の人がやっているのを側で見ている瞬間」と「映画や小説から自分に置き換えられるようなシチュエーションを捉えてシュミレートする瞬間」とかになってくる。
いざ、次にその場面に出会った時、そのシュミレーションでの反省を活かして取り組むことができる。
もちろん、その反省を踏まえてもうまくいかないこともあるだろう。
しかし、さらにそこでシュミレーションを試し改善を試みる。
ひたすらこれの繰り返しなのだ。

これを読んでいて、気づいた人もいるかもしれないが、こんなのは小学生のころからやっている、いわゆる勉強の予習復習と同じだ。
ドリルをやる時、宿題をやる時、授業を受ける時、全てこの予習と復習を行う。
仕事の中でもいわゆる、PDCAという形で繰り返し行う。
結局、このやり方に落ち着くというのを、よりイメージを膨らませてシチュエーションを自分の頭の中で行うことを繰り返すというようなイメージ。

余談だが、これは僕の場合毎日毎日、仕事が終わったあと寝るまでの間にほぼ行われる。これが特性だから、辞めようとしても息をするのと同じくらいの気持ちで勝手に頭の中で展開されていく。
非常に疲れるし、脳が休まる時がない。いざ休めるとなると人と話すようにしたり、自分のプログラムを書くかなどの能動的に何かをしていないと勝手にシュミレーションをしだす。
困ったものだ…。

さて、話を戻して。
そういったシュミレーションを繰り返し繰り返ししてると、自分の中でどんどん方法や試したいことが積もり積もっていく。
当然、それを行動に移して消化していけたらいいのだが、会社的なあれこれ政治が絡むと全然消化できずに自分の中で不完全燃焼が溜まっていく。
発散したいのに、発散できず爆発寸前まで押し出されていく。
余談でも話したが、毎日毎日そんなのが溜まり溜まっていくので、例え会社でその反省を発散できたとしても、発散スピードと溜まるスピードに違いが出て、結局パンパンな状態になる。
これにより、自分はまだできる(試すことがいっぱいある)状態になる。

まだやれるというのは、成功させることができるという意味ではなく、失敗の反省を活かしてまだまだ挑戦できるという意味なのである。

僕はまだ頑張りたい部分はある。
しかし、頑張る先が今のままでいいのか、変えた方がいいのかというのはまだ悩んでいる。
多分僕はいつまでも、この反省を止めることはしないだろう。
どれだけ今の自分から変わろうと、根っこの部分での癖みたいなものは変わらず、失敗したら反省し、次に活かすということを繰り返していくことになるだろう。
モチベーションの問題ではないのが良いところでもあり、体が持たなくなっても考え続けてしまうのだろうというジレンマもある。

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