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文字書きと絵描き

 気難しい年頃(アラフィフ)なので、小さなことが気になってしまう私ですが、謙遜なのか自虐なのか判らんけども、文字書きの人が「小説はハードル低い」とか「漫画のが難しい」とか言ってるのを見ると「は?(ドス声)」になってしまいます。

 マジで言ってる?
 それマジで言ってる??
 ちょっと表出てくれるかな小一時間ほど話し合いたい。

 創作活動はオリジナル漫画から入った私なので、個人の感想だと漫画のが技術的に楽です。なにより文学(小説)って長い歴史がありますから、独学で得られるものはあっても、毎回「こんな時どうしたっけ」とシンキングタイム挟むんですよ。


漫画との大きな違い

 漫画と小説の大きな違いは『視点』です。漫画はキャラごとに入れ替わり立ち代わりのモノローグが入っても、そこにキャラが存在すれば誰のモノローグか判断付きます。
 しかしこれを小説でやるとなると『~と〇〇は言った』や『~は△△の見解だ』の地の説明文が増えてゆく。話が進まない説明文は当然読み手にとってストレスですし、実際「小説って説明が長すぎる」との小説批判をついった君で見かけました。その時私は「小説は地の文章を魅せてこそじゃろがい!!」と憤慨したのですが、こうした文字書きのプライドが読み手に倦厭されているのではないかと最近思います。

 漫画ではコマ割りによって過去の回想にも素早く入れます。
 コマ割りでなくともグラデトーンで『あっ回想に入るんだな』と判りますが、これを小説でするなら改ページ、若しくは改行からの『そうだ、あれは──』のセリフを入れ、回想に入るからにはほぼ一人称視点へ移行せざるを得ません。改ページすれば一人称視点に固定されずに済みますが、それもそれで多発すると読み手が混乱するでしょう。
 それから私調べですが、書き手の中にはセリフのやり取りが三回続いたら、説明や風景・心理描写を入れてしまうと言った方が多数でした。ですがセリフとは漫画に於ける顔と同じで、読み手にとってそれが何より読みたい部分です。私だってセリフしか読まない時あります。
 勢いを殺したくないなら十回でも二十回でも続けていい。セリフの勢いで読み手を殴るぐらいの気持ちでいてもいい。

 背景についても漫画のが楽です。
 なんたってトーンがありますからね。元漫画描きが言ってるんですよ、信憑性あるだろ!!

 背景トーンが存在する以上、一コマ風景は格段に楽になりました。ペッて貼って(塗って)もうそれで場面転換終わりです。小説だとたったの一コマを三行~五行は書かないといけません。場合によって二十行ぐらい書く時もありますが、それやっちゃうと多分読み手さんは飽きちゃいます。私が読み手なら飽きる。だからこそ読ませる京極夏彦先生は凄い。
 心理描写ならまだしも、二次小説の風景描写で二十行使われたら私、心が折れてしまう。

 しかし描写は書き手の腕の見せ所なわけで。
 ただこれが一番問題なんだな……。これのせいで『説明が長い』の批判食らってると推測します。私だって読んでて「何バイト使って説明してんだ」と思う時があります。しかもその説明された場所が話の大筋とは関係なかったりしたら残念感パない。勘弁して。

 例えばですが『おたかいホテルの部屋』を描写したいなら『最上階』だけでいいんですよ。ホテルの最上階なら高い部屋に決まってるんだから、そこは読み手を信頼していい。最上階で安い部屋があるのか?あるなら持ってこいって話でしょう。
 最上階の部屋にたどり着いていざ合体!を読みたいのに、そこに行き着くまでを『高いホテル』『インテリアも高い』『敷居も高い』『食事も高い』ってやられると本題は??ってなります。部屋に行き着くエレベーター内で二人でいちゃこらしててよ!エグゼクティブフロアならエレベーターだって専用でしょ!!ってなるんですよ。
 こうした無駄な説明や風景描写が、率直な読み手からすると「長い!!」に繋がってしまうのではないでしょうか。

小説のコツ

 『漫画は絵が上手くなきゃ無理』って感じる人いらっしゃいますね、まずそれが間違いです。
 小説だって上手くない人は文字の羅列に過ぎません。セオリーを敢えて崩しているのかそうでないかは、一見で看過されます。識字率九十パーセントを超える日本ですが、『書けて』『読めて』『聞けて』『話せる』、この四つを並列で取得しなければなりません。文字の『』が好きな人は詩人向き、『』が好きな人は小説向きと考えるのが判りやすいでしょう。

 漫画は絵が上手くなきゃ成立しないと考えてるなら、貴方が求めるハードルが高すぎるんです。小説のが楽なんてことはありません
 絶対にない、絶対にあり得ない。
 ねえから!!(ダメ押し)

 まずド初手、一行目で読み手の興味を引けなかった小説は敗北です。そこで長々悦に浸って風景描写してたら弾かれる。商業だとド初手で弾かれるのを防ぐため(立ち読み禁止もあるので)、タイトルでネタバレしてるぐらいです。それぐらい小説に於いてド初手の一行目は作品を左右します。
 まず読んでもらうことが必要なんで、ド初手一行目で読み手の興味と関心引けなかったら敗北決定。

 起承転結で言えば『起が三割』と考えてください。残り七割が『承転結』に割り振られると思うでしょう?ところがどっこい二割は『承』と『転』で一つずつ、残り五割すべて『結』です。
 内容が大したことなくとも上手い具合にオチが付いていれば、それだけで読み手の脳に残れます。それは勝利であり、敗北ではない。
 逆に言ってしまえば、どれだけ名作でもオチが弱かったら敗北です。その瞬間忘却という敗北を喫してしまう。これ小説の専門学校でも教えることです。小説はオチがすべて

 起と結で八割使うんですよ。書き手の中で「書き出しが決まれば早いのに……」や「オチが決まれば早いのに……」みたいな悩み持った方いらっしゃるでしょう。そりゃ当然です、だって八割を占める作品の要ですから。

 またこれも私調べですが、文末『~た。』が続いてしまう……と悩む書き手も多かったです。私は二次の場合、気合い抜けてるのであまり気にしませんけども、確かにこれもあるあるです。
 しかし気になる時と気にならない時があり、どんな時に気になってどんな時は気にならないのか色々検証してみました。

 結論、母音
 母音です。
 当たり前ですが地の文とセリフは大抵交互に訪れます。その中でセリフと地の文のラストの母音が同じだと、読み慣れている人は「ん?」と引っかかる。セリフで「それは~だ」のあと『ア』の母音が入る地の文で終われば違和感が発生します。

例文
"「夏は好きだ、湿気は嫌い
 手元の端末をフリックしなが、彼が漏らす言葉に耳を傾け。夏季休暇を目前に控えた二人、しのつく雨に心が重く沈ん。"

母音変更
"「夏は好きだ、湿気は嫌いだ
 手元の端末をフリックしつ、彼が漏らす言葉に耳を傾け。夏季休暇を目前に控、しのつく雨に二人の心が重く沈ん。"


 思い付き簡易文章で失礼、こういうことです。
 太文字にしたところの母音変更するだけで違和感が激減。どっちも地の文のラストは『た』『だ』で終わってるのに、アクセントになる部分の母音を変えることで印象がガラッと変わります。
 【例】の方では太文字部分が『』『』『』『』『』『』で全部『』ですが、【母音変更】だと『』『』『』『』『』『』で『ア・エ・ウ・ア・エ・ア』に母音がバラけるんです。これが違和感や突っかかり引っかかりを緩和する方法。こうした文末のケアが上達してくると上手くなり、熟練の読み手も気にしません。

小説は面倒臭い

 ……というのを踏まえて「漫画より楽」と言っているのか、冒頭に戻りますが私は膝を付き合わせて語り合いたいわけですよ。もちろん敢えて本人に言ったり喧嘩売ったりなんぞしませんが、ご自身が書いてるものを『楽』『簡単』と卑下するのはいかがなものなのか。今時謙遜なんて他人は理解してくれません。簡単だと本人が言っていたら、簡単なんだなとインプットされるだけ。

 二次は趣味。なのでとやかく言うのは野暮と言うもの。私自身も知能指数三ぐらいで書いたりしますが、趣味でもなにかをsageてなにかをageるのは嫌です。
 どちらも何十年間とやって来た者からすれば、等しく大変で等しく難しく、散々漫画のが楽とコキ下ろしてもそれは技術的な部分だけ。感性やセンスの話はしてないんですよ。そして漫画やイラスト、視覚から入るものはおしなべて感性とセンスが重要視されます。

 ただ、技術の話で言うなら今や圧倒的に漫画のが楽になったんです。ポーズモデルとか簡単に手に入る。
 小説だって昔はワープロ、もっと前は直筆でした。直筆の時代からかなり楽になったとは言え、『文』とは学校で読み書きを習うほど国民の骨に染み付いたものです。それを「簡単だ」「ハードル低い」なんて言って欲しくない。
 誰だって書けるというなら(実際このセリフ言われたことありますが)書いてみろって話です。上記のこと踏まえて読まれると知ったら、途端に書けなくなるでしょうに。簡単そうにやっているから簡単だと思ったんですかね?全然違いますよ。セオリーを突き詰めれば漫画より厳しく冷たい世界です。
 
 繰り返しますが「漫画は絵が上手くなきゃダメ」と考えている人、それは貴方が勝手にハードル上げているだけです。その理屈なら小説だって「文章が上手くなきゃダメ」なんです。

 判るか!?
 なにかを許さないってことは自分も許されないってことだ!!
 
そんな窮屈な世界にいるから鬱屈溜まる!!

結論

 上手でも下手でも楽しけりゃいいんですよ。ただそれで他者にマウント取るなって話です。他者にマウント取るなら別の他者からマウント取られる、腐界とはそういう世界だと理解して。覚悟もなしに地雷原全速力で駆けて来ないで。それで吹っ飛んだら自己責任だし、自爆した貴方を見てこっちも二次被害なんだわ。

 ピクトグラムイラストでも「これは〇〇のキャラ!」とその人が言ったならそれは〇〇のキャラ漫画。それでいい、いちいち突っ込まない。だから小説のが立場が下みたいに遜らないで欲しい。
 それ同じ文字書きの立場までコキ下ろしてるからな、少なくとも私は不快だったぞ。これまで私が培ってきた技術や知識をコケにされたみたいで嫌だった。謙遜でも自虐でもほか文字書きの立場までsageる発言はよろしくない。

 どんな表現方法でも一朝一夕で上達するものじゃない。
 普段日本語でしゃべってるから小説のが簡単だと思うのは大きな間違いです。脳内で思い浮かべた事象を文字に書き起こすって結構な技術が必要ですよ。そこにセオリーが加われば難易度高天原だってこと、小説を書いて来た人なら判ってるはずでしょう。

 貴方のプライドを守るために他人のプライドを傷付けないで。
 こうしたマウントは取りたくない私ですが、文字書きが謙遜や自虐が高じてほかの文字書きの立場をsageると言うなら、母の代まで江戸っ子だった私が黙っちゃいねえぜべらんめぃ。

 それでも漫画描きに負けてると悲しく思うなら、信州信濃の新蕎麦よりも、私ゃお前の傍にいる。

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