「黒い」という褒め言葉



歴史の授業は苦手だった。
覚えられないから。
けれども、尊重も、否定もそこにあって、
「実際にあったもの」として
ゆっくりと過ちや輝きを残しながら、
続いて流れていく。

違和感を覚えていることはたくさんある。
怒りはもっともで、理解できる。

同じような違和感を覚えたのは、
学生の頃の「人権学習」
あれは、私の受けた物は

違うものに優しくしよう

という内容だった。
自慢じゃないけれど、
そこそこの高校で学年1位の優等生
先生にも従順で真面目だった私
その違和感がたまらなくて
1年に1回の施設訪問だけは
何かと仮病を使って休んだ。
私の従甥は知的障害を持っていた。
たまにしか会わないから
どう接していいか分からないほど
私は人見知りだったけど、
彼のことは優しくて好きだった。
だから絶対に行かなかった。
違うことを認め合うことや
知ることは必要だと思うけど
健全な活動かもしれないけど
私にとっては何か違う
誰にも言わなかったけど、
これが私の真っ当な理由だった。
だから皆勤賞だけは取れなかった。

ストリートダンスを嗜むものとして、
彼ら無くしては語れない。
「今日のムーブめっちゃ黒かったです」
最大級の褒め言葉だ。
大好きな映画も、音楽も、本も、
その作品にはいつも
彼らが活躍しているのだ。

モーガン・フリーマン、
ウーピー・ゴールドバーグ、
エレクトリック・ブガルーズ、
マイケルジョーダン、
ミシェル・ンデゲオチェロ、
マーカス・ミラー、
あげればキリのない、大好きな人たち。

天性のグルーヴ感を持ち、
大きく笑い、高く飛び、
早く走り、魂を歌い、
強く 明るく 優しく 逞しく
自分たちの誇りを持つ「ブラック」が
羨ましくてたまらなかった。

それは歴史に由来するエレメンツがあるから
歴史は悪でもそんな由縁による
彼らの中にある輝きも否定できない。
屈しないソウルが宿っているから
私は彼らに憧れて止まない。

私は地黒。
小さい頃は真夏になれば、
暗闇だとどこにいるか
分からないくらい黒かった。
ないものねだりで色白の姉に憧れたものだった。
今でさえ、日本人平均よりは
健康的な肌だけど、悪くない。
周りの人たちが私を私と認めてくれているから
今の自分が好きだし、気に入っている。
歴史も色も消せないけど、
すべてを取っ払うと、
きっとすべては、そういうことだ。

いつの間にか日本の色鉛筆は、
「はだいろ」がなくなった。
人種でも性的嗜好でも健常障害でもなく
人格へ思考をシフトして。
自分の「好きな人」へ
賞賛とリスペクトを私は送る。

あなたは?


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